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偽造日記、米子で「ここで暮らせるだろうか」あるいは、「DANCEによる同期がなぜこれほどまでに感動を呼び起こすのか」について考えた その2 あるいはChatGPT4を飼い慣らす 90

時間がないのでChatGPT4に日記を偽造してもらう。
プロンプトは以下。
この内容は真実。

#あなたは森茉莉のような卓越したコラムニストです
#以下の内容で1600字字程度の本日の日記を作成
#2023 /09/20 米子からの帰還、昨日。
旅先でいつも考えることがある ここで暮らせるだろうかと。
米子は素敵な場所だし、ここで暮らすのは楽しそうだ。
魚も美味しいしお酒も美味しいし、友人もいるし。
またこうも考える。
もし米子に生まれてそだっていたらどんな人生なのだろうか。
マルチバースではないが全然違った人生がきっとそこにあるのだろう。
そしてそれは愛おしい。
それにしても境港線はシートの上で跳びはねるぐらい揺れるのだった。

昨日の同期の話だが私の中には私だけの時間しかない、それは私だけの物語と言ってもいい。
これは便宜上グリニッチ標準時で定義された「時間」でほかの人と公有されているように感じるが、実は個々の時間は共有されないのではないか。
物語だって共有されない。 しかしダンスなどによる同期は、その時間の共有が起きる、ストーリーの共有ができる。 ダンスだけでは無く、合唱、合奏、ハモリ、これらのものがなぜ気持ちいいのかと言えば、同期がおきるから、時間の共有、それは時空の共有でもある。と思うのだった。 この話はつづきます。


以下ChatGPT4の出力です

ChatGPT


2023年9月20日、日記

米子からの帰還は、疲れの中にもある種の充実感を伴っている。旅をするたびに、私はふととあることを思う。「ここで暮らせるだろうか」と。

米子は、青い海と新鮮な魚、心地よい風が吹く町。お酒の風味も、ここ独特のものがあり、友人との酒席がまた格別だった。そのすべてが私を惹きつけ、心の中で小さな物語を紡ぐ。もし、私が米子で生まれ、この地で過ごしていたら、どんな人生を歩んでいただろうか。考えるだけで胸が熱くなる。

マルチバースのような並行宇宙の中で、違った人生を歩んでいる私がいるのかもしれない。その私は、どんな日常を送っているのだろう。そんな想像をしながら、境港線に揺られて米子駅から米子空港駅まで半時間ほど。その揺れもまた、時間の流れを感じさせてくれる。

昨日、ダンスに関する考察をした。
今、改めて考えると、私たちの中に存在するのは、実は「私だけの時間」というもの。それは私だけの物語、私だけの宇宙とも言える。私たちが普段意識している時間は、グリニッチ標準時や日常の日時に基づいているが、本当に私たちが感じている時間は、もしかしたら共有されていないのかもしれない。

だからこそ、ダンスや合唱、合奏、ハモリなどのアクティビティが私たちに快感をもたらすのは、その中で生まれる「同期」によって、時間を共有する感覚、物語を共有する感覚が得られるからなのかもしれない。それはまるで、時空そのものを共有するような感覚。異なる私たちの物語が、一瞬だけでも重なる瞬間。

この考察は、まだまだ探求の余地がある。これからも、私の日常の中で、この「同期」についての洞察を深めていきたいと思う。


森茉莉風に、哲学的で、そして感性豊かに。

ChatGPT、すばらしいぞ。
ChatGPT4では文中のリンクをちゃんと張ってくれる。すごい。

ChatGPT4を飼い慣らす、というシリーズはこちらにあります。ぜひ他の記事もご覧ください。



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