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彼は後悔していないと微笑んだ

わたしが住む新潟県でも春の高校野球の大会が
はじまっている。

わたしは昨年まで高校球児の母だった。

長男も次男も野球をしていたので
12年間高校球児の母をさせてもらった。

次男は左のピッチャーだった。

兄の影響で小学1年から野球をはじめ、
小学生からずっとエース。

中学はシニアクラブに入部した。

シニアは2年連続全国大会に出場する
強豪チームだった。

自分たちの代でも全国大会を当然ながら
目指そうと親も子も一致団結していた。
右ピッチャーがエースで
次男は二番手のピッチャーだった。

しかし、次男の代は春、夏一回戦負け。

公式戦で1度も勝つことなく引退した。

そして、コロナがはじまった。

兄が進学した高校は公立ではいちばん
甲子園に近いと評判高い高校だった。
甲子園までは届かなかったが
夏はベスト8まで勝ち進むことができた。

次男は野球が強い私立高校に
進学するのかと思っていたが、
選んだのは兄が進学した公立校だった。

入学してすぐコロナで休校になり、
学校が再開されても
すぐに学校が休校になったり
学級閉鎖になったり
部活も満足にできない高校生活。

制限ばかりで、兄の時代のように
遠征にも行けなくなり
合宿もできなくなった。

親の楽しみも奪われたコロナ。

そんな中、次男は2年生で2番手
ピッチャーになり、先輩たちと勝ち上がり、
地元の新聞にも単独でカラーで掲載され、
野球ドットコムにも掲載される
活躍を見せてくれ、春は新潟県で
ベスト8まで勝ち上がることができた。

兄も新聞に掲載されたことがあるので
正直、これで並んだと
ホッとした。

そして、いよいよ最終学年。

次男が新しく購入した
左用ピッチャー用のグローブには

集大成

という刺繍がされていた。

グローブはわたしの父が孫の為に
とお金を出してくれた。

シニアで最終学年に1勝もできなかった
から、なんとしても次男が
勝って喜んでいる姿が見たかった。

しかし、
本試合は秋、春、夏と
すべて1回戦負けだった。

一度も勝つことができなかった。

次男は高1の冬練習で肩を壊し、
病院、整体、鍼治療など、いろいろな
療法を試しながら
ジムにも通い、なんとかだましだまし
野球を続けてきたのだった。

そんな次男だったが
最後の夏も背番号1をもらった。

最後の試合
次男は先発で投げず、あれよあれよと
6対0とリードを広げられ
あと1点でコールドになる6回から
マウンドに上がった。

次男がマウンドに上がってからは
点数を取られることはなく
そのまま9回へ。

9回になんとか1点入れたが
力及ばず、6対1で負けた。

しかし、次男の最後のピッチングは
素晴らしかった。

相手のチームの子が最後に次男の
ところに来て握手をしに来ていた。

次男は笑顔だった。

わたしは泣いていたが。

自宅に帰って来て
「おつかれ」と次男に声をかけたら

「俺、後悔していない。〇〇高校で
野球ができて本当によかった。」

と笑顔でわたしに言った。

親としては
コロナに3年間振り回され、
満足に練習も練習試合もできず

なんとか1勝できるように
願ってきたが

彼が満足したのであれば
それでもう十分だ。

これで本当に終わったんだ。

わたしは自分自身に

「おつかれ、わたし」と伝えた。
すると、また涙が頬を流れた。

12年も息子たちの野球を観続け、
サポートし続けたのだ。

わたしもやり切った。
次男が一勝できなかったのは
とても残念だったけど、

でも、やり切った。
それ以上も以下もない。

ゴールデンウイークにお出かけすること
なんてなかった12年間だった。
(毎年ゴールデンウイークは野球の試合)

子育てをしていると
つい欲がでてきてしまい
もっともっとを子どもに望んでしまう
ことがあるが

結局は子どもが満足できたのであれば
親はそれ以上何も要らないのだ。


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