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実験映画を観に行った

寺山修司の実験映画を観に行った。
寺山修司で高校を辞めた私だが、令和の年号になって彼の実験映画を観れるとは思わなかった。しかも未見の『ローラ』という、人がスクリーンの中に入る作品も観れるとはうれしすぎる。人生は予測できなくて、何が起こるかわからなくて楽しい。

実験映画というのは基本短編ではあるが、短編映画とは違う。
お話がメインではなくて、「映画という媒体でどんなことまで可能なのか」という問いかけがメインのような気がする。

今は観客は安心して観るだけなのだが、寺山修司はそういうのに納得していなかったのか、「どこまで観客を観客のままで居させないことができるだろうか?」みたいな試みをやっていたように感じる(私が存在を知った時はもう亡くなられていた)。

今回一番はじめに上映した『草迷宮』は実験映画というよりは、40分の短編映画です。三上博史の映画デビュー作であり、伊丹十三も出てきます。見せ物小屋的な幻想的な映像が、混沌とおどろおどろしく美しい作品なのでした。こういう表面的なわかりやすい作品も残してくれて、私としてはありがたいです(なんと全編アップされていました)。


と、ここでなにやら小さなサイズのスクリーンを大人が4人くらいで、えっちらおっちらと舞台の上に運んで設置しました。なにかがはじまる予感です。

二番目の上映は『トマトケチャップ皇帝』で、運んできた小さなスクリーンに投影されました。この作品はナチスドイツ的な独裁政権下での兵士の姿を、すべて子供が演じるという映像で、今では「幼児虐待すれすれアウト」みたいな作品です。
映像は8ミリか16ミリの白黒だったりして、音は独裁政権の法律みたいのが読まれて、「ゆるい感じでありながら、ゾッとする感じもある」奇妙な雰囲気の作品です。

三番目の上映は『ローラ』です。画面の中のSM嬢みたいな格好をした3人の女が、スクリーンの中からこちらの観客席側を見て悪態をつつきはじめます。「そんな暗いところでなにやってんの?」「どうせアングラな作品だから、女のオッパイとか丸出しになるかと思って来たんでしょ」「ほらそこのセーター着てる男、お前だよお前、隣の女の足でも触ってみなよ」言いたい放題である。そこに後ろの方の観客席から落花生がポーンと投げられる。スクリーンの光が落花生に反射して光る。
するとスクリーンの中の女たちが落花生を投げた男を挑発しだす。「あんたなに投げてんのよ、なんならこっちに来てみなさいよ」などと女たちは言い、ついには落花生を投げた男は舞台に上がり、女たちの挑発に引っ張り込まれるようにスクリーンの中に入ってしまう。
そこからはスクリーンに入った男が女たちにもみくちゃにされる。服もズボンも脱がされ、しまいにはパンツまで脱がされる。

上映しているスクリーンに入るという想像はしてみても、実際に見てみると「こんな感じになるんだ」という発見があって面白い。男がスクリーンと交流しはじめると、会場の観客の空気がガラッと変わって、まるで色の違う蛍光色の液体が混ざり合うような、裏表がグリンとひっくり返るような、「観客席も安全地帯ではない」とか「なんかヤバいことになってる」みたいな奇妙な空気が会場に流れた。

スクリーンに入ることができるのは、正式に認定されたこの人だけなのでした。他の人が真似して入るというのは許可されていないので、この『ローラ』の映像とスクリーンに入る人はセットであり、どちらかが欠けても上映はできない作品なのでした。

四番目の『審判』は釘を打ち込まれる映像がスクリーンに流れる。巨大な釘を背負って歩く男とか、全て釘にまつわる映像である。映像が終わり画面が真っ白になる。すると白いスクリーンだけが舞台の上に存在しているのに気がつく。
その舞台に1人の男が上がっていき、下にあった釘を拾い上げて、スクリーンに釘を立てて硬質ゴムのハンマーを持って打ちはじめる。さっきの『ローラ』で使っていた舞台に置いたスクリーンだが、今作がはじまる前にまた大人が4 人ほど舞台にあがって一回りして、スクリーンを裏っ返しにしていた。だから今作で投影していたスクリーンは木の面になっているのであった。
「ガツンガツンガツン」とハンマーを打つ音が静かな館内に響く「ああ、これがスクリーンに釘を打つ作品か」と私は事前にネットで調べてネタばれしていたので、安全な観客席から見ていた。私は舞台に上がって釘を打つ気はなかった。このシーンをしっかり瞼に焼き付けておこうという気持ち見ていた。
しばらく何人かが舞台に上がって釘を打ってから、持ってたハンマーをリレーでバトン渡すかのように、次の観客に渡し出した。ハンマー渡された人は楽しそうに舞台に上がって釘を打っていき、断ってるような人は見当たらなかった。
舞台正面の前から3列目の席の女性が釘を打って戻ってきた。私は左の列なので関係ないような気がしていたが、なんとこの女性は私にハンマーを渡してきたのであった。私はクールに見ていたはずだったが、とんでもないことになってしまった。ここはモジモジしてハンマーを返すわけにはいかないので、私は「よっしゃ行くぞ」と心の中で言って、手渡された金槌を持って舞台に上がった。なんだか既に、釘を打ちたかった人は打ち終わったみたいで、もう舞台の上には誰もいなかった。
舞台の上には私だけであったが、もうここまで来たら後戻りはできない。結構この釘打ちタイムも長く経っているので、もしかしてフェードアウトでなく突然終了するかもしれない。
私は釘を打った。しっかり一本目を打った。まだ音楽は流れているので、スペースの空いてるところに二本目も打ってみた。本当に当たり前のことで申し訳ないが、なんだか釘を打ってみると、まるでさっきまで見ていた作品の表面に触れているような気がした。自分が持っている釘と金槌だけが光るスクリーンの上に見えていて、なんだかやけに光が眩しい。
こうして二本目を打っているうちにも、次の人がやって来るんではないかと思ったが誰も来なかった。私はこの作品初見だが、もしかしたらこれは私が終わるの待ちなのではなかろうかと、進行の心配をしてしまった。
ハンマーを持ったまま舞台を降りた私だが、観客席がハンマーを誰かに渡す空気ではないのにやっと気がついて、席に持って帰るわけにもいかず舞台の上にハンマーを置いた。私の置いたハンマーだけ舞台の上に目立ってしまっているが、これはいたしかたない。
ここでエンドクレジットが表示された。なんだか危ないところであった。

可能であれば「これってどこまで行けるんだろうか」みたいな、試行錯誤や新たな開拓をしていたような時代に行ってみたい。今回の催しではそういう時代の表面に触ったような気がしました。
その時代というのは狭く窮屈ではなくて、もっといい加減だったり、広かったり豊かだったりするような感じがします。


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