桜は散るから美しい……のか?

せっかく咲いた桜が散った。今日の雨と風で。

もう何度もこの話をしていて恐縮なのだが、
昔好きじゃなかった桜を最近好きになった。
自分でもはっきりとした理由は分からないが、ぼんやりとした一説には
「自分もそれなりに人生を重ねてきて、様々な『別れ』の経験をしたからではないか?」というものがある。

昔は「別れ」というものを肯定的に捉えることができなかった。
別れは悲しい、可能ならずっと一緒にいたい、離れたくない。
それは人にも場所にも思ってきた。

しかし、大人になり様々な「別れ」の場面に遭遇することで、「別れ」というのも案外悪くないかもしれないと思った。それは単なる「慣れ」なのかもしれないが、そんな受動的な変化ではなくむしろ積極的に「別れ」を受け入れようというマインドになってきている。
「終わりは始まり」と言うように、何かに区切りをつけることで新しい自分に出会うことができる、ということを体験的に理解してきた結果だろうか。

そんな心境の変化から「散りゆくもの」に美しさを見出すようになったのかもしれない。花びらが散ることは新しい季節の到来を予告する。
けれどそれって「桜そのもの」の美しさに結びつくのかなあ?

自分でも書いてて分からなくなってくるのだけれど、要は桜が咲く前のつぼみのときも、つぼみがほころびはじめるときも、花が咲いたときも、満開になったときも、散るときも、その一瞬一瞬全てが美しい、目に焼き付けたいって思えるようになったのだ!ってことだけははっきり分かる。
もうだめだ、まとまらない。記事というよりただのブレインストーミングである。外は春の嵐、私の頭の中も嵐。  

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