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映画「ユキエ」 松井久子監督 1998年制作を観て

戦争花嫁の映画。朝鮮戦争で日本の山口県の米軍基地に来ていたリチャードと出会い、結婚してアメリカに渡ったユキエだが、認知症の症状が出てくる。隣の家のトムはベトナム戦争帰りで精神を病み、ユキエを「ベトコン、ベトコン!」と喚き敵視する。ここまで観ただけでも人々にとって戦争とは何だったのか、という問いかけが浮かんでくる。「レオニー」の映画でも感じたが、女優(倍賞美津子)の表情の中に逡巡、悔恨、驚き、決して譲れないピュアなものとが同居して、その時々でヒリヒリとした痛みにも似た感情が表出される。

ユキエはアルツハイマーになり、次第に表情が無くなり怒りっぽくなった。夫のリチャードはこの広いアメリカで自分が彼女の唯一の支えであるという自覚により、また長年連れ添った伴侶としての愛情により、「彼女は何でもない疲れているだけだ」と息子たちには言っていたが隠しきれなくなった。松井監督の映画を観ていると、人は傷つけ合い、慰め合い、労わりあい、赦し合うものだと深く想う。赦し合うときが人間にとって一番満たされる時のような気がする。そして、どうにもならない人生の受容のときが訪れその時はわが身を切られるように切ない。いくつもの受け入れ難い苦渋の現実が襲う中、リチャードは肉体労働を得るが、ユキエが心配で帰ってくる。

唯々愛を信じて大陸までやってきたユキエだったが、愛する家族さえ判別しがたくなって、記憶が戻った時には息子に「私の病気はSlow goodbye、okay?」というユキエ。老人ホームには入らずリチャードがケアする老々介護だが、それしか選択肢はなかったとも言える。とても愛情深い夫で本当に better half と言える夫婦だ。彼らが住む街を遠望してラストとなる。並みのハッピーエンドではないが、ユキエとリチャードの笑顔が救いだ。

ユキエが変調をきたした心のざわめきを風に揺れ動く木々が表現したり、父と息子の平行線の会話のときのカメラの視線や、話し合いが決裂したときのただ飛行機が飛び立つシーンに言葉で語りつくせない映像の斬新さを観た。

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