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英語学習や言語コーチングの“終わりなき対話”

怒涛のゴールデンウィークが過ぎていきました。週が明け、かかっていたGが急に抜けたような感覚を経て、だんだんいつものペースが戻ってきました。緑がまぶしい季節です。

大型連休の終盤、言語コーチ仲間と日本語で語る場をもうけました。大げさに言えば、世界初の日本語による言語コーチング国際会議(笑)。いやいや、ざっくばらんな顔合わせです。参加者は5名。日本とヨーロッパの各地に住む日本語を母語または第二言語として話すコーチが集まり、日本人を対象とした英語学習、日本の外国人向けの日本語学習、欧米の日本語学習というそれぞれの立場から、教材やモチベーションなど共通の話題について意見を交わしました。

私が言語コーチングの世界に入ったとき、日本語を話せる人は私しかいませんでした。それからしばらくして第二言語として話せる人が現れ、さらに数年経ってようやく2人めの日本人コーチが誕生しました。現在、日本語が話せるコーチは私の知るかぎり20人ほど。そしてとうとう言語コーチングを日本語で語り合える仲間ができたというわけです。

こういうことがあると決まって思い出すのは、バークの『Unending Conversation(終わりなき対話)』。Parlor(応接間、客間)のシーンなので、パーラー・メタファーとも呼ばれます。

『Unending Conversation』は、アメリカの文芸評論家、ケネス・バークが1939年に書いたものです。私は2008年に大学院の授業の中で出会い、感銘を受け、自分の言葉で訳してみました。正式な日本語訳は『文学形式の哲学 - 象徴的行動の研究』という本が出ているようですので、そちらをご覧ください。

『終わりなき対話』

たとえばあなたが、ある部屋に入ったとしよう。
先客がいる。遅かったのだ。
他の人たちはとっくに話し始めていて、あなたが入ってきたときには、もう皆がずいぶんと熱く語っている。
あんまり熱が入っているので話は途切れないし、誰もあなたに内容を教える余裕がない。
実は遅れてきたのはあなただけではない。
今ここにいる者は皆、話の途中で入ってきた。
だからこれまでの話の流れを最初から、すべて説明することは誰にもできないのだ。
とりあえずじっと聞く。
しばらくすると話の方向が見えてくる。
口を出してみる。
誰かが答える。
それに応じる。
あなたを援護する者がいる。
あなたを攻撃する者がいる。
反対勢力が現れる。
吉と出るか凶と出るかは、あなたがどんな支持を得るかにかかっている。
ともあれ話は果てしなく続く。
ずいぶんと時間が経って、あなたはもう行かなくてはいけない。
そしてあなたは去る。
あいかわらず話は続いたまま。

Burke, K. (1957). The philosophy of literary form. New York: Vintage.

当時の私は研究を志していたので、このメタファーの典型的な解釈である「学問における反復性、ソーシャルな要素の重要性」がすっと腑に落ちました。大学院3年め。入学当初の鼻息はすっかり鎮まり、いわゆる「巨人の肩の上」で自分にいったい何ができるのか考えはじめていた頃です。

でもここで描かれている ”話” は、研究以外のことでもありそうです。言語や教育を含む文化、芸術、宗教、社会の仕組み、伝統など、私たち人間の営みのあらゆる物事、そして生命そのものも ”話” になり得る気がします。

私がいなくても ”話” は成り立っていた。そこに偶然、私は加わることを許された。先を行く人にも、後を継ぐ人にも会えた。短い間とはいえ ”話” に混ぜてもらった。この幸運に感謝せずにはいられません。

英語学習や言語コーチングの ”話” において、私はいま自分が「口を出して」いる段階だと自覚しています。やがて去るときには、後から来た人たちが楽しそうに ”話” を続けてくれているといいなと思います。


Photo by Miikka Airikkala on Unsplash

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