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語るべきキャリアを何一つ持っていない人の転職ー私の場合①

もうこの職場でやれること、やりたいこと、すべきこともなくなってきたから、そろそろ転職しようかな。

会社側からやってきた「そろそろ」

幾度もの転職のきっかけは、私自身の心の中でこんな思いが充満することで、20代の頃は思ったが吉日とばかりに、辞表を書き始めていました。しかし、さすがに40代では動きが鈍くなっていたのか、「そろそろ」なんてモードで考えてたところ、なんと自分の意思でなく会社側から「そろそろ」と促されての退職…当時は退任ということになりました。

これ、結構ショックでした。

会社を辞めることそのものへのショックではなく、そろそろ彼氏と別れようかな、と思っていたら相手から「別れよう」って言われたのと同じという、このプロセスについてです。「別れる」ということは願っていたことだし、話を切り出さずに済んだわけだからかえって“ラク”だと今なら思うところですが、当時は自分から振っても「振られる」ということを自分のプライドが受け入れ難かったんでしょうね。数日で笑い話にはしてましたが、心のどこかで「捨てられた」感があったのは事実です。

自分のタイミングではない退職

今回ばかりは自分のタイミングではない退職ということもあって、「さて、これからどうしようか」の気持ちが追い付かないまま無職になり、私はまた幾度目かの仕事を探すことになりました。

当時は、私以上に心配してくれた周囲が、いつまでもグズグズしている私に転職エージェントを7,8社紹介してくれました。見込みのない人には面談さえしてくれないというエージェントの人に引き合わせてくれた方もいました。

しかしながら、その時の私の本音は、今さらながら本当に失礼で申し訳ないのですが、どうしたいかが自分で見えておらず、定まっておらずで気持ちは乗らず、「とりあえずプロフィールをもって来なさい」「まずは履歴書と職務経歴書を送って」言われるがままでした。

そんなプロフィールが、誰の目に留まるでしょうか。はい、誰の目にも留まりません。かろうじて3社ほど面接まで進みましたが、1次面接以上にいった会社はありませんでした。エージェントの社長まで紹介くださったケースも2社ありましたが、お情けでのご紹介を1社すらいただくことなく今に至り、あれから数年経っています。

学歴もない、資格もない、実績もない

さて、そのプロフィール。今、見るだけでも窮屈で辛いです。

なぜか。そこには経てきた実績を書かなくてはならないからです。どこに在籍し、どんな環境下でどんな仕事をし、そこでどんな実績を残してきたか…。周囲の厚意に応えたくても、私には書く内容が全く思い浮かばなかったのです。

ふと、過去に転職したいとおっしゃって私に履歴書を預けた人がいたことを思い出して、そのファイルを開けてみました。

するとそこには…有名私大卒業、アメリカの大学院卒業、MBA取得。新卒で大手自動車関連メーカーへ入社した後、外資系の誰もが知る有名実力派コンサルティング会社でブンブン腕を鳴らし、その後ヘッドハンティングで上場企業を役員として渡り歩いてきた足跡がズラーーーッと並び、社名の下には、在籍時にどれだけ業績に貢献したかが色鮮やかに描かれていました。正直、よくもまぁそんな数字まで記憶しているものだ!と思うほどに詳細に時期も数字も書かれており、これまでに聞いた話と違わない?という内容もありましたが、とにかく目を見張るような内容でした。

私はますます困りました。

まず、名まえを言えばわかるような学歴がない。
自動車運転免許証の他、仕事の足しになるような資格もない。
勤めた会社は10ほどあるけれど、それらほとんどが中小企業で、社名を言ったところで説明から始めなくてはならないくらい無名な会社ばかり。
そして、営業だからといってソロプレイではありませんが、自分の実績を見える形で表現できるような実績がない。

人と比べて失った自分の実績への自信

前出の方のように、自分のマネジメントで売り上げが…利益が…といえなくもない前職ではありましたが、自分がいたからの実績だ!と書けるほどの自負もなく、どこかで誰かが見て「盛ってる!」「嘘つけ!」なんて言われたくないなんてことも頭をよぎり、本当に書けなかったのです。

そうすると人間って、卑屈になってくるものですね。

そんなこと言われたって、私には何もないんですよ。書けったって、何があるんですか!ありません!

社会から否定されたような思い

いろんな仕事をしてきて、いろんな知識や経験もそれなりに持っているのに、そのあたりの話は全然聞いてくれなくて、エージェントは前職と同じ業界を勧めてくる。それだけは嫌だと言っているのに、どんな業界でも即座にキャッチアップするから紹介してくれと贅沢も言っていないのに、なぜ私は選ばれないのか。
そうか、こんな経験やスキルでは社会のお役に立てないってことなのか。それって、どういうこと?社会で不要ってことですか?ってことは存在すら不要ってことですか?

実はこの思考、1回目の転職での職探し模索期以来、無職期に一度は必ず陥る罠で、こんなふうに考える自分がいるのです。でも、そう、40代になると多少はズーズーしくなって、というか採用などもしてきた立場から「一緒に仕事をする、任せるって、そういうところを見ててわかるわけ?」と思う自分も出てきて、頭のどこかでこう考え始めていました。

違う、違う、そうじゃない!

私の働きは、こういうことじゃない!
これまで、こういうことで評価を得てきているんじゃない!

でも当時の私は、それを言語化することはできませんでした。親切なエージェントの方にアドバイスをいただき、履歴書と職務経歴書の型に自分を納めて仕上げたのです。

これで私も何とか市場の商品らしくはったのかな?と居心地悪さを残しつつ思ってはいましたが、先にも書いた通り、その後の引き合いの結果を見ても、市場における商品価値は全くもって低かった、というか無価値だったのです。

②へ続く。。。


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