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春過ぎて



春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇

『新古今和歌集』夏

(645~702年。天智天皇の第2皇女。都を飛鳥から移し、藤原京を開いた)

小倉百人一首

「香具山の緑に白い衣、夏のはじまり」

私は男運が悪いのでしょうか?
いつのときも、男たちに振り回されていたように思います。父や夫、弟に息子。彼らの起こす波にもまれるうちに、私はいつしか鍛えられ、気が付けば天皇の位に就いていたのでございます。

 幼いころは「うののささらのひめみこ」と呼ばれておりました。その美しい響きに似合う色の白い華奢な少女でありました。父・天智天皇の治めるおだやかな世の中、私は健やかに成長いたしました。十三歳で父の弟、つまり私の叔父にあたる大海人皇子のもとへ嫁ぎました。
私だけではなく、姉妹四人が大海人皇子へ嫁ぎ、姉は大津皇子というとても利発な皇子を産み育てていました。やがて私も可愛らしい皇子・草壁皇子を産みました。

 暗雲が立ち込めはじめたのは、父が病に倒れてからです。次の天皇の座をめぐって夫・大海人皇子と弟・大友皇子が争うことになったのです。もちろん私は夫の軍に付き、ともに戦い抜きました。激しい合戦の末、大友皇子は自害し、夫は天武天皇となりました。そしてそのころ姉が早世していたため、私が天皇の第一の妻、皇后となったのです。

 私には父譲りの政治の才がありました。そして身内でも容赦なく切り捨てる冷酷さも。夫・天武天皇は私を頼りにしてくださり、ともにより良い国を目指して邁進いたしました。
 しかし、天武天皇も病に倒れ、私を置いて逝ってしまいました。次の天皇をわが息子・草壁皇子にするために、私はためらいませんでした。亡き姉の息子である大津皇子を「謀反の疑いあり」と処刑しました。賢く、人望厚い大津皇子が息子の邪魔になることがわかっていたからです。それなのに……。私の愛する草壁皇子まで、わずか二十八歳で亡くなってしまったのです。

 私は決意いたしました。孫である文武に天皇の位を渡すまで、私がこの国を治めようと。文武が成長したときに、素晴らしい国を渡すことができるように、いっそう立派な国へと変えてゆこう。
「持統天皇」として即位いたしましたのは私四十六歳の、年の初めのことでございます。夫の夢であった律令政治を行い、唐の都を手本に藤原京を作りました。

父の起こした「大化の改新」の年に生まれ、男たちに振り回された五十年の人生。今、父や夫の夢を実現させてようやく、穏やかな時を手にしたように思います。藤原京から見える美しい香具山を見ながらぼんやりするのが、最近の至福の時間です。山というよりも丘のように小さな、でもさまざまな伝説を持つ「天の香具山」。春ももう終わり、若々しい木々が目に鮮やかです。木々の緑の中に、ふと真っ白い衣を見たように思いました。あれは……香具山を流れる川で禊をする乙女たちが着るという、白い衣を干しているのでしょうか? 新緑の中にはためいている清められた白い衣、そして背後には初夏の青空。なんて美しいのでしょう! 

  春が過ぎて、夏が来たようね。真っ白な衣が干されていようだわ、新緑の天の香具山に

父→天智天皇(1)
夫→天武天皇
息子→草壁皇子
孫→文武天皇


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