日本人ヘイトのポーランドのおばちゃんの話

確かに私は日本人である。だから国籍のところにはJapaneseと書いた。
でもその瞬間からこの宿の受付のおばちゃんは変わった。顔色が変わるなんてもんじゃなくて、私に対する態度はもちろん、顔の形や姿まで変わったように見えた。

まるで口の中に小さい虫が飛び込んだみたいに見えた。ふいに口に入った虫を噛んでしまったら、中から緑の体液が舌に流れ出て、臭くて苦いのが口の中いっぱいに広がる。思わずペッペッと吐き出すし、顔も苦味で歪む。
そういう顔で受付のおばちゃんは、日本人の私を見るのであった。

このポーランドの宿のおばちゃんにとって日本人というのは、どうしても許せない存在なのであろう。だって戦争の時にあのヒトラー率いるナチスドイツと同盟を組んだような、ちょっととんでもない国である。
武力で周りの国に攻め込んでいったのが日本という国であった。同じようにナチスドイツは周りの国に攻め込んでいって、隣接国であるポーランドを無理矢理に武力で占領した。
そんなナチスドイツが作ったアウシュビッツという強制収容所というものが、ここポーランドにかつて存在した。そこに送り込まれた数百万単位の人が殺されたのであった。

そんなアウシュビッツ跡を見に来た日本人が私である。でも面白がって見に来たってわけではないと思っている。
『アンネの日記』をはじめて読んだ時も「なんでこんな虐殺なんてことが起こるのだ」と思ったし、その後に何冊も本を読んで、ドキュメンタリーや劇映画を何本も観た。

もちろんこれは興味ではあるのだが、面白がってってわけではないと思う。
同じ人間なのに、なんでこんな事を起こすのだろうか?とか、どういう経緯があってドイツはこんな国になってしまったのだ?とか、なんでユダヤ人が標的になってしまったのだ?というような疑問が沢山あった。

だから、私もどちらかといえばこのおばちゃんの側かもしれないのだ。戦争中のナチスドイツのヒドい行いは許されることではないし、日本人の行動も許されることではない。
でもそんなのはこのおばちゃんにとっては関係ないようで、日本人というだけで、完全にロックオンされてしまっている。その攻撃は私という人間が立ち去るまで私に対して続くであろう。平和的な対話で打ち解けて、握手を交わすなんてことは、まったく考えられないような雰囲気だ。

次の日は朝からアウシュビッツ跡に行った。生きてる間にどうしても来たかった場所であったので感慨深かった。アウシュビッツ跡は展示施設になっていた。収容所に入れられた人々のカバンの山、衣服の山、髪の毛の山の前で吐きそうになった。人体実験の棟は一時的に公開中止になっていたが、公開されてもまともに見れなかったかもしれない。
ガス室跡もかなりキツイ場所であった。シャワーを浴びるとダマされて連れてこられて、毒ガスで殺される。いったいどういう思いで亡くなっていったのであろう。なんとか気力を振り絞ってその日は見終わった。

夕方宿に帰ってくると受付におばちゃんが居た。
「あなたの荷物は全部捨てました」と事務的に言われた。理由は「今日も泊まるとは聞いていないので」ということらしかったが、別にこの宿が満員で、誰かを追い出さないと次の人が泊まれないということではない。どちらかといえばガラガラのオフシーズンである。
ちゃんと連泊予約しておかなかったのは、こっちにもツッコまれる隙があったとは思うが、何故だかおばちゃんの憎しみの思いに対して、過剰にこちらも反応してしまったようになっていて、ささいな言い合いにもなっていたし、言ってもちゃんとした対応してくれないので、出る時も受付がこのおばちゃんだったので連泊の件も言そびれてしまった。

私はかなり怒って、英語に大阪弁が混ざった言葉で大声で捲し立てた。するとおばちゃんは大袈裟に耳を塞いで「まあ恐ろしい、だから日本人はイヤなのよ」「ああ恐ろしい、コロサレルー!」みたいに言ってるように見えた。サッカーのペナルティーキックの時に、選手がするようなわざとらしい動きみたいだった。
「荷物を返せ!」「もう捨てた返せない!」「荷物を返せ!」「もう焼却処分した!」とかの言い合いになった。しばらくしてやっと支配人が出てきて、支配人は私らではなくおばちゃんを見て少し呆れたような表情をした。「またあなたがやらかしたんですねえ」みたいな感じに見えた。
支配人とは普通に話ができて、荷物もしぶしぶ戻ってきた。実際には捨てられてなかった大きな黒いリュックが、申し訳なさそうにうなだれて椅子の上に置かれていた。

私は日本人だけど、戦争の時に武力で他の国に攻め込んだわけではない。私は日本人だけど、戦争の時にはまだ生まれてなかった。なのになんで日本で生まれたってことで、こんなにも憎まれないといけないんだろう。
ドイツだってもうかつてのナチスドイツってわけじゃない。むしろ過去の大きな過ちに対してどう向き合うか、もう二度とあのような過ちを起こさないようにしないといけない、そういう雰囲気が今のドイツからは感じられる。

憎しみをぶつけられると、それを憎しみで相手に返そうとしてしまう。殴られたら殴り返せみたいになってしまう。でもそこで相手にしなければよかったのである。相手の挑発に乗らなかったらよかったのである。

別に背負ってるつもりはないのだけれど、私が日本人ということは隠しようがないし、変えられないことだ。

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