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失敗なきところに成功体験はない(2)


「私の子には生き延びる知恵と強運があるはず」と根拠の無い自信を持たなければ子育てはやっていられぬ。
次男と音信不通の2日間。
私は、平常通りにシュタイナー子ども園で、子どもたちと過ごした。子どもたちを大切にする大人は私以外にも世界中にたくさんいるのだと、信じて。


我が18歳の息子は、上海空港の雑踏の中エンジェル(助けてくれる人)を探し始めた。

以下は、音信不通の2日間を次男から聞いた話

「別便から降りてきた”この人だ”と思ったビジネスマンに、声をかけたんだ。ちゃんとしっかり目を見て話を聞いてくれた。」次男はゆっくりと私の目を見て話すのだった。

最悪な事情を話すと、ケビンという名のビジネスマンは携帯電話の充電器ををまず買おうと店に連れて行ってくれた。でも僕が、クレジットカードも持っていない小僧だとわかり、

「僕を信頼できる?なら、とりあえず僕と一緒にホテルに行こう」と言われた。
彼には迎えの車が来ていて、行った先はリッツカールトン。
部屋にチェックインしたところで、彼は迎えに来ていた部下に「この子をこのチケットを使って次のサンフランシスコ行きに乗せてくれ」と頼んでくれた。
出発は翌日になる。一泊せねばならぬと言っているのはなんとなくわかった。客待ちのタクシーの運転手に行き先を中国語で告げた部下は、僕と荷物を車に乗せて、見送った。

「これでいいのか?」不安がよぎる。
タクシーは上海の高層ビル街を抜けてどんどん違う方向に行っている。あの、大きな空港に行くのではなさそうだ。

田舎道、クレジットカードもなく、携帯電話も使えない。何よりも、言葉がわからず、持たせてもらった小銭がポケットでチャリチャリ鳴るだけだった。

ようやく、小さな空港が見えてきた。「ああ、よかった。」と思ったが、タクシーはさらに、田舎道へと進み続けた。「このまま、誘拐されて帰れなくなるのか?」日が沈みかけて、ますます不安が募る。

手が心配で震え出したところで、ボロボロのホテルの前に車は着いた。ここだと言わんばかりに運転手は建物に顎を向けた。
わからぬままに、運転手について中に入ると部屋の鍵を渡されて、明日は別の車が来るという。「ここは、誘拐の一味なのか?」そんなはずはないと思いつつも一抹の不安は消えない。
歩ける距離にご飯屋があり、メニューの写真の中から安いのを選んだ。客は僕だけ。出てきた飯は真っ赤で辛くて食べられなくて、また涙が出そうになった。

部屋に戻って寝ようとする。また、寝過ごしたらどうしよう。「寝ないことにしよう」そう思ってソファーで朝を待った。長かった。

迎えのタクシーが来た。「本当に空港に連れて行ってくれるのか?売り飛ばされるのか?」不安というものは、あっという間に頭の中で増殖する。

小さな空港につき、カタコトの英語と中国語で言われた通りにして、ようやく数時間後にサンフランシスコ行きの飛行機に乗った。
シートベルトをして、飛行機が離陸した途端に涙がどっと溢れてきた。
「これで、帰れるんだ」いくらでも涙は出てきた。

一通り泣いたら、腹が減っていることに気づいた。腹に溜まっていた不安がなくなったのだから。
機内食にがっついて爆睡。
サンフランシスコ空港着陸の車輪の衝撃で目が覚めた。

空港を出て、そこからドルの小銭で地下鉄に乗り、友人宅へ。預けていた車にのって家に帰ってきた。

帰ってこれた。
帰ってこれた。
僕だけが体験したこの数日間。
僕のヘマを、本当に多くの人に助けてもらいながら、なんとか帰ってきた。

すごく自分の中で何かが変わった気がする。
世の中は捨てたものではないこと。
泣いていても、どうにもならないこと。
人を信頼して頼ってみること。

皆さんのおかげで僕は、生かされていると言うこと。

今はすごく疲れているけれど、
「この出来事が、僕の自信に繋がっていくと思う。」

仕事が終わって、次男は空白の2日間の一部始終を聞かせてくれた。
安心した。感動した。よくやった!
次男の肩が大きく見えた。

可愛い子には旅をさせよ。
現在彼は26歳、ヨーロッパ在住。
さらに子育ての旅は続く。