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赦すか赦さないか自分で決めてるのに

空きゆく秋
9月、束の間の東京。電車内で目についたのは、ずらりと並ぶ素足の爪先。秋の概念が崩壊したことを実感する。30℃超えの厳しい残暑、もはや残り香ではなく現役なのだが、そのうち四季を失くしてしまう未来を想像しては身を震わせる。ただでさえ既に夏が長い。窓の外を流れる景色は暮らしていた頃と大差無く、未だ自分がそこに生きる錯覚すら覚えてしまうダージリン風味の空。浸りすぎれば渋みが出てくる様も、また。

ロストマン
3日に2回のペースで、オートロックを前にして自宅の鍵を捜索する。毎日ほぼ同じ、それもたいして大きくないバッグの中で鍵はいつも行方をくらます。四次元ポケットなのかと疑わんばかりの奥行きに辟易し、酷い時は半分ほど中身を出してようやく登場。大ぶりの飾りを付けている意味の無さに自嘲しながら、迷子になっているのは鍵か、それとも。

最適解で届ける
同じグループ内で出産、妊娠、結婚のご報告を立て続けに頂き「おめでとう」以外に返せないことを心苦しく感じる日々が続いた。強がりでもなんでもなく結婚願望が元々薄いのだけど「他人が普通に出来ることが出来ない」という劣等感にだけは一丁前に苛まれている。それでもお祝いの気持ちは何かしら示したい。物を買って郵送するのは今の自分にとって心理的ハードルが高く、思い立って久々にgifteeでスタバのチケットや子供用品のギフト券を送ってみる。選んでいるうちに心が軽くなって、LINEで送信する時にはすっかり自信を取り戻していた。物で届く方がもしかしたら誠実なのかもしれないけど何かを贈ったことには変わりないし、何もできなかったと落ち込むこともない。皆それぞれ驚きながら喜ぶメッセージが返ってきてひとまず安堵する。「何かしなきゃ」の気持ちに責め立てられて義務化するくらいなら、多少簡素でも速い方が自分を納得させられる。そして誰かに何かを贈る為に選んでいる時間はやっぱり愉しい。くさったまま失ってしまうかもしれなかった縁ごと取り戻した気分になった。

赦すか赦さないか自分で決めてるのに
腹を立てる、呆れる、傷つけられる。反復すればいつまでだって憶えていられるけれど、怒りや失望で心を波立てるのは無駄な行為でしかないと自分を宥める。やりすぎてもいけないが、すこしずつでも手放していけば軽やかになる心。マウントを取られても取り返さないと決めれば、小鳥の囀りは爽やかな朝のBGM。赦すか赦さないか自分で決めてるのに、息苦しく生き苦しくなるのは損。納得のいかないことに噛みつくか諦めるかも自分次第。物凄くポジティブには生きられないし、自分の機嫌を取れない時もあるけど、どんな自分で居るかをある程度は自分で決めていける。まだ自分で死ぬことを選べないから、呼吸が続く限りは生きやすい方に向かって生きたいなと静かに思っている。




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