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【映画】デューン 砂の惑星 PART2

デューン関連ですと過去の関連体験は……
リンチ版『デューン/砂の惑星』(1984)はTV放送で鑑賞。
ドラマ版も見逃しつつ、原作読みたいなーとずっと思ってたのですが(文庫の1冊目だけ確保して未読だったのですが)、ヴィルヌーヴ版ができることになってハヤカワ文庫で新訳が出たのでそれで読みました。
同じ頃、配信で『ホドロフスキーのDUNE』も観ました。
で、完成したヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン 砂の惑星』を観て、なんと素晴らしいとうっとりしました。
映画を観て「うっとり」したというのが珍しい体験です。
私にはこれこそが最高に美しい、見事な美術作品や音楽と同じような芸術体験でした。
物語は知っているので、それがどのぐらい再現されているのかという観点だし、再現度が高い上に極めて美しいということがとても重要でした。
個人的には2021年のベスト映画でした。

ということで今回の2作目。
残念なことに、前日長時間の運転をした疲れが残っていたようで、後半は眠くなりながら観ていました。
そんなわけで、これが面白い映画だったのかどうか、いまひとつ判断しきれません。
思えば前作も、そんな感じだったかも。
娯楽映画の面白さとは少し違うけどとにかく美しいという『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』に並ぶような映画かもしれません。
ヴィルヌーヴは『ブレードランナー2049』撮ってますが、あれはちょっと面白すぎてて、1作目に並ぶような孤高の美しさには欠けるという感じでしたね。
キューブリックやリドリー・スコットを前にこんなこと言ったら「面白い映画を作ろうとしてたことには変わらないぞ!」って怒ると思いますが、そこが映画の難しいところ。

さて今回の2作目も、みごとに映像になっていることに対する感動は変わりません。
いろんなことをきちんと映像化しており非常に美しいです。
ベドウィンやイスラム教徒など、中東っぽいフレメンの文化がしっかり映像化。
今回面白かったのはハルコンネン男爵の闘技場のあたりですね。
モノクロ映像で主要舞台のアラキスとの違いを出していますが、液体(しかも毒薬っぽい)みたいな飛び散り方をする「花火」? など、どことなくH.R. ギーガーを感じました。
『エイリアン』のクリーチャーをデザインしたギーガーですが、彼の描くディテールのすごいバイオメカノイドの絵と、今回の映画の闘技場は全然違ってシンプルなデザインですが、それでもなんとなく、墨のような色味がギーガーテイストではないかと思いました。

フランク・ハーバート『デューン砂の惑星』の映画化を企画した最初の監督、ホドロフスキーはギーガーを招いてハルコンネン男爵の城などを描かせているわけですが、そのイメージは今回の映画にも影響していると思えるわけです。
そう考えると、ギーガーを映画の世界に招いたホドロフスキーの果たした役割は絶大ですね。

また前作に続き俳優が非常に豪華なだけでなく、その魅力を最大限引き出す演出が行われていると感じました。
人物のドアップが多くて、IMAXのスクリーンで観てるから視界におさまらないぐらいのデカい顔を見せられます。
これが実に素晴らしい。
前作に続きレディ・ジェシカ役レベッカ・ファーガソンとポール役ティモシー・シャラメの美しい顔をドアップで観られるのも大変素晴らしいですが、今回はフェイド=ラウサを演じたオースティン・バトラーが、一見不気味でよく見るとハンサムという魅力的な悪役になってました。

IMAXレーザーでの鑑賞は、スクリーンの大きさもさることながら遠慮なく出される大音量で、本作は特に低音をものすごく響かせるので、終始シートが震えてる感じでした。
これが実に良くて、この音を体験するだけでも劇場鑑賞の意義は十分あるというもの。
それが気持ちよくて眠くなったわけでは多分ないでしょう。

物語はおおむね原作通りに終わっていくんですが、一応のハッピーエンドに対し、原作では続きが書かれていて『デューン砂漠の救世主』という2作目があります。
これが映画の3作目となる構想のようです。
今回の映画シリーズは初めから二部作、三部作と決めて製作が始まったわけではなく、一作目の興行が良ければ二作目が作れる、という体制だったようです。
一作目タイトルに「PART 1」とか入ってなかったのは仕方ないのですね(作中にはその表記があった記憶)。
三作目は製作決定なのかな?
二作目は世界ではヒットしているようなので(日本ではイマイチみたいですが)多分作られるでしょう。

で、その三作目ですが、『デューン砂漠の救世主』 は読んだからわかることですが、思いがけない悲惨な話になっていきます。
その伏線・布石がかなり濃厚な演出で今回の二作目が終わっていくのがイイですね。
ポールが成長して救世主になった……という場面であっても、すでにどこか憂いを含む凄みが顔に出ているような気がして、『砂漠の救世主』に繋がるなあと思わせました。
『DUNE』は『風の谷のナウシカ』の元ネタのひとつなので、巨大な虫とともに主人公が世界を救っちゃうんですが、そこで話が終わらず、その後様々な難しい局面があらわれてなんとも複雑な結末に向かっていくところも似てます。
そこまで語ってはじめて、物語が成立するんだよなあ……
というわけでDUNEの続きが作られそうで良かったし、ナウシカも続きが作られるべきだとの結論?でした。

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