「また明日ね」っていい言葉だと思ってる

こんにちは!けだまのいえです。

今日は・・・半分泣きそうになりながらお仕事をしております。
そうなんです。わたしキンプリのファンなんです。ティアラだなんておこがましくて言えませんけど笑

もう十年以上前の話になりますが、就職活動しているときに、「好きな言葉は何ですか?」と聞かれたことがありました。
周りの就活生は「感謝」とか「志」とか言ってたんですけど、私その質問の回答持ってなくて、その場で思いついたのが「また明日ね」だったんです。
はいはい、そりゃ面接官のみなさまびっくりされておりましたよ。
ちなみにわたしの目標は「明日の朝元気に起きること」です笑

学生時代は毎日友達に会うことが当たり前だったんだけど、大人になるとそうもいかなくて。
もし嫌なことがあったら「また明日」ってすごく嫌なのかもしれないんだけど。
今日と変わらない明日を望むのは進歩がないのかもしれないんだけど。
でも、だれかが「また明日ね」と言ってもらえるとなんだかすごく嬉しいんです。

中学高校と一貫校で、高3の4月まで同じ部活を続けました。
身体が弱かったわたしは、親族が正月なのか?ってくらい集まって大反対するくらいにきついバレーボール部に入部しました。
体育館のすみっこには発作止めをいつも置いておき、試合先から病院に運ばれたこともありました。
毎日毎日、朝練から始まって、十代女子がお腹割れるくらい頑張ってたんです。

同期は7人しかいなくて、リベロを使って全員がフルでスタメンでした。ケガすることも病気で休むこともチームには迷惑がかかる。
ここでわたしの礎になった「チームプレー」を身に着けました。
同期はまさに「仲間」で、楽しいことも悲しいことも、いつも一緒にいました。
必ず帰りは「また明日ね」でした。
卒業式の後もうっかりみんな「また明日ね」って誰かが言いかけて笑ったのを覚えています。
同期の中で唯一理系だったわたしは、まさかの浪人をしたので、なかなかみんなと会う機会は減ってしまったけど、今でも「仲間」という言葉を聞けば一番に顔が浮かびます。

多分、これこそ本当におこがましいのだけど、ジャニーズとかのグループを見ているとき、その「仲間」という雰囲気に魅了され、共感し、ファンになっているのだと思います。

昨日のキンプリのステージは、まさに「仲間」との別れに見えました。
実際の理由なんてわからないけど、全世界に発信される時代に20代の男の子たちが涙を流すって相当なことなのかなと思ったんです。

アラフォーのおばさんは、平凡な毎日の中でキラキラした彼らを見ることが大好きだったから、10歳以上も下の彼らが涙を流すようなことがあったと思うと胸が痛いです。

今までグループ仕事やひとりでの仕事、いろいろあっても家族とは違い、友達とも違う、「仲間」という帰る場所があって、それがなくなるってどれだけ心細いのかなと思いました。

金曜の歌番組の後、土曜日にまた生放送。
金曜の夜、彼らがみんなで最後の「また明日ね」を言っていたのかな。

まったく人生で関わることはないのかもしれないんだけど、彼らがこの先幸せであることを祈っているし、いつかまた「また明日ね」って言える環境になれたらいいなと東京の片隅から願っています。

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