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なぜアートを見るのか

 これはフランス・ルーブル美術館のモナ・リザの展示室。もはや絵よりもそれを見る群衆の方が観光名物だと思う笑

 アートを見る時には、「作品の背景と対話する」のと「作品そのものと対話する」2つの状態があると思う。作品の背景と対話するというのはつまり、アートを見ているのではなく「読んでいる」に近い。「これが有名なダ・ヴィンチが描いた絵か~」とか、「犬は”忠誠”を、水瓶は”純潔”の意味を表しているんだって」とか「あれは洗礼者ヨハネがサロメに首を切られるシーンだ」みたいな。


読めた時の「アハ感」

 アートを「読む」のはとても面白い。批評家の中には、作品を見る前に真っ先にキャプションを見て誰が描いたのか確認する人や、解説文ばかり読んでいる行為を揶揄する人がいるけれど、特に古い絵であればあるほど背景を知ることは作品に近づく手がかりになるし、「知らなかったことを知る」のって普通に楽しいじゃん。長らく絵画は教養を証明するツールの一つだった訳だし。

 美術は、その時代の美しさに対する考えや基準の物語だと思う。だから作品を読みながら世界の歴史を知ったり、時代のうねりを感じたりすることが出来るあの体験が私は好き。ロマンだよね。


初体験のマーク・ロスコ

 ただ、見た瞬間思考が止まるような体験も必ずある。私の初めてのそれは岡山にある大原美術館のマーク・ロスコ「無題(緑の上の緑)」。

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 ん。これこんな暗い絵だったっけ???笑 あの時の体験が鮮烈だったからもっとピカーッとした絵として記憶していたけど、改めて見てみるとめちゃくちゃ渋いじゃん笑

 大原美術館の作品群、展示の仕方や解説、空気感が素晴らしくてロスコにたどり着くまでに既にコンディションが整っていたのは大きかったと思う。そんな中であの絵を見た時何も考えられなくなって、というか「何も考えなくても良い」状態になった。それまで抽象画は意味不明で苦手だったんだけど、新しい物事に心がスーッと開いていくのを感じてそんな自分が嬉しかった。(画像は倉敷・大原美術館の入り口)

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絵はかわいい。

 息を呑むほどの感動じゃなくても、「これ素敵だなー」とか「なんか好き」みたいな絵は数え切れないほどある。ちなみに私が絵を見た時に一番抱く感想が「かわいい」だ。可愛い絵ってめちゃくちゃいっぱいある笑

 先週行った京橋のアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)でかわいいと思ったのがアンリ・マティスのこれ(作品名覚えてない)。色がめちゃくちゃ良くて、空が超絶かわいい。

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こんな日々だから。

 毎日毎日ニュースを見る度に先が見えない不安と、遠いところにいる政府への苛立ちと、大好きだった日常がもうこれ以上耐えきれず壊れていってしまうことへの悲しみで心がいっぱいになる。近所の大好きなパン屋さんがこの夏閉店することになった。

 それでも美術館は開いてくれていて、私にとってこのことが本当に心の救いになった。「救い」という言葉は大げさかもしれないけれど、今は”新しい日常”に馴染まなくてはいけなくて、でもこんな”日常”クソくらえだから、この”新しい日常”に浸かるうちに気づかないまま心が死んでいきそうだった。

 ないものではなくあるものへの感謝を忘れたくない。誰かにとっても絵が楽しみの一つになれたら。最近はそんな気持ちで絵を見ている。

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