見出し画像

ファッションモデルin韓国

私は現在、東京を拠点にファッションモデルとして活動している24歳男性。
この仕事のために京都から上京して3年目になる。

IRENISA 23AW COLLECTION

そして今、仕事で韓国にいる。
なぜ韓国にいるのか大雑把おおざっぱに説明する。
ファッションモデルという仕事において、外見の特徴や国籍がそのマーケットでマイノリティ(いわゆる外国人モデルなど)であることは有利に働く場合が多い。
なのでモデルは、仕事のために数ヶ月単位で外国に滞在することがある。
私も今回、トータルで3ヶ月間韓国に滞在する予定だ。

渡韓日2023/08/01(成田空港)

まず結果から言うと、母国である日本にいる時より断然韓国の方が仕事が多い。
今年に入ってからで言うと、東京にいる時は平均して仕事が月4本あるかないか。 

だが今韓国に来て1ヶ月半経過、やった仕事は14本。
幸運なことに私のルックスが韓国のクライアントになかなかウケているようだ。

しかし今回主題として書きたいのはその差異ではない。
仕事の数をこなすにつれて、私の中でモデルがどんどん”仕事”になり始めているという変化だ。

一体どういうことか。
まずモデルを始めた理由としては、私が凄くナルシストだからである。
カッコいいと言われるのが快感。
容姿を使ってお金を稼ぎたい。
花形職業に就きたい。
そんな風に思っていた大学生時代、偶然街中でモデル事務所のフォトグラファーに声をかけられた。
事務所のHPを見て問題なさそうだったので、二つ返事でOKして契約した。

ちなみにこれはアメリカ留学していた頃なので、当時は何が何だか分からず学生ついでにモデルをやっていた。
仕事はほとんどなかったし、たまにやる割の良いバイトくらいのものだった。

アメリカで撮影のために人生初坊主

その後モデルに本格的に挑戦してみたいと思うようになり、日本へ帰って東京のモデル事務所に所属した。正直最初は驚くほど上手くいかなかった。

上京して最初の1年、やった仕事はわずか3本。
勿論生活できるわけがないので、生活費は完全にアルバイトでまかなっていた。
モデル活動をするために東京に来たのに、たまにキャスティング(仕事のオーディション)に行くフリーターである現状にストレスを抱えて、摂食障害せっしょくしょうがいを引き起こした時期もあった。

2年目は少しずつ仕事は増え、冒頭で書いた理由でショーシーズンに2ヶ月間のイタリア挑戦もした。それでもモデルは未だに「たまにある楽しい仕事」だった。

イタリアでの初ピザ

3年目になり、モデルとバイトの収入が半々くらいで生活できるようになってきた。
そして韓国へ来て初めて、スケジュール的にもモデル1本で生活が成り立つであろうレベルの「モデル活動」を体感することとなった。
撮影が無ければ平日は毎日キャスティングが1〜3本、撮影は土日も含めて週2〜3本といった感じ。
ずっとモデルとして生活できることを目指してきた自分にとって、とても喜ばしいことだ。

しかしそれと同時にこの体験を経て私の中で、モデル活動というものが刺激物から仕事へと変わり始めていた。

簡単にまとめると「モデルに慣れてきた」ということなんだろう。
そう書くと当たり前のように感じるが、私は正直少し困惑している。
モデルという職業は、自分の特性や欲求を考慮すると私にとってかなり的確な選択だと思う。
実際にモデルの仕事は凄く楽しいし、完成した写真を見るのも幸せな瞬間だ。
だがそこに「たまにしか出来ないから」という要素も少なからず入っていたのが自分の中で驚きだった。
少し込み入った話になるが、その理由は韓国で私がやっている撮影の種類による可能性もある。

韓国での私の仕事がほとんどはEC撮影(人が着用した状態の服や靴の商品撮影)なので、以下のようなシンプルなポージングと表情で、商品をわかりやすく綺麗に見せることを目的としている。

1日で50着ほど撮ることもよくある。なのでこの韓国滞在だけで、モデルなどの被写体業をしていない人の1年分くらい着替えた気がする(笑)

要するにEC撮影は正確性とスピードを求められる、少し作業的な一面をもつ撮影ともいえる。

これまでモデルの仕事は私にとって「お金が貰える趣味」と言っても差し支えないものだった。
遊び感覚でやっているという意味ではない。趣味と言っていいほどお金という対価を理由に働いてる感覚がなかったのだ。
だから、ギャラがいくらであれとにかく沢山モデルの仕事がしたいという気持ちだった。

だが韓国で沢山働いてみて、私の中でモデルに対して仕事という感覚が芽生え始めた。
感情的な面だけで捉えれば悪く聞こえるかもしれないが、これは別の側面で良い変化を生んだ。

これまでよりも細かいことに意識が向かう。
今まで気付かなかった自分のポージングの無駄の多さ、不要なかたむきやりきみ、真っ直ぐ立っているつもりの自分の姿勢が、どれほど歪んでいたか。

「自分が楽しいからやっている」が動機を占めていた時よりも、深く細かくクライアントののぞみに思考が広がる。
「モデルは服が主役」この言葉も理解してるつもりだったが、楽しいから撮影をしていた頃は心底では自分を主役に置いていたような気がする。

この意識が芽生えて、やっと私にとって重要な問題と向き合い始めることができる。
「いつまでモデルをやるのか」
これまで自分自身や、周りの人達が何度もこの疑問を私に投げかけてきた。
しかし全く現実味をもって考えられなかったが、その理由が今ならわかる。
今まではモデルが「お金を貰える趣味」だったからだ。
それでは仕事としてモデルをどう続けていくのか、考えられるはずもなかった。(少なくとも私にとっては)

東京に来てモデル活動をした3年間でも、意識して生きてみれば自分の中に多くの変化があった。
当初はモデルをやること自体が目的だった自分も、今ではモデルを社会と関わる1つのツールとして捉えている。そしてその接触により自身に起こる変化を楽しむための人生である。

韓国での自身の変化を経て、今後私がモデル業とどう向き合うか、先をどう設計するかはまた別の記事で書こうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?