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3年ぶりの郷里…老親との再会など

急ぎ足の旅でも今回郷里に行こうと思ったのは、2020年の正月以来会ってない母親と会うため。このまま永遠の別れになるのは心残りだ、って気持ちが強かったから。
離れて暮らしている以上、いつか突然の訃報に接するかもという覚悟は、そこはかとなく持ってはいたけれど、 “今”そのときが来るのは寂しすぎる。昨年の脱毛事件(私にとっては事件)も、そのことが大きい影響を与えていると思うし。
この3年の間に、友人の何人かは、親が亡くなっている。そういう年回り。年齢的に親世代の寿命がどんどん尽きてきている。その多くが、病院に見舞いに行きたくても会えない、葬式にも出なかったなどなど、コロナゆえの悲しい状況があった。
昨年あたりから、会っといた方がいいよ、と人によく言われていた。郷里と首都圏を親兄弟が行き来する、って人もずいぶん増えて来てはいた。
私の場合、諸々の事情から、そうすることができずにいました。が、もう3年経つし、このまま永遠の別れになるのは嫌だ、の思いが強くなり、郷里へ向かった次第。
で、母に会った訳ですが…。
流石に80代半ばの母、白髪が随分増えていて(70代まで白髪がなく薄毛の悩みもなかったという羨ましい人)、所作が年寄りらしくなり耳も若干遠いけれど、元気にしていた。母の部屋の家具の配置ががらりと変わっていた。気分転換になるからよくやっているんだとか。ほぼ毎日近所を散歩していて(住んでいるのは20数軒の農村集落)、そのとき近所の人に借りたという本…文藝春秋を見せてくれた。この中で取り上げられていた本を、買って送ってほしいと頼まれる。最近は親戚筋の仲良しと小浜でご飯を食べたそうで、そのときの笑い話も聞かせてくれた。ただただ、こたつに入って世間話をするだけ。それだけの時間が、とても満ちたりたものだった。
時代は変わって郷里の姿も家族の状況も変わっていく。昔を懐かしくは思っても、思い出はいいものに補正されがちで、嫌なことだっていっぱいあったに決まってる。
けれどこの家で暮らした日々のすべては、自分にとって、まぎれもなく大きな財産。
親にすごく愛されていた自分。わかりあえない部分は、そりゃ今だってある。でも。
親だけじゃなく、周りの大人たちが、私を、大切な存在と扱ってくれていた “あのとき” 私という存在は、ただ、生きているだけで、良かった。
そのことがこれからも、いつも、私を支えるから、人生怖がることはない。
そう実感できた、郷里への旅なのでした。


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