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【映画】オッペンハイマー(二回目)

長男が観たがっていたので、二回目いってみました。
IMAXなどの上映はもうなく小さめのシアターでしたが、大型連休中とはいえ公開1ヶ月を経過した作品としてはずいぶん席が埋まっているように見えました。

二回目ともなると、急に場面が飛ぶ独特の編集も気にならず、だいぶ整理して観ることができました。
一回目では面白く感じた、実験から投下後の講演までを描いた第二幕はそれほどでもなく、眠いなってなりましたね。
そのぶん、第一幕と第三幕の面白さがよくわかりました。

第一幕では、若い科学者たちの群像劇のようになっていて、いろいろな科学者が次々と出てきて核分裂という新しい現象や、量子力学という新しい物理学の枠組みに直面してワクワクしているのが感じられました。
オッペンハイマーが量子力学の講義を始める時に、ひとりだけ席に座っている若者の目の輝きが印象的です。
要するにこれが、戦争という外部状況で「調子に乗って」巨大プロジェクトにつながっていく、一種の若き過ちのようでもあるのが第二幕というわけですね。
だから高揚感があるのも無理はないのでしょう。

第三幕は、複雑な場面展開でややこしい会話をひたすら行う構成なので、長いなって初見時は思ったのですが、今回はむしろこれが最もエキサイティングな場面に見えました。
聴聞会と公聴会を行き来しながら、いろいろな回想を織り交ぜており、ジェイソン・クラーク演じる弁護士に追及されるところをクライマックスとしています。
基本的にストローズが悪役になることで対立関係は明確でわかりやすさをキープ。
しかし、いろいろな関係者が次々と出ては複雑な心情や立場を表明しており、まさしく毀誉褒貶の中、「(原爆開発)やっちゃったなあ……」という気持ちに追い込まれていくのがよくわかりました。

ストローズの悪役ぶりはやはり明確で、そういう勧善懲悪って本作のコンセプトに合うんだろうかという思いは残るのですが、オッペンハイマーのストローズへの態度はひどいなあとあらためて思いましたね。
会って最初に「靴売りせざるを得なくって」とか話すストローズに「卑しい靴売り?」とか言ってて、原語でどう言っているかは聞き取れなかったのですが、「同じユダヤ人だからってそんなこと言うのどうかと思うよ」というところですよね。
そこでストローズがそんなに強い反応をしていないので初回は気づかなかったところでした。
万事そんな調子なので、あらゆる場面でストローズの怨恨が醸成されたとわかります。

二回目だとセリフ聴き取りにもチャレンジするのですが、みんな早口で難しいことを言うのでそんなにヒアリングできませんでしたね。
一回目でも気づいていたことではありますが、リンゴの場面で「虫食い(ワームホール)」って言ってて、オッペンハイマーが予言したブラックホールにかけているなあと思ったりもしました。

物語の理解が深まると、それぞれの人物がそれぞれの立場でそれぞれに考え悩むさまがより理解できてきます。
ストローズの気持ちも理解できるようになるし、米国の立場と気持ち(?)っていうのも理解できてきました。
ナチへの怒りと恐怖が原爆開発を駆り立てる戦中、その相手がソ連にかわり、戦中と同じロジックで核開発を進めなければならなくなり、共産主義関連の人がソ連に通じていることを疑ってしまう戦後の冷戦時代。
相手のことがわからなくて怖いから確実に制圧したいと思って、人類を滅ぼせる兵器まで作ってしまうのは、まさに恐怖に支配された世界だと思わされました。
ストローズもまたその恐怖に駆り立てられたともいえるし、恐怖を煽ったともいえます。

しかし事実としての戦後は、いくら葛藤があろうが「やっちゃった」あとの世界です。
もうやらない、やるべきではないとの意見を持つオッペンハイマーですが、それもまた、一種の御都合主義にも見えてしまいます。

ラスト、オッペンハイマーが目を閉じることで映画が終わっていました。
広島の写真から目を背け、自ら思い描く人類滅亡のビジョンにも、目をつぶる。
このような描き方で、ノーランがオッペンハイマーに厳しい目を向けていることがわかりました。

(フォー・オール・マンカインドのセルゲイ役の人が出てると思ったのは間違いで、ハイゼンベルク役の人がそうかなと思ったのですがマティアス・シュヴァイクホーファーという人。セルゲイは、ピョートル・アダムチクさんでした)

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