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SF短編小説「オール・マイティなカード所有者」2️⃣

2 人間の言葉が解る犬 


 ここで僕の彼女に登場してもらおうと思う。彼女の名前は、柳田宇沙子うさこ。きっとウサギの化身けしんじゃないかと思っている。前世はウサギだったと思う、きっと。別にぴょんぴょんねるとかいうんじゃないけれど、仕草がウサギなのだ。実際には高校生の時にはハードルで全国大会で上位の成績を取っている。だからか僕よりも脚が長いし背も高い。それにとても可愛い。惚気のろけるなって?確かににそうだけど、彼女はその特別な能力を持った犬の声を聞き分けているのだ。今、ロックこう言ったよ、と教えてくれる。この間、夏のうだるような暑い日だったけど、いつものようには餌をあまり食べてないからどうしたんだろうと思っていた。宇沙子はロックのそばに行き、声をかけた。それに反応して何やらうめき声のような意味不明のき声が聞こえたんだけど、それは「こんなに暑いと食欲もなくなるよ、まったく。人間と一緒さ」という気持ちらしかった。それじゃあ仕方ないなあ、と僕は思ったけど、それはよく、大抵そんな時はそう思ってるんだと想像して話すやり方かと実は思っていたんだけど、暫くしてそうじゃないことが分かった。

 宇沙子はしばらく日本語でロックに話し続けていた。じゃあちょっと木陰こかげで休んでなさいよ。そんな宇沙子の声が聞こえていた。ロックはその言葉に反応して直ぐにまきの木の下に行き、そこで長めの尻尾を折り畳んで、体を丸めて休んでいた。本心を言えばまだそれは偶然そうなっただけのことと思ったのは事実だ。

 彼はいつも何かにおびえている。何かというより僕を含んだ人間に。今年の夏に何かの拍子に彼は少し隙間ができた庭の門扉から脱出したことがあった。きっと解放的な気分になりたかったんだと思う。想像してごらん、動物園の動物が解き放たれた場合、どんなにか自由を満喫まんきつできるかを。おりの中に入れられた動物を見て楽しんでいるのは人間だけだ。いつまで経ってもそれに気が付かない、いや気付かないふりをしているだけかも知れない。入園料を当てに毎日欠かさず餌をやり、そのために飼育係を雇い、窓口や売店の女性を増やす。何もわざわざアフリカから象やサイやライオンを運んで来なくてもよさそうな気がするけど、そんなことを云えばお前は偽善者だ何だと言われるに決まっている。犬や猫を飼う行為自体がそれに該当するからね。

 イルカだって海で自由にして泳ぎたいに決まっているし、オットセイだって毎日ボールを頭に乗せて人間を楽しませる芸をするのにうんざりしているはずなのだ。僕はそう思う。悲しい顔をした(そう見えた僕には)サイが目を少し開いたまま日がな一日じっとしている様を見た事がある。アフリカに帰して上げたらと、その時ほど心から思ったことはなかった。

 ロックはあの怯えた性格が災いしたのか、どこかで慌てて道を横切り、車に当て逃げされたのだと思う。丸一日経った次の日の夜右足がダランとなったまま帰ってきた。その翌日僕は近くの動物病院に彼を運んだ。その病院に行くと必ずパシャパシャとまず犬の写真を撮る女性がいる。とにかくいきなり連写するのだ。その人は看護師か何かとずっと思っていたら違っていた。単なる獣医師の助手に過ぎなかった。それから手当と入院費用などで瞬く間に十万円ほどが彼のために消えていった。保険に入っていなかったからだった。それでは動物保険に入った方がいいと人は思うだろうけど、そのパシャパシャさんは入らない方が身のためだという。僕はそれはあんたのためじゃないかと思ってしまったが本当のところは分からない。

 犬を飼えば家族のいやしになるという話は聞いた事があるし、母が車を運転する時には以前飼っていた犬を必ず連れて「お守り」代わりにしていたし、動物が人間にとって癒し以上の存在感を示すという不思議な効果は確かにあると思う。でも今では間違いだと気付かされる。姉の家にいたビーグル犬も、病気で死んだ叔父に非常になついていた。叔父がステージ4の肺癌におかされていたが、医者通いを始めてからは飼い犬も急に衰えて、暫くすると足腰が立たなくなり、叔父より先に死んでしまった。十五才という犬年齢から高齢だとはいっても、叔父の病気を感じ取って、何か犠牲になったような気が僕はしてしまった。ただそれでも叔父もそれから長くはなかった。発病して1年も持たなかった気がする。

 宇沙子が僕のそばでそんな不思議な呪術師じゅじゅつしみたいなことを演じてからは、尚更僕は不思議体験というものを実感していた。 

 この世は元々不思議な世界だし、何が今起こってもちっともおかしくはない。「人間の言葉が解る犬」というより、犬の言葉が解る人間現わる、と言った方が良さそうだ。


 ある朝僕はUFOの夢を見た。今までUFOなんかもちろん見たことはない。遠く(数キロ先)の山の麓だと思う、そこは。

UFOが着陸しているようだった。辺りはそのUFOのまぶしいくらいの光で包まれていた。UFO本体が放つ光というよりも、その光の出どころは確か四つの大きな窓だった。そこから発したまばゆいばかりの光は辺りを覆い尽くすほどの光量を持っており、普通なら僕はその光を放つUFOに近づいて行くはずなのに、そうしなかった。その夢は、別の物体を映していた。空にヘリが旋回していたのだ。上空に旋回しているヘリはきっと父が属している組織のものという設定らしい。ヘリは青色のボディで、二本のソリ状のところにはなぜかパラシュートのようなヒラヒラしたものがそれぞれ二つブラ下がっていた。そのうちの一つが風に煽られたようにソリから離れて落ちていく。ちょうど僕のいる場所とUFOのいる場所の間の空付近で。僕は無意識にというか咄嗟にそのパラシュートのような物を探しに走っていた。途中、畦道や街中の家々が並ぶ中を突ききっていくと、人が犬を連れている姿も見て取れるし、またある家のドアには犬のような物がくっついているといった情景など、そんな変なものを見ているうちに目が覚めたのだった。ただそれにしてもあの眩すぎる光は何だったのかというのが、起きた時の印象だった。

 夢占いによれば、人生を左右するようなターニングポイントに差しかかっている時に見る、とか未知の可能性や新しいチャンスなどを暗示しているというものだった。

 僕は着替えて、朝食をする前に彼女にメールしておいた。「何だろうね、私UFOの夢なんか見たことないわ。」そうだろう、僕だって初めてなのだから。ただそれは夢だったけれど、この世界は驚きに満ちているのだから、今まで単に知らなかっただけのものをまず夢に現れて、実際に見ることになってしまうものなのかも知れない。人は子供から大人になったとしても、そんなに世界中のことを知り尽くすなんて出来ないし、時間も金もない。ただいつも決められた時間に決められた通勤コースをたどって会社に行く、それをひたすら何十年も繰り返すのだ。そして年老いていく。やれることにも限りがあるし、したいことを途中で放棄しなくちゃいけないことも時にはある。

 そんな感想めいた話の続きを大阪ステーションのいつも行く二人が風の広場と呼んでいる所で合流して宇沙子としゃべっていたら、宇沙子がうんうん言いながら後ろから僕の肩を揉みながら、ベンチに腰掛けるタイミングで耳のそばまで口を近づけてきてこう言った。

「わたし、どこにも行きたい訳じゃないし、指輪とかエルメスのバーキンのバッグとか欲しいとも思わないよ。もしいられるなら、真央とずっと一緒にいられたらそれで私は構わないから」そしてチュッという音が宇沙子の息づかいと共に耳に響いた。

 僕は不意打ちにあったようにうれしかったし心が晴れ晴れとした。今まで彼女がそう思っていたことも知らなかったし、宇沙子から突然というか直接聞かされたのも初めてだったから。何だか涙が出そうにさえなってしまった。

 そしてその余韻を僕は抱いたまま、二人で11階にあるステーション・シネマのエントランスに入り、見たかった映画を選ぼうとして券売機で操作してチケットを二枚分買い、売店で少し並んだ後中位なサイズの塩味のポップコーン一つとコーラ二つを買う。宇沙子が僕の左側にいて手を僕の腕の中に入れてくる。入り口でチケットは彼女が大きく手を挙げて見せると女性係員がそのチケットを黙示したけれど半券はその時は切らなかった。後ろにも数カップル控えていたし、そのように確認方法が変わったのかも知れない。僕らは中に入る。いつものようにどちらかといえば後方の二人席に座る。J―25とJ―26。

 僕は映画を見ている間中もう何だか浮き浮きして映画の内容もほとんど頭に入らなかった。

 あのクレジットカードが実際に役に立つ時は来るんだろうか、でもそれすら忘れて日常の煩雑はんざつな世界の中でいつの間にか自分自身が歳をとってしまうんじゃないだろうか。でもそれはそれでいいと思う。もしも自分が不慮の事故に遭ってしまって、カードの在り処が判り誰かが発見したとしても。僕に付随したカードであるなら、僕個人が無くなったら消滅してしまうかも知れないし。僕の左側に位置していた宇沙子が何か気付いたように映画の途中で、そっと僕の左の耳にキスをする。

 映画が終われば、二人は自動扉を出てそのまま梅田の高層ビルを見ながら外気を胸いっぱいに吸い、広場というにはちょっと狭い感じの、木製のベンチとか植木とか風に揺れる風見鶏風の環境体感装置とかある空間の中で、ビルの上に広がる青空を見て満喫しながら別の入り口から中に入るのだった。一つエスカレーターで下の階に降りてレストランで食事をしてからいつものように蔦屋書店の中を巡る。本を読むことなくミステリーなどの新刊を置いた棚の前で二人立ち止まる。ただ目で本の題名を追うだけなのだけれど、そんなことが二人に共通している。その中で彼女がお薦めの本を見つけたら、しばらく読み進めていた後に僕にその本を渡す。この本どう?っていういつもの仕草を知っているから受け取ってざっと読む。大体少し読めばこの本がいいのかどうか分かるから、すごい本だと宇沙子の顔を見てすごいの顔を表す。

 宇沙子と僕はノースゲートビルディングの中の下りエスカレータ―の中にいた。JR大阪駅の列車が見渡せる所をゆっくりエスカレーターは降りて行き、セカンドフロアの階に到達したら、僕らはいつものように更にエスカレーターで階下に降りて地上階に達し、左に曲がる。でも人によってはそこで左に曲がらずに真っ直ぐに向かいグランフロント大阪を目指すか、あるいは逆に地上階をJR大阪駅のコンコースから阪急百貨店やナビオ阪急方向へ進む人もいる。実際JRコースを僕らも辿ることもあるけれど、その日は宇沙子が梅田の茶屋町にあるロフトに行きたいというものだから当然地下のヨドバシから地上の紀伊国屋書店に達して古本屋街を茶屋町へと目指すわけだ。 

 僕ら大体いつもどこにどういう店舗があり(BAGEL&BAGELの店とかヤンマーの地下に出来たダイソーとか)何か予想されることも(客のしつこい呼び込みとか交差点で信号が変わって待たされることとか)ある程度は予想出来てしまうような共通項がある。それは妙なことかも知れないけど、波長が同じなのか、同調してしまうという表現が正しいのか、或いは生得のものを持っているからなのか分からないけれど、ゆっくりと道ゆく人の中で歩いていると、いつものように左側に宇沙子がいて僕の手を取ってくるか、腕を僕の左腕にからめてくるかどっちかだ。その日は宇沙子は気紛れからか僕の手をずっと握っていた、ロフトに着くまで。いや着いてからもずっとそうしていたっけ。

 彼女は文房具売り場の中のいろんキャラクターのシールが並んでいるコーナーへ僕を引っ張って行って、片手で気に入ったやつを取っては見比べていた。彼女の右手は僕の茶色の柔らかい生地のコートの左ポケットの中にあって塞がっていた。

 レジ前で他の客と一緒に規則正しく並んだ後、店員が宇沙子の選んだシールをレジに通す。その時僕の左手にはめたApple Watch のダイアルを押すのと、支払いのためのWalletのSuicaを表示するのは僕の役目だった。

 買った物はそれだけで、上手く彼女の小さなリュックをずらして入れ終わると、また下りエスカレーターで降りる。降りる時左にいた宇沙子は僕の前に位置を変える。最後まで降りるとまた僕の左横に位置して歩く。二人は言われなくても丸善&ジュンク堂を目指している。そこで宇沙子は絵本のコーナーで立ち読みしてから僕をナビオに誘った。きっと観覧車に乗りたいのだと思った。そこで僕はカマをかけてみた。「観覧車に乗れば別れるってジンクス知っている?」宇沙子はそれを聞いて即座に答えた。「じゃ別なところ、エストでもいいし、ナビオのミルクの旅でもいいよ」そうだろう、そうだろう。僕は頷いた。

 そして僕らは茶屋町を後にしてHEPナビオの「ミルクの旅」に入り、彼女の好きないちごパフェを二人で食べてから、いつもなら地下街へ降りるところをドンキーを抜け、堂山の信号を渡って中通りの方へ歩く。もうこれ以上歩けないわと言う声を聞いたら、その前にはラブホがあるはずだ。ちょっとわざとらしいけど、試してもいいコースと我ながら思った。途中でキャッチが何組か声をかけてきた。そのたんびに宇沙子は僕にしがみついて、その顔を僕の左腕の中に突っ込んだりして彼らを背けようと頑張っているのが分かった。

 ラブホはそんな時の僕らの「待避所」のような役目をしたのだった。ずっと彼女は僕の左腕の中にいた。ホテルの中に入ってもそうだった。

 「観覧車に乗らなくて今日は良かった」と、宇沙子は満足そうにつぶやいた。そしていつになくじっと僕の目を見つめて濃厚なキスをする宇沙子なのだった。


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