短歌の中に光る表現を探す旅が始まる
なんでも個性は必要だ。
特に芸術関連においては。
短歌が芸術にあたるかは分からないが、まさに今らこのタイトル通りなのだ。
なぜなら私がまだ短歌の初心者だから。
Xにおいてはりんかという名前でやっている。
私が歌う場所、うたた寝、Utakata、うたの日、全てこの名を使っている。
そんな中、最近わかってきたことがある。
〜しい。
これは朝日歌壇に掲載されたことがある母からよく言われているが、絶対使ってはいけない。
美しいなど以ての外、とまでは言われてなかったが、俵万智氏も形容詞の「〜しい」は使っちゃダメと。
どう美しいのか、そこを表すのが短歌だ、と。
意訳入ってるし、美しいについてだったか曖昧だが。
そして前述の母も、同じように国文科を出た友も、私の短歌はなんか惜しいの、だからダメだししちゃうの、と。
母なんて、自分で作り直しかけるから。
それは待て、と。
私の短歌を自分の色にしないで、と。
でね。
私最近ツイでほぼみなさんされてる『うたの日』ってタイトルの投稿サイトもしてるんだけど気づいたの。
『陽だまり』
『銀河』
よく使われてるな、って。
で、使われていると結構上位に食い込む。
否定しているわけではないが、なつき先生ならきっと、この言葉はよく使うと指摘されるかもしれない。
私の短歌がまだまだなのは知っている。なにしろ2023年10月下旬から始めたばかりだから。
でも昨日、だんだん面白くなってきた、せっかくだから新聞に出せばいいのに、と母にほめてもらった。
マフラーというお題で詠んだ歌
ふわふわの雲からたぐりよせた糸編み編み編んで晴れ間ができる
木枯らしが私の髪にじゃれてきていたずら顔でビュッと去り行く
これら。
自分でも気に入ってはいる。
ただ私自身はもう少しこれだ!というものを待ちたい。
なんならいけるか?というものは出してみたし。
だからこそ、もっと違う表現をしたくなる。
私にしかできない私色の短歌を作りたい。
何歳になっても勉強はついてくるね。
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