わたしの大切な人たちへ
10年くらい住んでいた西荻窪で、
10年近く仲良くしてもらっているぴんくちゃんのお誘いにより、わたしは今日ライブをする。
調子は良くない。
そんなことを言うべきではないのかもしれないけれど、わたしの人生、大体調子がいいという日は
思いあがって空回りをしているだけが大概なので、これくらいの恐縮具合でいいと思う。
朝、起きた時、肩が凝っていた。
思った以上に疲れていた。
親知らずを抜いてバランスが崩れた身体が、無理をして帳尻を合わせようとしていたことに気づかなかった。
最近、実はあまり食べていなかったことにも。
「これくらい大丈夫だろう」
そんなに強くないのに、ぎりぎりを攻めていくのは、諦めの悪い性格を反映しているなあなんて思う。
お昼ご飯に、お茶碗にいつもより少し多めにご飯を盛って、ふるさと納税で注文したぶりの切り落としの刺身に卵を落として食べると、ちょっとずつ力が湧いてきて、身体中の凝りが取れていった。
だから、西荻窪のアートリオンに着いてぴんくちゃんに久しぶりに会って、いろんな話をすることができた。
昨日は、久しぶりにとても素敵なお姉さんにご挨拶をしてきた。
今年の1月の話になるけれど、これまた、とっても素敵な憧れているお姉さんとお酒を飲みに行った。
最近は、再会したばかりの高校生の時からの女の子のお友達とものづくりをしている。
そういえば、湧ちゃんともちょくちょく会っている。
クッキーを食べたり日向ぼっこしたり。
年下のギターを弾く女の子とも時々連絡をする。
元々、インドアで特定の人たちとだけの世界を好んでいたわたしにとって、こんな魔女の宅急便に出てくるようなキラキラした女性たちと、丁寧に会話を通じて、人となりを知って言葉をひとつひとつ落としていくような時間を大切にできる人間になることができたのはなぜだろう。
相手の感情を大切にしたり、言葉を一つ一つ選んだりすることは、自分の一部をラッピングしてプレゼントするようで、とても愛おしい作業だなと思えるようになったのも。
10代のころ、バイトをしていた楽器屋の女性の先輩たちもそうだ。
男性も、10年ぶりくらいに会う九州のイベンターさん、同じく楽器屋の先輩など、
「綾香ちゃんだよね?」
と、顔を見て声をかけてもらえる邂逅があった。
「結構変わったと思うんだけどなあ」
と自負しているので、
多分あまり変わっていないのだろうなあと少しだけ不服な部分もあるけれど。
何か、多分、良くも悪くもその人たちにとっては
思い入れのある瞬間を残すことができていたのかなあと思いあがったりもする。
黒歴史じゃないといいけどな。
時々、思いもよらない形で、
誰かの大切の一部になっていることがある。
もしかしたら、あなたの読んでいる漫画や小説のキャラクターのネタ元が知っている人かもしれない。
とても豊かなことだと思う。
わたしの大切な人たちが、
わたしを大切にしてくれた人たちが。
いつか、わたしの作ったものや書いたもの、
それらにわたしの名前があってもなくても。
陽だまりのような
「なんかいいな」
というあたたかな感情を得てもらえたらいいなと
今日は思っている。
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