なんだかなあ

あれは大学で行われた学科の幹事会の帰り道だった。橋を渡っていると、右手前方の河原に提灯などが吊り下げられており、LEDが点灯して、賑やかであった。私は欄干から下を見ると、黒い川の水にLEDの光が映りこんでいる。

川に沿った土手道を行けば、河原の櫓まで歩けそうだと思い、橋の袂から土手道を進んでいった。川にはLEDの光を浴びて波だか魚の鱗だかが光っている。進んでいる土手の下の河原にはLEDの飾りがずーっと長く向こうの方まで続いていた。大分進んだところで、櫓の上に出た。

私は傾斜の緩い歩きやすそうな場所を探しながら下っていった。土手道は暗かったが、川に向かっての斜面はLEDで明るくなっている。振り返ると、橋に近い方で住宅から川に向かって土手道をよぎって水が流れ落ちている。靴が濡れそうなので、暗い住宅街に足を向けた。

住宅に明かりは灯っておらず、暗いやせた庭の枯れ枝がほんのり見える。住宅内に路地は見当たらず、人の庭を通らないと橋の通りまで出られない。
暗闇を道路から歩いてくる人影が黒く見えたので、その人影に向かって家と家の間に入り込んだ。向かいの人影は左側の家の方に曲がりこんだので、私は右の家の玄関と左の家の庭の間の暗闇を探りながら進んだ。星も見えないが、向かいの道路からの光がうっすらと影を作っている。

玄関わきには三輪車がおいてあったり、庭にはカンナの茎が立っていたり、歩きにくいことこのうえない。私の故郷なら、井戸があってもおかしくない。暗い中を脚探りで橋のある道路にむかって歩いた。川の崖を歩くより時間がかかっている。

ようやく明かりがともっていない廃墟みたいな住宅街を、いや人影を見たのだから誰か住んでいるに違いないが、まるで廃墟のような印象の住宅街から橋の道路に戻った。再び橋まで戻ると、橋の袂から崖を斜めにたどりながら、住宅から流れてくる水で滑る岩に注意して斜面を進んだ。また再び急な崖にぶつかり、手前の傾斜の緩い箇所で土手まで登り、そのまま進んで、傾斜が緩くなった斜面から斜面の中ほどを奥へと進んだ。LEDが点灯しているので、歩きやすい。そうこうして十分ほど歩いているうちに、突き当りに出た。あれ、川がせき止められているのだろうか。

その時天啓が閃いた。このLEDは侵略なんだ。根こそぎ剥ぎ取らなければ。私は突き当りの崖のLEDを剥ぎ取り、川に捨てた。剥ぎ取ってもまだ点灯している。芋つるのようにつながったLEDのコードを引っ張り、むしり取って川に捨てる動作を繰り返しながら、「侵略だぞー」と叫ぶ。

回りにいた影のような人々も私と同じようにLEDを剥ぎ取りながら川に捨て始めた。人から人に伝わって、こちらの岸の人々はLEDをむしり取っては川に捨てている。私は橋を渡って反対側の岸にたどり着いた時には向岸のすべてのLEDが取り去られていたことに気がついた。よかった。これで侵略から守られた。

私は突然、本当に侵略なのかと疑った。まじでお祭りの準備を壊してしまったのではないか、川開きとか、星祭とか、なんかのお祭り準備だったのではないかと不安になった。この場から離れた方がいいな。証拠を残さないように、このまま逃げることにした。幸い今は川のこちら側だ。お祭り準備は向こう岸だけだから、このまま土手を下って住宅街に紛れてしまおう。
「何で明かりを捨ててるんだ!」

向こう岸から大声で叱責している声が聞こえた。やばいやばい、私は川から離れるように住宅の中の道を進んだ。道は分岐路ごとに街灯があり、明るくて歩きやすい。このあたりで右に進めば橋の道と交差しそうだ。街灯が減って、門灯も消えている家が増えてきた。住宅街も暗くなっている。橋の通りに出会わないことが僕の不安を加速した。何で橋の通りに出ないのだろう。何でこの道はこんなに暗いのだろう。そこで歩みを止めて振り返った。住宅の奥の方が明るくなっている。やはりこちらのほうが暗いのだ。私は戻ろうかとも思ったが、LEDをむしり取って川に捨てたことを思い出し、やはり川に戻るのはまずいと思った。自分の失敗がどれだけの損失を与えたのか、不安は大きくなってくる。

手前に一軒だけ門灯に提灯がともった家がある。さっき、前を通った時には気がつかなかった。気になったので少し戻ってみた。提灯には『桑田家』『忌』と書いてあった。そこだけが明るく、橋に近い方は真っ暗だ。おかしいな、さっきは橋に近い方は明るく見えていたのに。私は三千円をティシューで包み、読経が聞こえる桑田さんの門に上がった。駐車場の屋根の下で受付が記帳を求めてきた。
「すみません、こんな形で」
ティシューで包んだ三千円を受付に渡し、記帳を済ませて、庭から親族にお辞儀をし、僧侶の頭に礼をした。頭が邪魔になって仏壇の写真が見えない。まあ、赤の他人だからみえなくてもいいか。そう思って六畳間ほどの狭い和室に正座をしている喪服の人々にお辞儀をすると、その場を後にしようとしたら、お清めをどうぞという。その家の二階でおもてなしがあるようだ。玄関には脱ぎ散らかした黒い靴が十いくつか並んでいた。多分この靴は仏間にいる人のものだろう。ということはお清めには誰も上がっていないに違いない。
私は「申し訳ありません。この後も予定があるもので失礼します」
そういうと喪中の提灯を後ろに見て、川の方に足を進めた。前方は暗く、振り返ると喪中の提灯がゆっくりと揺れていた。おかしいな、川に近い方は街路灯も門灯も点灯していて明るかったはずなのに。私はもう一度振り返ってみた。忌中の提灯が見えない。電気の消えた住宅街が黒々と続くばかりだ。おかしいなあ、確か大学の幹事会があって、生協で飲みながら打ち合わせをして、お開きになって、先生と立ち話をしたのだった。それで皆が先に帰ってしまい、私は一人で駅に向かったのだ。一筋川の吾妻橋から河原にLEDの照明がきれいなので、土手伝いに見に行ったのだ。それが宇宙人の侵略の証拠だとわかったから、いや何故そう思ったのだろう。

LEDを枝から引きはがして、川に捨てたのだ。他の人も手伝ってくれて、全部を川に捨てた。もしかしたら勘違いだと思ったのは川向うから残りのLEDがないか、見に行ったときだ。それでやばいと思って、住宅の中に逃げ込んだのだ。うん、そうだ。川に沿った住宅街は街灯もあり、門灯もあり、明るかった。真っ暗な住宅街の十字路でポツンと佇みながらどうしたらいいか、まるで悪夢を見ているようだと思った。

私の卒業した大学は、箱根マラソンで有名な、えーと、思い出せない。こんな田舎ではないはずだ。山手線の沿線の駅だった。それがこの田舎はどうだ。まるで夢に絡めとられたようだ。私は目の前の稲荷神社の石段に腰を下ろして、夢から覚めるまで寝ていようと考えた。このお稲荷さんは来るときはなかったような気がする。膝に肘をのせて、頭を下げて眠ろうとした。すぐに眠りについた。

暖かい狐うどんの匂いがして目が覚めた。朝日か昼の光かわからないが、太陽に照らされてポカポカと暖かい。立ち上がって伸びをすると、尻の砂埃を払い、太陽を背に、住宅の中の道を歩き出した。特に理由はないが、川は北にある気がしたので太陽の反対側に向かったのだ。道なりに曲がると土手が見えてきた。ほらやはり川だ。土手を登ると、左手に橋が見える。向かいには盆踊りの櫓のようなものから万国旗が四本張りめぐらされていた。LEDは川に沿って張りめぐらされていたように思う。私は橋を渡ると、土手には降りず、そのまま道なりに北に向かった。人生で何だかわからない一晩を過ごしたのだ。何だったのだろう。

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