見出し画像

世界の美しさと人の存在

私は、特に何かの信仰を持ってはいません。
宗教はもちろん、占いとか風水とか自己啓発的な何かとか…。だれかの意見主張を妄信もしてはいない、はず。上手いこと言うなあなるほど!と思うことは、もちろんあるけれど。
“この世は神によってつくられている、私たちの生も神によって成り立っている”という類の考えに、傾倒したことはありません。どこか胡散臭さを感じて…人が言う「神」の存在って、自分にとってはリアルなものではない…。
が!
昨日今日と気持ちいい秋晴れが続き、感謝感謝…ってそれは何に対してか?と問われれれば、「神」としか言いようがなく…。雲一つない空とからっとした空気。我が家からの市内の眺めは人工物がほとんど。でも、街全体が優しい光に包まれていて世界の美しさを確信する。「神」が人間の存在を祝福しているような。
マンガ「チ。地球の運動について」は、キリスト教の異端者への圧力が激しかった時代に、多くの人が世代を超えて地動説の研究をつないでいったお話。この世が苦しくても死後は天国に行き安らかになれる、そうキリスト教は教えるが、この世は苦しい…醜く汚いことばかりとはどうしても思えない。 “どうしてこんなに、世界は美しいのか”と、つぶやく研究者のつぶやきが印象的でした。
風景、天候、自然の色に営み…そうしたものが、美しく存在しているから人間もまた存在できている。
そこには、科学的合理的考えだけでは説明できない、何か“神々しいもの”が感じられて仕方ありません。
その思いが、すべての宗教の、土着的な信仰の、根っこにあるんだろうな。
どうしてこんなにも世界は美しいのか。それに触れているだけで、心が元気になれる不思議。「世界の美しさ」という、何ももの言わないものが、人の心に優しく寄り添ってくれて栄養をチャージしてくれる。
年上の友人が、最近旅行を再開しました。多忙な仕事の合間にあちこち行っている。「見たいじゃない。美しい光景をたくさん」。自然や草花を愛し、集合住宅の一角にある共有地の花壇の世話にも余念がない様子。興味のあった草木染めも本格的に始めた。世界の美しさと、共に生きている人。
世界の美しさが私たちを生かしていると、疑いなく思えます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?