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20231026_多面的に物事を考えることの良さ_覇権で読み解けば世界史がわかる_紹介と感想20


はじめに

こんにちは、Keiです。

 今まで私にとって"元気が出た"と思ったコンテンツや"役に立つかもな"と思ったコンテンツや考え方を紹介してきました。今回も良い人生にするために"役に立つかもな"と思った考え方を紹介していきます。

参考書

この度、参考にした本は
『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』神野正史
です。

内容と感想

 前回の記事では"軍備縮小がもたらしたもの"までの部分を読んで感じた事を書いきました。

 今回の記事では"腕っぷしは弱いがカネはある"までの部分を読んで感じた事を書いていきます。

内容

 初の征服王朝(中国本土に拠点を移しても故地を棄てず、自民族の言語や文化も残す王朝)となった遼はモンゴル高原と燕雲十六州で、部族性を基盤とした統治と郡県制を基盤とした統治の二重統治体制を採用した。遼が長期間(200年以上)の統治に成功したため、以降の北方民族は遼を模範とした統治を行うようになった(金、元、清)。
 宋は燕雲十六州を奪還するために遼を国境紛争を続けるが、帝都の近くまで攻め込まれた。遼の大攻勢に見えるが、遼側も兵站や国内、外交の危機に陥っていて撤退の時を窺っていた。自分が追い詰められている時は往々として敵も追い詰められているもの。宋が先に音をあげ、お金と引き換えに遼軍を退かせた。これを見た周辺諸国も宋へ金目的の侵攻をすることになった(外交において弱腰で対応すると徹底的に攻められることになる)。困難時に逃げを選択するとなし崩し的に逃げ続けることになり、衰滅していく。
 財政再建のため、王安石が改革を進めようとするが汚職にまみれた官僚の反発を受けて失敗。混乱の結果、モンゴルの登場で滅亡することになった。
 軍部を弱体化させることで成立した宋王朝は、軍部を弱体化させたことが仇となって亡んだ。

感想

 遼が二重統治体制で成功した例は、漢が初期の統治で郡県制と封建制を併用したことと被ると思います。その時代、その地によって適した統治方法があると思うので、無理に1つの制度で統治するのではなく、それぞれに適したやり方で統治した方が長く続くということだと思います。
 "自分が追い詰められている時には敵も追い詰められている"とは必ずしも言えないと思いますが、相手の視点で考えるという点は必要だと思います。自分が追い詰められている時は、自分のことを考えるだけで余裕が無くなってしまうことも多いと思いますが、少しの時間でも相手の視点で考えることで見えてくるものはあると思います。その結果、相手が求めていることも分かりやすくなると思います。相手の視点で考えることで、自分だけの視点で意思決定を行うよりも正確な意思決定ができるようになると思います。難しいかもしれませんが、意識して過ごしていきたいと思いました。
 外交において弱腰の対応は良くないという点も学ぶことができました。1つの相手に対して弱みを見せる事はその他大勢に対しても弱みを見せることに繋がるのだと思います。ある時点では1対1の関係で争い合っていたとしても、その他大勢が見ているという点は忘れてはいけないと思いました。
 困難時に逃げの選択をすると逃げの選択しかできなくなるという点も意識しておくべきだと思います。逃げても良い場面はあると思うので、どうしても退けないという線は意識して過ごせると良いと思いました。

最後に

 意思決定でも、交渉でも多面的に物事を見ることは良い結果を生むことに繋がると思います。自分だけの視点に捉われないように注意すべきだと思います。わずかな時間でも別の視点で考えることで多面的に物事を考えることができると思います。個人的にも意識していたいと思いました。
 多面的に物事を見て意思決定や交渉を行う事で、実り多い人生にしていきましょう!

 どなたかの参考になれば幸いです。

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