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大昔、芸大油画に入るためにしたこと

藝大(油画)に合格するには!

(※超大昔の体験談なので参考にしないようにお願いします(><)最新情報を得てくださいね。思い出話程度に書来ました)

藝大油画の倍率(60→26→今は16?倍)

芸大油画は今は16倍くらい見たいですけど、自分が受けた頃は26倍〜27倍とかだった気がします(うる覚えすぎてあれですが)
なので当時合格者は現役〜5浪くらいまでだいたい均等に1学年にいました。
(自分も2浪して大学に入っています。めっちゃ大昔(昭和?)は、倍率60倍とかが過去最高だったそうです。その頃に比べたら全然入りやすくはなっていると思いますw)

受験は、センター、1次試験(実技:デッサン)、2次試験(実技:絵画(油画))の3つです。

受験対策:

①予備校に通う or 美術の先生にデッサン、油絵を教わる

(名古屋の河合塾美術研究所(美術の予備校)に受験対策で通っていました)
自分は高校2年から予備校に通っていました。合格するのに2浪しているので4年間予備校に通いました。

4年通って、多分300万以上予備校にお金かかっています。
美大へ行く可能性のある子は、小さい時からお年玉とか貯金しておくといいかと。さらに、東京の私立大学は学費も高いので(1年間で160万〜180万とかするところも。国公立は国公立料金(55〜65万くらい?)です)、親御さんはちょっと覚悟が必要です。
(美術の予備校は、1年間だいたい50万〜100万くらい授業料を払います。さらに、油絵は絵具も筆もカンバスも高いので、結構な出費です。)

夜間のクラス(現役)、日曜クラス(現役、高校2年)、昼間のクラス(浪人)、と予備校はクラスがあり、愛知県に住んでいる子は、平日の放課後クラスへ通っている子もたくさんいました。自分も高校3年の後期からは平日夜クラスに通うため三重の鈴鹿サーキット近くから名古屋まで毎日通っていました。自分も高校3年の後期からは平日夜クラスに通うため三重の鈴鹿サーキット近くから名古屋まで毎日通っていました。


石膏デッサン(鉛筆or木炭)、静物デッサン(鉛筆or木炭)、静物油彩、人物油彩。とにかく、めっちゃ描きました。鉛筆はカッターで削ります。木炭デッサンは、紙の目を潰さないように、食パンを使いました(今の子は使うんだろうかw)。古き良きなことをいっぱい訓練しました。


現役で合格する子で予備校へ通わない子も稀にいます。(いや、いた気がします。うる覚えです!)
そういう子は、デッサンをしっかり学校で教わったり、訓練を学校でしていると思います。
教育学部卒の先生ではなく、美大卒(できれば多浪した)の先生が学校にいらっしゃれば、ワンチャンあると思います。

実技の入試問題(デッサン(鉛筆or木炭)、油絵)

このあと、油画の実技の入試問題の想定課題にも少し触れますが、
言葉からイメージをしてデッサンするという課題もあるので、
試験問題に何かしら受験までにトライはしたほうがいいと思うので、夏季講習や冬季講習などに行けると安心かなと思います。
(全然わからないですけどきっと今も想像してデッサンをするという課題(実物が目の前にあって見て描くのではなく想像して描く課題))はあると思います)

課題とは・・・実技試験の試験問題のこと。だいたい、1問〜3問くらい出されてそれに対してデッサンや絵を描きます。

②センター試験を受ける

(←当時はセンター試験という名前でした、今は違うんですよね)

③倍率激高の受験で合格する

芸大の入試は、センター試験(国公立なので)+1次試験(デッサン)+2次試験(自分の場合はカンバス+油絵具を用いた実技)

で、センターの足切り不合格というのはないので、1次試験は受験者全員が受けることができます。
そこで1次試験のデッサン(1日)が合格すれば、2次試験(3日間)へ進むことができます。

デッサンの課題も油絵の課題も、「物を見て描く」と「想定課題」と呼ばれる言葉のみの出題文に対して、想像して描く。の大きく2種類があり、石膏デッサンの時もあれば、出題文が配られて、書かれた言葉をヒントに紙やカンバスや画用紙に絵を描きます(回答ですね)。

または、想定課題の派生系で、構内や上野の公園内になる博物館、動物園、科学博物館へ取材をして、それを元に絵を描くという課題もありました。年によって課題は毎回変わります。

日本画は、石膏デッサンが多いみたいですよ。科によって全然対策が変わります。
自分が行きたい科に対して受験対策をする必要があります。

合格したら急いで家を探す

自分の時は、後期日程だったので、合格発表が3月末でした。さらに、合格したら大学の事務へ合格証明をとりに行かなければなく、名古屋の予備校に貼り出された合格発表を見て自分の番号があれば、急いで東京へ向かいます。「なんか受かる気がするー」と手応えがある時は、東京に見に行ったりもします。自分も2浪目の受験は結構自信があったので東京まで見に来ました。

そして、当時は茨城の取手校地が1年生の校舎だったので、茨城まで家を借りに行って。いろいろ終えてから三重に戻った記憶があります。
(今は1年生から多分上野校地だと思います)取手に校舎があるって知らずに、ついに上京かと思ったら、茨城!?三重と景色変わらんやん(ガッカリ)。と思った記憶がわりと鮮明です。

でも茨城の取手での1年間の生活は、それはそれで閉鎖されてて楽しかった思い出です。

きっとそろそろ忘れるであろう記憶をmemoとして描きました。そのうち、学生生活のことも書けたらと思います。

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