「かわいそうなわたし」を演じてたわたしは、かわいそうなわたしになっていた。

ここのところ、
「あるものをないことにしない」
ということがずっとわたしの中にあって。

実際のところ、
あるものをないことにしないのも、
あるものをないことにするのも、
自由なんだけどね。


変えなければ変わらない。
変えたい、変わりたいと感じてるなら、

見えなくてもあるものの存在を認めてみるのもひとつ。


あと、大きいな、って思ってるのは、


あるものをないことにしてたら、
自分もないものとして扱われる


認めてほしい!って思っていながら
認められてるって感じれないとき、

実は自分自身も自分をないものとして扱ってるんじゃないかな。
だから自分もないものとして扱われる(感じがする)んじゃないかな。


自分が扱ったように扱われる。

自分がしていることが、自分に還ってくると思うんだよね。

でも、そのことで痛みを感じる必要はなくて。
そういう事実があるっていうだけだから。


わざわざ痛みを感じて
「かわいそうなわたし」を演じなくていい。

そう気付いたら、楽になったんだよね。

画像1

今日はいい肉の日。
いい服の日。
フーテンの寅さんの誕生日。
尾崎豊の誕生日。

尾崎も、行きていたら54歳。
そんな彼に、会いたかったな。

「尾崎豊を探して」
観に行きたいー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?