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工芸家を目指す若者が経験すること ③帰れと言われても、帰りの汽車賃もない。


師の木村表斎は厳しい人だった。
呆然とする延のそばで
丁寧に一緒になって弟子入りを願う兄 英吉。

お前もぼーっとしてんとちゃんと師匠にお願いしろ

言われて

延は気を取り直し木村に願った

兄頼って出てきましたが、
丸岡からここまできて、おめおめ帰れません。
兄に迷惑かけることもできません。
一生懸命努めますし、おいてください。

帰りの路銀はもともとない。
兄も修行の身、迷惑かけることもできない。

なんとか!

しばらく黙していた木村は
ゆっくりと、

明日、もう一回話したろ。

とりあえず、長旅で疲れてるやろう。今日は休め

そういうと、2階の仕事場の方に戻っていった。

木村表斎は二代目で初代から後を継いで5年程度
初代について懸命に勤めてきた甲斐あって、木村家の養子となり30歳で後を継いだ。

継ぐまでには師の家は大火にあって焼失したこともあった。
縁あって、師ともどもお世話になれる方との縁で、今も仕事を続けていられるが、順風満帆とは言い難い。
漆はもちろん物作りはコツコツ積み重ね他仕事が必要だし、簡単に考えては、折れるだけ。
共に学んだ岡田表寛らも同じような状況。明治の時代とともに急激な内部変革の嵐の中、皆必死になっって励んでいた。幸い、漆器の需要という意味では十分にあるが、だからといっ誰でもホイホイと面倒見るようなこともできない。

本気のあるもの。誠実であるもの。へこたれないもの。そして強い運と縁の力を持つものでないと続けられない。

そんな思いを持ちながら延の様子を見つめていたのだろう。

名工と呼ばれた初代表斎(表助)、佐野長寛以来の名工と呼ばれる師の跡を継ぐ二代には、重責とともに、かつて初代の下で奉公していたときの自分の姿を、目の前にいる少年に重ね思い出していた。

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