モラトリアムおじさんになりたくない
「あんまり頑張りすぎないように」
わたしが個人的にもっとも多く受け取るアドバイスがこれだったりします。
どうやら、頑張りすぎる体質みたいです。
妻にも言われますし、カウンセラーにも言われます。
でも正直なところ、この言葉の意味がよく理解できていません。
「あんまり頑張りすぎないように」
つまり調整してくださいねってことだと思うのですけれども、頑張りすぎようと思ってるわけではないので、どこをどう調整したらいいのか、よくわからないのです。
ハチに「あんまり飛びすぎないように」と言っても「?」でしょうし、クジラに「あんまり大きすぎないように」と言っても「?」でしょうし、ハトに「あんまりくるっくーしないように」と言っても返事は「くるっくー」でしょう。
働き始めた二十歳ぐらいのころから、社会の様々な人の姿を見て、あるカテゴリの人たちが気になるようになりました。年代でいえば中年層です。性別はなぜか全員男性です。そしてある程度の役職を持っていることが多かったように思います。
彼らは仕事に対しては意欲が薄く、いかに楽をするかを美徳としていて、同時にいかに責任を被らないで済むかを常に考えて行動していました。
そう、彼らは定年を意識しはじめたモラトリアムおじさんだったのです。
若いころに全力で会社のために尽くしたのでしょう。それこそ、徹夜はあたりまえ、休日返上、夜討ち朝駆け上等。プライベートは会社の神棚に奉納して生きてきたのだと思います。青年期がないまま気がついたら中年になってしまったのです。
その彼らが、プライベートを取り戻そうとしているのは、わからない理屈ではないのです。彼らにとってみれば、やっと順番が回ってきたのですから。
でも私は軽蔑しました。
心から嫌いでした。
ああなるまいと思っていました。
気がついたら、わたしはすでに中年の入り口に立ち、彼らと同じカテゴリに入りました。若者ではなくなったので、彼らを軽蔑することで何かを成し遂げた気になれる特権は失っていました。いまはただ単に、自分の行動が問われているのです。彼らと自分が違うというなら、行動で証明しなければならないのです。
頑張らないということは、モラトリアムおじさんになることを受け入れること。
果たして、そんなことができるだろうか。
あれだけ軽蔑していた彼らと同じ存在にならなければいけない。
それはそれで、ものすごくストレスですし、かえって頑張らないと、そのストレスと向き合うのは難しいかもしれません。
だからまだ抵抗していたいと思うのです。
身体と心のバランスを崩すほど頑張ったあとで言うのもなんですが。
モラトリアムおじさんには、まだなりたくないのです。
電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)