「自己肯定感」という字面がなんとなく苦手なはなし

新元号が発表になりましたね!れーわ、ですって。響きはとても涼やかで雅な感じ。生まれて初めての改元なのでどんなもんかなと身構えてたのですが、なんとなく新しい戦隊ものを見たときの慣れなさと似てるな~なんて思った蛍石です。

さて。こう、3月4月って人が良くも悪くも「動く」月じゃないですか。そうすると、いつも「みんな充実してるっぽいのに、自分はなんにもできてないぞ。どうしよう」と取り残された気になってあわあわ、あせあせしてしまうのです。そのせいかわからんけど、心の平静を保つのにめちゃくちゃ体力持ってかれるんですよね。オレだけかい?

精神的にボロボロだなぁ(なんでもないことで落ち込む、泣く、怒る)、何か手だてはないかなぁと気晴らしに本屋さんへ行った時のこと。ふと『自己肯定を高めるには』みたいな本たちが目に入ったんですね。パラパラ捲ってみて、本棚に戻すというのを数度繰り返し。

で、少し考え込んでしまって。なんか「自己肯定感」って言い回しが好きくないなと。

自分はそだった環境のせいか「自己肯定感」がすごく低い人間です。いつも誰かに責められてる気がしてしまう。ともすれば、私のこと責めないで、お望み通り私が自分で仕置きしとくから、と「ドビーは悪い子」方式で自分の首を自ら吊りにいってしまう。

こんな危なっかしい、健全なコミュニケーションが取りづらい面は確実に悪癖の一つなので、どうにかしないとと日々気を付けているのですが、そうすると平生から自己肯定自己肯定と気にさせられているわけで。

んで、前々から思っていたことというか、自己肯定感、という字面に「他人のことはどーでもいいから、自分をとにかく一番にしよう!自分かわいい、最高!!※」みたいなスタンスを感じてしまうのですよね。知らんけど。そしてそれがどうにも苦手だなって。

※あくまで勝手なイメージの話なのであしからずです汗

多分、周りに自称自己肯定感の強い人(現実にはただの自己中人間)が多くて、そのウェイ味?に迷惑を被ってるからかなとも思います。まあ、この話は置いといて。

じゃあどんなスタンスで蔑んでいた自分を認めて、他人とイーブンにやってこうかなとあれこれ考えて、「自律(自立)」という言葉であればしっくりくるなあと思いました。

心を律する(日々自分に対して風当たりが強いため、ここは「適度に力を抜く」の意です。ほっとくと好き放題自分で自分を傷つけにいくので)、そして他人に依存しない、距離を保つということ。

スピリチュアル味もウェイ味もないし、こっちのが好きだなと。

平成最後の一ヶ月、ちょっと心がカツカツでやさぐれてたけど「自律(自立)」してがんばろうと思います。

エイエイオー!!

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