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生きることの本能と大変さ

あまり長生きしたくないなーとかもう死にたいよとか言っている人でも、“たった今苦しまずに死なせてあげるよ”と迫られたら、いやいや結構って慌てて首を横に振る人がほとんど。どんな辛い苦しい状況になっても、人の生きようとする心の強さって凄い。
一方、自死する人も少なくなく…身近な人にはいなくても、顔や名前を知っている人でその選択をして亡くなった人がいる。単純に有名人で考えても、少なくとも事故で亡くなる人より自死の人が多いかと。
人の気持ちはいつも揺れているもの、らしいです。もう死んでもいいと真底願っていたとしても、自分の命が絶えるその瞬間には、やはり生きたい、と思ったりするそうだ。
私は…今のところ、もうやだとうんざりしたことはあれど、死にたいとまで思いつめたことはない。何もかも投げ出したい気分は、何となくわかるけど…ってたぶんその考え甘い。
生きるってほんと大変。ある種、鈍感じゃなきゃ生きていけないんではないか。いっそう生きるのをやめようとするのはごく自然なことじゃないか。だからキリスト教で強く戒めるように、”自死はするべきでない”という教えが、社会全般にあるんじゃないか。
幼児のときは、自分が生き続けることに、疑問はなかったのにね。知恵がつくほどに、この世で生きていく意味、を思わずにはいられなくなる。どうせ、誰だって数十年しかいきないのに、遅かれ早かれみんな死ぬのに。
住む場所があって食べるもの着るものに困らない環境だったとしても、それだけでは、生き続けることを選べない。人の心は、何より、希望を必要とするから。
容姿端麗才能に溢れ家庭や友人にも恵まれていると思しき人も、生きることから降りる人がいて。著名人が自死したとき、友人が「なんで、○○はすごく恵まれているのに」と、納得できない、と憤慨?の口調で語っていたけれど…そういうこと、よくある。
自死を選ぶのはよほどのことということだけ、皆が理解している。本来、人の本能は、何があっても生きようとするもののはずなのに…と。
遠い世界の芸能人であっても、しょっちゅう映像で見かけて好ましく思っていた人が、自死でなくなると…病気や事故とも違って…自分の心がどーんと重くなってしまう。どこか同調してしまう。後追いしようとは思わないけど…。自分の心の元気が奪われていくと同時に、普段忘れている生きることの大変さを、考えてしまう。
「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン」(リリー・フランキー)の中で、自死した高齢者の親戚について主人公が、どんな死に方で生を終えたとしても“頑張って生きたことに敬意を払おう”という場面があったと記憶している。私も、そう思います。

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