#7 音階と言語
武満徹と木村敏の対談を読んで、なぜか思い出した先輩の修論の話から、ソシュールの話へと飛んでしまったけれど
偶然か必然か、こんな一節を見つけた。
丸山は言語が差異でしかないことを、音階のアナロジーを用いて説明している。
もちろん丸山が言いたかったことは、最初から世の中にドという音が存在した訳ではない、ということなのだろうが
「この音階を用いて作曲家が一つのメロディを生み出した場合に、はじめて作曲家の意味志向が分節されて一つの意味が生れる」
という部分に、武満はどんな反応をするだろう。
武満は「この音階」そのものに、苦しめられていたのだから。
「この音階」で出来る「意味」の「分節」には限界がある。
だから「この音階」そのものを越えていかなければならない。
これを言語のアナロジーへと戻すならば、作家が言語そのものを越えないといけないということだ。
音階と言語。兄弟なのかも。
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