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乳がんが分かったとき、整理収納アドバイザーとして起業して書き始めたブログはまったく書く気になれず、乳がんブログを書きはじめました。
読み返していたら、手術中お世話になる義母が大荷物を持ってきたので、息子が「旅行に行くのか?」と聞いていたエピソードを読んで、ほっこり。

ほんのちょっとだけ自分のモノの見方を変えれば、ストレスもストレスじゃなくなる・・・と気がついたのも乳がんが分かった頃でした。

こちらでは、私の乳がん治療の体験や選択についてお話させていただきます。

乳がんの治療はオーダーメイド治療

2011年10月、胸のしこりを見つけ、これまで当たり前にあると思っていた私の十年後が真っ暗闇になりました。近医で手術の予約をし、あとで後悔しないようにセカンドオピニオンの病院で話を聞くことにしました。インターネットで検索していると体調が悪くなるので、私は必要以上に調べることをやめていましたが、その前夜、先生に何を聞いたらよいのかを考えるために調べていると、乳がんの手術と同時に乳房再建術を受ける方法があると知りました。
乳がんの治療は、オーダーメイド治療と言われています。非常に選択肢がたくさんあります。選べる半面、何を選択していいのか悩んでしまう方が多いんですね。
私は、母が胆のうがんと分かったときには転移があり、手術も何もできなくて54歳で旅立った悔しさから、外科的手術を先にすることを強く希望しました。一刻も早くがん細胞を取り除きたかったのです。なので、術前抗がん剤治療をすすめられましたが、先に乳がん摘出と同時に乳房を自己組織で再建できる病院を紹介していただきました。
私の決断が潔くなった理由は、お片づけをしながら、モノと向き合い、自分と向き合い、優先順位を決めながらいろんなことを判断していく手順を学んだからです。すすむ道を決めたら、覚悟して貫く強さを学びました。

失ったものへの喪失感は受け入れられない

手術後、自分の胸を見てびっくりしたことは、乳房が凹んでいたことです。術中、断端に陽性反応が出て、再度摘出し、残った脂肪が少なくなってしまったのです。なので、乳頭・乳輪を一度切り離して、移植してくださいました。けれど、乳輪は定着したものの、残念ながら乳頭は腐ってなくなってしまったのです。
手術前に、胸の形よりもがんは残さないことを優先してくださいとお願いしていたので、胸が小さくなったことは後悔していません。けれど、押しつぶして凹んだ胸を見た瞬間はかなり落ち込みました。
私は、理学療法士として、失ったものを数えるのではなく、残っている機能を最大限に使って生きる・・・そう学んできました。けれど、失くしたものを受け入れることはできないと気づいたのです。失ったものは取り戻せないけれど、最先端の医療技術で取り戻せるものもあります。
2013年7月にインプラントを使った乳房再建手術が保険適応になりました。さらに、乳がん治療の選択肢が増えて、術後の乳房喪失感で悩む方が少なくなっているのではないかと思います。

1年後、乳頭再建にのぞむ

放射線治療を経て、乳頭形成の手術の予約を入れたあと、術後1年検診で、肝臓、腎臓の脂肪腫などがあった事実が発覚して、またショックを受けました。私の体の中には、いくつのコブがあるのだろうと。もし1か月後に死ぬことがあっても、手術をする。そう決心し、乳頭再建の手術を受けました。手術前、麻酔の注射が痛いからねと看護師さんに説明を受けました。そうしたら、本当にものすごく痛い。私の手術方法は、健側の乳頭を切り取って、患側に移植する方法です。術後、ドーナツ型のクッションを4週間ほどあて保護して晴れて完成です。

私の手術の縫い目は、40センチほどあります。主治医に、「素人にはわからないよ」と言われていましたが、温泉旅行でも、友人は全く気づきませんでした。

旅立った友人たちへ、そして今を生きている

乳がんを患ってから楽しかったことは、同じ病気を共通項として、20代から60代と幅広い友人ができたことです。患者会がなぜ存在するのか、身をもって分かりました。けれど、知り合った友人の中で旅立っていた方もいらっしゃいます。そんな悲しい別れも経験しました。
それでも、今、自分の足で移動して、食べたいものを食べ、自分の意志で行動しています。そんな何気ない日常が一番の幸せだと気づきました。がんになってよかったかと聞かれれば嫌だと答えますが、これがキャンサーギフト(がんからの贈り物)だと思っています。
こうして生きている限り何でもできる。そう信じて、新しいことにチャレンジ中です。私の夢は、おばあちゃんになって老人ホームに入居しても、編集者さんがきて下さって、執筆のお仕事をしていること、かわいらしい占いおばあちゃんになっていることです。

息子へのラブレター

手術日が決まって、今後の治療のことがあるので、私は小学2年生の息子に乳がんのことをきちんと話すことに決めました、なぜなら、その後治療が進んだ時に、私が体調の悪いこともあるので、息子に我慢や協力してもらう必要があったからです。
そして、入院日が近づいてきたある日、息子に、「お母さん、手術が失敗したらどうなるの?」と聞かれました。息子は、がんは死ぬ病気、そして手術は失敗することもあると理解していました。私は、「お母さんは絶対帰ってくるからね。大丈夫だから。」とここ数年封印していた‘絶対’という言葉を使って言い切りました。
そして、ホルモン治療が決まった日、「お母さん、僕はヒマで困っているんだ。赤ちゃんがほしい。」と言っていた息子。残念ながら、子どもは授かれない治療なので、丁重にお断りしました。

そんな息子も今は高校3年生。現役大学合格目指してサポート中。
ちょっぴり反抗期やいろいろ悩みはあって怒ってしまうこともあるけれど、息子の成長を見守っていられることが幸せと思い出すようにしています。

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この体験記を、息子へのラブレターにさせていただきます。

あなたを残して旅立つことだけが怖かった母より。

まとめ

乳がんの手術をしてから、今年の12月で10年になります。乳がんって、腫瘍を手術でとったら終わりではないのです。

「これからの治療の副作用が心配」「再発したらどうしよう」と不安と闘っています。
なので、乳がんの方は、「手術したから治ったよね?大丈夫だよね?」と言われると、「乳がんのこと(私)を分かってもらえない」と感じてしまうのです。
例えるならば、一人息子しかいない私に、「二人目はまだなの?」と言われたような感じです。
私は、途中で闘うことはやめました。

うまくいかない、しんどいなと感じたら、当たり前にある日常の幸せを思い出すようにしています。あのとき、息子を残して死ぬことよりも、つらいことはなかったよねと・・・そう思えば、たいていのことは大したことないと開き直って、気持ちを切り替えることができます。

乳がん検診を受ける、すすめるで早期発見!


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