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“デスクレスワーカー”が、簡単・確実・即時につながる世界をつくる。【前編】

経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォームKEIEISHA TERRACE。「イマ、ココ、注目社長!」では、各業界でご活躍中!いま注目の社長に、事業、経営、経営者とは、理想の幹部像などについてズバリお聞きしています。


日本の労働者の約半数を占める「デスクレスワーカー」。机の前に座らずに働く人々を指す造語です。デスクレスワーカーは、農業、教育、ヘルスケア、小売、ホスピタリティ、製造、輸送、建設など、幅広い産業に従事しています。

株式会社サイエンスアーツは、こうしたデスクレスワーカーのためのコミュニケーションプラットフォーム「Buddycom(バディコム)」を開発・販売する会社です。創業社長の平岡秀一氏は、プログラマーとしてキャリアをスタートしたあと、様々な企業の経営に参画して見識を磨いてきました。前編では、自らの会社を立ち上げ、「Buddycom」を生み出すまでの道のりについて伺います。

(聞き手/井上 和幸)

平岡 秀一氏 株式会社サイエンスアーツ 代表取締役社長

ソフトウェア×ストックビジネスのパワーを実感する

――平岡さんはパソコン普及前夜の1984年に新卒で日立西部ソフトウェア(現日立ソリューションズ)に入社されています。学生時代からコンピュータに関心をお持ちだったのですか?

平岡 全然。キーボードなんて触ったこともなかったです。ただ、コンピュータはこれから伸びる業界だと思いましたし、そこで働けば食いっぱぐれることはないだろうと(笑)。

――最初からプログラミング職に就かれたんですよね?

平岡 周りは大学や大学院でコンピュータサイエンスを学んだような人ばかりでした。でも、入社してから受けた3ヶ月間のトレーニングのおかげで、彼らと肩を並べて設計やコーディングができるようになりました。8年ぐらい、ありとあらゆるシステムのプログラミングを手掛けましたね。

――そして、1996年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に移られた。「Windows95」が大きな話題を呼び、インターネットが爆発的に広がり始めたタイミングですね。

平岡 パソコンのOSをリードするのはマイクロソフトだと見ていました。その頃、マイクロソフトの伝説のプログラマー、デビッド・カトラーの『闘うプログラマー』という本がベストセラーになって「この会社に行けば、技術の本流に加われる」と考えたこともきっかけです。

――マイクロソフトでは、どんなお仕事を?

平岡 当時のマイクロソフトは主にコンシューマーを対象としたビジネスでした。そこからエンタープライズのマーケットに参入するには、IBMなどのメインフレームとの接続が必要になる。そこで、メインフレームに精通している人材を集めてコンサルティング事業部がつくられて、私も配属されました。そこで、コンサルタントとしてのキャリ...

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