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残るもの、残らないもの

私は絵画も建築物もどちらも好き。
絵画は小さい頃から美術展に連れて行ってもらったからか、その頃から今までずっと好き。自室の一番大きな白い壁は絵で埋め尽くされている。大きなゴッホのポスター画(額装)、ピカソのカレンダーから独自に額にいれたもの、展覧会で買ったはがき達が入ったビニールポケット。白い壁が賑わってる。だからうっかりした。大好きな推しのポスターを飾る場所がない!!
って、推しの話は置いといて、美術の成績も良かったので、絵を描くこと自体も楽しいし、大人になってからカルチャースクールで油絵も習った。

一方、建築物はというと、伯父が一級建築士にもかかわらず、特に興味を持つことはなかった。

ところが、転職した先で建築に俄然興味がわいた。全然興味がなかったのが嘘のように、今は大好きになった。
好きになった当初は、先輩と表参道を巡ったことも、年に1、2回のお食事会では、有名な建築物兼ランチの場所にも行った。
小笠原伯爵邸は素敵だったし、シャネルはEVのボタンまでシャネルのマークで凝っていて楽しかった。

小笠原伯爵邸で思い出したが、上野の旧岩崎邸も好き。ここにかつての上流階級の人たちが暮らしてたのか、と、思うと、建物に息遣いを感じてしまう。ビリヤード場もあったりして、今も昔も格差社会ねー、なんてことも思ったり。
でもここの内装、大好き!かわいい!
こういうレトロな雰囲気の建物が大好きなのよね。
しかも、教科書で習った「ジョサイア・コンドル」氏の作品!!思わず、うわぁー!!コンドル!!ってなってしまった。

色々な建築物を見る上で欠かせない雑誌がある。
それが「新建築」だ。

私は当初、商業施設には最初全く興味がなく、この雑誌の住宅特集が大好きだった。
そこには普通の家はなく、仕切りのないトイレがリビングに置かれていたり(友達の家がこれだと困るよね)、道路に面したところにガラス張りのバスルームがあったりと(どうやって入れば…)、奇抜な発想のものから、単純に住んでみたいなと思う素敵な家たちがあった。

住宅というのは一生モノで、それを有名な建築家が建ててくれるんだもの。それを見られるなんて楽しいじゃない!って思ってた。

なのに今では「商業施設」の方が好き。
規模が大きい分、意匠デザインを見る楽しさが大きいからかな?構造を見る楽しみがあるからかな?

小さい頃から「夢」がなかった私。
こんなに好きになった建築物。
「建築士も良かったな」と、同期に話したこともある。すると同期に、理系苦手だったのでは?と言われ、そういえば…と、建築家の道は険しかったことが判明する。
でも、それほど好きになった。

先日Twitterにて、私が小さい頃から慣れ親しんだ新宿の小田急百貨店が解体され、あの場所が新たに開発されるというツイートがまわってきた。
このニュースは知っていたが、改めて読むと寂しさを覚える。
私が産まれる前から建てられ、物心つく頃には当たり前のようにあり、お出かけは大抵新宿でいえばここだった。そんな慣れ親しんでいた建物がなくなるのだから当然悲しい。
今現在55年が経過しているが、建築物の寿命は大体そのくらいなのかな?

中銀カプセルタワーも、一度目にしておきたかったものの一つ。
借りられたんだよね、お泊まり感覚で。
体験してみたかったな。

もう一方の私が好きな絵画の方は、有名な画家であれ、個人的なものであれ、限りなく長期間保存され、時には展覧会もされ、修復され、大事にずっと残る。なにしろ絵巻物まであったりするものね。
時には美術館の常設展示として、企画展として、照明、湿度、厳しく管理されている。

それに対して、建築物はどうだ。

だいたいが、数十年で壊されてしまうことが多い。人で言うところの寿命だ。
もちろん、歴史的建造物である、金閣寺や銀閣寺、文化財である○○邸などを除いて。

画家が絵を描くように、建築家は建物の意匠デザインをする。画家が一人作業なのに対し、建築物はあらゆる職種の集団がそれぞれの工程に関わって作業が進み、完成となる。一つの建物に多数の職種、多数の人々が、時に命をかけて造り上げる。

著名な画家が描いた絵は、美術館や個人が保管し、時に補修され大事に大事に赤子に触れるかのように扱われる一方、どんなに著名な建築家であれ、どんなに時間をかけて構想を練り、図面におこしても、建物が永遠に残るものということは少ない。
前川國男邸など、移築されて保存されるものは稀だ。

ちなみに、前述の前川國男邸は小金井市の「江戸東京たてもの園」にある。
この園自体楽しいので、興味がある方は行ってみてはいかがだろうか。

それにしても、絵画と建築物、なぜこうもこの2つに違いがあるのか。

それはひとつに環境にある。
絵画は室内で飾られ、日本ではフラッシュ撮影も許されないほど厳重に管理されている。海外では撮影はできるが、だからといって屋外にあることはまずない。
ところが建築物は屋外にある。
どうしたって雨ざらし。
コンクリートも、中の鉄筋も傷んでくる。
しかも日本は地震国家でもある。
どうしたって耐震問題も出てくる。

また、絵画にはその画家が描いたものとしてある一定の括りがあるし、保存可能な大きさだ。だから美術展もできるし。
対して建築物は、好きな人にしかこの建築家がどこに何を造ったのかわかりにくく、絵画のような保存なんて不可能だ。

絵画も建築物も完成までに時間がかかるが、大抵は建築物の方が時間がかかるのではないか。

だから、華々しく完成を迎えた建築物は、その瞬間から終焉に向けて歩み出していくように思えてしまう。何しろ私は人間でさえ、最期の瞬間に向かって生きているんだな、と考えてしまうことがあるから。

だから私は建築物に時に悲哀を感じてしまう。
建築家がそれでもバイタリティーに溢れているのは、やはり、大勢の目にとまるものを造りあげた達成感、自分が求められているという自負、世の中に、もっと言えば世界中に自分の作品が点在する、とても夢のある職業だからだろう。

悲哀と言ったが、建築物は壊されるだけではない。逆もある。
それが東京駅の復元だ。
私は昔の東京駅のを知らない。
だから完成当初、見学に行った。
とても綺麗なドーム型の屋根。当時のレンガを再現した東京駅。内観も外観もとても好きな建築物のひとつ。
特に南北のドーム型の天井が面白かった。干支などのレリーフが飾られていて、スマホを手に何枚も写真を撮った。カメラのアングルが本当に苦手で。え?もう同じの何枚もありますよね?というくらい撮った。
ここのホテルにいつか泊まってみたい。
お高いけどね。

消えるものもあれば、新たに生まれ変わるものもある。それが建築でもある。

今東京は再開発が盛んだ。
次はどんな建物が私をわくわくさけせてくれるんだろう?
そしてどんな建物が私を悲しくさせるんだろう。
人生は一度。あらゆる所にある色々な建築物を目に焼き付けておきたい。

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