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沸騰時代

アングラという造語が生まれた 新宿の60.70年代
戦後復興、2つの安保闘争
若かった日本社会とアーティスト
寺山修司、蜷川幸雄、唐十郎などの劇作家
横尾忠則、宇野亜喜良、イラストレーター
フォーク、ジャズ、暗黒舞踏など皆血が沸騰していた
石黒健二がかつてそう言った


既成表現を壊そうと前衛で冒険的な演劇、芸術
蠍座、テント、天井桟敷

70.80年代に原宿に移りアングラからサブカルチャーへ
天井桟敷だけは70年手前に並木橋にあった
天井桟敷の創設メンバーや九条今日子の当時の話
「寺山修司、彼と私の物語」は寺山修司の妻であった九条今日子の告白を同じく天井桟敷の創設期にいた著者が綴ったもの

90.00年代の渋谷から逆を辿るように興味を持った東京文化
裏原宿から渋谷系、混じり混沌していくバブルの残り香のような時を10代に過ごした

昔、宮沢章夫の早稲田での授業で「東京サブカル史」という講義が行われていた

そこで山手線沿いに移っていく若者達のエネルギーの流れ10.20年代どこに移るかか議題だった事がある

これを書いた1/17今日は、淺川マキの命日
最後の名古屋ジャズインラブリーでのLIVEから14年経った

ラブリーの常連さんに貰ったあの時のスケジュール引っ張り出してみた
「そんなに好きならこれを持ってろ」
noboby knowsのミツさんのソウルグラウンドで程よく通っていた時にミツさんから隣のお客さんを紹介してもらった時の会話だ
2010年、1/15.1/16.1/17と3日間のライブの予定だったが、二日目のリハを終え、ホテルにてマキは亡くなった
二日目の会場乗るお客さん達は席を立たなかった
渋谷毅、セシルモンローと凄いトリオだった

それから当時よく遊んでいた
金沢のガレダッソ、もっきりや、新天地、
今まで知らなかった60.70年代の音楽を沢山教えて頂いた

特にガレダッソの仁木さんのブログを発見し、マキとの近い繋がりや想い出に触れて
お話を伺いにお店に通ったのが最初だった

日本のグレイトフル・デッド、金沢出身のめんたんぴんの飛田さんを知る人達は、新天地に多くいた

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!