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河野敏鑑・大森正博・伊藤由希子「学際系学部における経済学教育・研究」

このnoteでは、『経済セミナー』2021年12月・2022年1月号に掲載された、

河野敏鑑・大森正博・伊藤由希子「学際系学部における経済学教育・研究」

を公開します。

本稿は、2021年日本経済学会春季大会における企画セッション「学際的な学部における経済学教育・研究」を、報告者である河野・大森・伊藤先生に再構成・書き下ろしていただいたものです。

3名の先生方は、特定の学問領域にとどまらず多彩な学問分野を取り入れる学際系学部にて、実際に経済学の教育・研究を行っておられ、そこでのご経験などもふんだんに盛り込んでご執筆いただいています。

大学関係者や研究者の方々はもちろん、大学進学について考えている学生の方々や学校の先生など教育関係者の方々にもご覧いただけたら幸いです!

著者紹介
河野 敏鑑(こうの としあき)
専修大学ネットワーク情報学部准教授
2009年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。2010年博士(経済学)。2007年から2014年まで富士通総研経済研究所に勤務。2014年専修大学ネットワーク情報学部専任講師。2017年より現職。

大森 正博(おおもり まさひろ)
お茶の水女子大学基幹研究院人間科学系教授
1996年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。城西大学経済学部経済学科助教授を経て2001年お茶の水女子大学生活科学部助教授。2016年より現職。

伊藤 由希子(いとう ゆきこ)
津田塾大学総合政策学部教授
2006年、米国ブラウン大学経済学研究科博士課程修了・博士(経済学)。2009年から2017年まで東京学芸大学人文社会科学系経済学分野准教授、2017年より津田塾大学総合政策学部准教授。2018年より現職。

1.はじめに

経済学部であれば、入学する学生は、程度の差こそあれ、経済学を学びたいと考えて入学すると思われる。一方で、それ以外の学部であれば、ほとんどの学生にとって学業の優先順位の1位は「経済学を学ぶ」ではないと思われる。一昔前であれば、そもそも経済学の講義もなければ、経済学の教員がいなくても不思議ではなかった。ところが最近では学際系学部が増加し、専門科目として経済学の科目が設置されることも増えてきた。本稿では、こうした学際系学部における経済学教育・研究の特徴を紹介したい。

まず、こうした学部の学生にとって、経済学学習は「所与」のものではなく、他の学問分野との比較を通じて「選択」するものである。したがって、大学入学後も経済学が他の学問分野と並列に比較され、専攻やゼミの選択にあたり学問間の競争が働く。教員もおのずと経済学の比較優位とは何かを徹底的に意識するようになり、おおむね教育水準を高めるプレッシャー(競争圧力)となっている。

さらに、講義の照準も経済学部のそれとは異なる。たとえば教育学部であれば、社会や公民の教員免許を取得するという目的のために経済学を学ぶという動機の学生が多いであろう。さらに、前提となる知識にも差がある。たとえば、プログラミングや数理的な能力に関しては、平均的には情報系の学部の学生の方が、経済学部の学生よりも秀でていると思われる。前提条件が従来と異なる学生への教育はかなり工夫も必要だが、教員にとって刺激も多い。

こうした教育体系の学際性は、教員の研究環境にも強く影響する。自分個人で追求する研究課題よりも、他の専門分野の教員との共創の機会を常に探索し、それぞれの科学的知見を社会に実装するための研究意識が高まってくる。経済学は必ずしも短期的に即効性のある成果を出すものではないが、企業・自治体・国が関わる産学官連携といった実践の場で萌芽的な成果(Early Small Success)を作ることができる実感を得る場面も多い。

しかしながら、学際系学部がどのような研究者にとってもバラ色というわけではない。まず、それぞれの専門分野(法律・政治・情報・福祉・経済など)の教員は数名であり、各分野の事案(教務・入試・人事)を少人数で支える場面も多くある。また、産学官連携などでは学部の知見や人材を総動員して対応することもある。変化の多い環境や、異分野との壁にストレスを感じる、あるいは、教育・研究の効率の良さを重視したい研究者にはデメリットと感じられるだろう。

学際系学部には良い点も悪い点もあるだろうが、日本の長期的な教育・研究を考えたとき、少子化という構造不況の中、大学入学の入口で「経済学」部を選択させる教育は徐々に限られていくだろう。学部では複数の学問を学んだうえで知見を相対化することがむしろ求められると考える。そういう意味では学際系学部は世に先んじている部分も多いのではないだろうか。

本稿の執筆者はそれぞれ学際系学部に籍を置く教員であり、学際系学部で教育・研究を行うことに大きく影響を受け、経済学部における教育・研究とは異なる経験をしてきた。また、今後、学際系学部への改組や新設は増える傾向にある。そこで、執筆者らの経験を所属組織の特性を交えて紹介することで、一種の先行事例の知見を提供することができればと思う。

2.専修大学ネットワーク情報学部における経済学教育・研究(河野)

2.1 専修大学とネットワーク情報学部の特徴

はじめに、専修大学とネットワーク情報学部(ネ学)について紹介したい。ネ学は狭い意味での情報のみを学ぶ学部ではなく、情報を活用して社会でいかに価値を生み出していくのかを学ぶ学部で、本学唯一の文理融合学部である。学生は1年次には情報学の基礎を学び、2年次には6つのプログラムの中から1つを選択し、経済、経営、メディア、デザイン、数学など幅広い専門科目の中から学修を進めていく。3年次ではこのようにしてさまざまな分野を学んだ学生が1つに集まり自ら立てた目標を達成すべく、プロジェクト・ベースド・ラーニングの科目である「プロジェクト」に取り組む。また、4年次には卒業演習に取り組み4年間の学修のまとめを行う。

ネ学の専任教員も狭い意味での情報学の教員は少なく、上記で掲げたようなさまざまな分野の専任教員が所属しており、経済学者は私1人である。ただし、経済・経営・商など他学部には経済学者が多数在籍しており、データサイエンスに関心のある研究者も多い [注1]。こうした先生方と協力関係を築くことも重要と考え、意図的に接点を持つように努めている。そこで学内の研究会や教員の労働組合はもとより、教職員食堂やキャンパスへの行き帰りのバスの中といったカジュアルな機会も活かしてきた。ただし、ここ1年以上、新型コロナウイルスの拡大によって、こうした機会がほとんどなくなり、大変残念である。なお、学外から研究者だけでなく、インターネット広告やシナリオライティング、映像などの講義に実務家の兼任教員を招いており、学生が最新の企業・社会の動向に触れることができるような教育体制となっている。

[注1] 紙幅の関係もあり、ネ学のデータサイエンスプログラムの詳細や大学全体のデータサイエンス教育に関する執筆者の考えについては、本稿では省略した。これらの詳細については河野(2021)に記載されているので、興味のある方はそちらを参照されたい。

次に、入試やどのような学生が入学してくるのかを見てみたい。専修大学の一般入試は英語、国語(現代文と古文)、地歴公民・数学から1科目、という3科目入試が標準である。ただし、ネ学の場合、英語と理系数学のみという学部独自入試を用意しているほか、国語では現代文のみを採点対象としている。さらに、今年度からは大学の独自入試か大学共通テストで数学の受験を義務づけており、理系の学生や文系でも数学が一定程度できる学生が入学してきている [注2]。こうした動きは他大学でも見られるが、学生と学部のミスマッチ解消に一定の効果を持つのではないかと受け止めている。

[注2] なお、本学部では高等学校の数学・情報、中学校の数学の教員免許が取得可能であり、免許の取得を目指す学生も一定数いる。

2.2 ネットワーク情報学部の経済学教育・研究

まず、私の担当講義であるが、先述したように学部に経済学者は私しかいないので、ミクロ、マクロ、ゲーム理論、情報の経済学と、経済学の講義はすべて1人で担当している。ゲーム理論の講義はデータサイエンスプログラムの選択必修科目であるが、その他の科目はすべて選択科目である。また、1年次の必修科目で統計の基礎を学ぶ「情報分析基礎」、Excelやデータベースソフトの使い方、データ分析を実際にコンピューターを用いて学ぶ「情報分析演習」、2年次配当の選択必修科目でデータ分析や簡単なプログラミングを学ぶ「基礎演習S」、ポートフォリオの作成を通じてファイナンスを学ぶ「応用演習(データサイエンス)」、前述した「プロジェクト」や「卒業演習」も担当している。

さて、私の担当する経済学の講義を履修している学生はデータサイエンスプログラムの学生が中心であるが、他のプログラムの学生もそれなりにいる。学生には幅広く学んでほしいという意図のもと、所属するプログラムの科目を履修するだけでは卒業に必要な単位を充足するのは難しいようにあえて設計しているため、学生が他のプログラムの科目も履修しようとするのである。必修科目ではないため、履修者数はいずれも数十人で、相対的に興味・関心の高い学生が履修していると思われる。なお、ネ学では、学生は課題をやってくるのが当然という文化がある。これは教員が積極的に課題を出し、きちんと採点してフィードバックするということが維持されてきたことの裏返しであり、私も毎週のように課題を出題し採点してフィードバックを行っている。

数学ができる学生が多いという特徴を活かして、数学を用いた経済学の講義ができるのは大きなメリットがあると考えている。ただし、数学を用いた経済学の教科書は一般的に初心者向けではなく上級者向けであるので、適切な教科書を見つけることができなかった。そこで、自分で数学を用いた初心者向けのミクロ経済学のテキストを執筆して講義で利用している。

研究面でもいくつかのメリットがある。まず、情報系の学部に所属することで多種多様なソフトウェアが容易に自由に使えることが挙げられる。学部の端末には統計分析のソフトウェアはもちろんのこと、数式処理やグラフィックデザイン、映像編集などの、個人で購入しようとすると十万円以上もするソフトウェアも用意されている。また、筆者はグラフィックデザインについては素人だが、わからないことを他の教員やデザインに詳しい学生に気軽に質問できる環境にあるので、利用しやすい。また、データを渡してグラフ化するなど簡単な分析であれば、きちんとできる能力を持っている学生はそれなりにおり、研究の際に学生と一緒に進めていけることもメリットである。学生にとってもこうした機会は貴重なようで、「自分たちが講義で触れたデータは練習用に簡略化されたもので、現実のデータを処理するのがいかに大変で面白いのか実際に触れることができて良かった」といった感想も聞いている。

一方で、以下のような留意点があることも指摘しておく必要があるだろう。まず、学部の教育手法が伝統的な経済学部とは異なっている。先述したように「演習」と名の付く講義をいくつか担当しているが、これはいわゆるゼミではない。学生は特定の研究室やゼミに所属するわけではなく、むしろ自分が履修している演習の担当教員以外にも学修について助言を求めるなど接点を持つことが推奨されている。また、プロジェクトは先述したように、さまざまな分野を学んだ学生が1つに集まり自ら立てた目標を達成するので、担当教員は必ずしも自分の専門分野に関連した内容を担当するとは限らない。

このような教育環境は、学生が特定の教員に囲い込まれない、異なった専門分野の人と物事を進めていく機会を持てるといった点で大きなメリットがあることも確かだが、数年かけて継続的に何かを進める機会を持つことが難しいという点や、自分の専門分野と離れたテーマを担当する際にどうしたらよいのかという点で悩みもある。加えて、プロジェクト・ベースド・ラーニング(PBL)で教育を受けた経験がない教員も多く、どうPBLを使いこなしていけばよいのかOJTで悩みながら取り組んでいる教員も多いのではないかと感じている。

また、2年次になってから学生が専門分野を選択できるという構造になっていることは学生にとっては自らの適性を見極めてから専門分野を選択することができるというメリットがある一方、教員にとってはある種の競争にさらされるとも言える。したがって、優秀な学生を確保しようとすると、先述した課題の採点も含めて努力が必要であると思われる。さらに、デザインやメディアといった分野であれば、映像などのさまざまな作品が成果物になりうるが、社会科学を学んでもそのような誰にでもわかるような成果物が出てくるわけではないため、学修成果のアピールが相対的に難しいという点も指摘できる。

加えて、学生に提供できる経済学の科目は経済学部に比べれば少ないという点も挙げられる。この点については同じキャンパスに経済学部があるので、経済学に興味を持った学生には他学部聴講の制度を利用することを推奨している。なお、本学の場合、他学部聴講を許可するかどうかは開講している教員に裁量があるので、関係する教員にはネ学の学生が履修できるようにお願いしたこともあった。

さらに、数学ができる学生が多いことにはメリットもあるが、デメリットもあるのではないかとも考えている。Rubinstein(2006)では利潤最大化問題を数式で記述するか否かによって回答が異なることを明らかにした。この論文では現実には包括的な思考によって意思決定がなされているにもかかわらず、数学的な手法によって経済学を学ぶことにより、複雑で対立する利害の間でバランスをとる必要があるという現実が見えにくくなっているのではないか、現実とはかけ離れたことを教えていることにならないか、という疑問が呈されている。数学的な手法を多用することで、ともすれば学生に経済学が現実の社会を対象にしていることを忘れさせ、応用数学の一部で現実とは関係ないかのような印象を与えかねないという点は私も懸念している点であり、講義を行う際に忘れてはいけないと感じている。

2.3 考察

最後に、経済学者として情報系の学部で働くことで感じたことをいくつか書き記したい。1つ目は経済学の存在意義についてである。データサイエンスの流行は社会課題に対する関心の高まりを意味しており、その点では経済学の存在意義は高まっていると言えよう。一方で、プログラミングやデータハンドリングについては経済学者よりコンピューターサイエンティストに一日の長があり、ともすればデータ分析にあたって経済学が不要であるかのように受け取られる状況も危惧されよう。このような状況において経済学がどのように貢献しているのか広く社会に認識してもらう努力や工夫が必要ではないかと感じている。

2つ目は大学で複数の分野を学ぶということについてである。経済学部に進学すると経済学しか学ばずに卒業することも可能であるが、情報系の学部であれば情報学を学んだうえで経済学を学ぶことも可能である。仮にデータサイエンスが一時のブームで終わったとしても、情報や数学の知識を身につけたうえで経済学の知識を身につけた人材に対するニーズは根強いと感じており、「経済学+α」ないし「α+経済学」という選択肢を学生に提供することは重要なのではないかと感じている。

3つ目は就職先として学際的な学部を選ぶ研究者に向けたものである。経済学部に比べると担当科目はどうしても浅く幅広くなりがちだ。本当に自分が専門とする分野だけ教えていればよいわけではなく、多少離れた分野についても対応する必要がある。また、同僚についても自分とは専門分野が違う教員が多いため、異なった慣習を持った異なる専門分野の教員とうまくやっていくことができないと居心地は悪いであろう。さらに、学生の基礎知識や関心は経済学部のそれとは異なる。3つ目として挙げた項目は人によってはデメリットかもしれないが、うまく活かすことでメリットにもなりうるものであり、魅力を感じる研究者もいるのではないかと考えている。

3.お茶の水女子大学における経済学教育(大森)

お茶の水女子大学では、学部生約2000名、大学院(博士前期・後期)生約800名が学んでいる。学部は、文教育学部、理学部、生活科学部の3学部から成っており、人文科学、社会科学、自然科学、情報科学等、多分野の学問を修める環境が整っているが、経済学を専門的に教育する学部、学科は存在しない。しかし、弊学の学際性を重視したカリキュラム、また、学生のキャリア、教育上のニーズから、経済学教育は必須かつ重要なものとなっている。

その状況をお伝えするために、以下では、3.1項で、弊学のカリキュラムの中での経済学の位置づけについて述べ、3.2項では、学生のバックグラウンドと経済学に対するニーズについて説明し、3.3項で考察を行うことにしたい。

3.1 カリキュラムにおける経済学の位置づけ

本項では、弊学におけるカリキュラムの中での経済学の位置づけについて述べることにする。

3.1.1 教養科目、リベラル・アーツ科目としての経済学
弊学では、文教育学部、理学部、生活科学部3学部の学生が、主として1、2年次に学ぶコア(教養)科目、リベラル・アーツ科目が準備されている。さまざまな課題探求型のリベラル・アーツ科目と並行して、法学、政治学、経済学、社会学等の一連の社会科学の学問分野を含んだコア(教養)科目が準備されている。経済学の科目としては、ミクロ経済学入門、マクロ経済学入門が準備されており、ミクロ経済学、マクロ経済学の基礎的な学修課程が準備されている。

3.1.2 生活科学部人間生活学科生活社会科学講座における経済学教育
生活科学部人間生活学科生活社会科学講座は、社会、経済で生じている事象・問題を、法学、政治学、経済学、社会学等の社会科学を用いて学際的に分析し、解決策を考えられるようになることを教育目標として置いており、学科のカリキュラムとして経済学教育を行っている。

「学際性」がキーワードであるが、具体的な例を考えてみよう。男女共同参画社会の実現にあたって、育児支援は重要である。どのような育児支援政策を行うべきかを考える時に、育児支援を受ける主体(保護者ないし子ども)を取り巻く家族、社会環境に関する分析は重要であり、社会学の知見が必要である(近年、発展してきている「家族の経済学」の知見も重要であるが)。どのような育児支援が必要か決める際に、保護者、子ども等のステイクホルダー(利害関係者)の経済的インセンティブも考慮して制度設計を考えるためには、経済学の知見が必要である。政策を立案するうえでは、立法を行う必要があり、法学の知見が重要である。そして、政策を実施するうえで政治過程は重要であり、政治学が有用である。社会経済問題を分析し、政策を立案し、実行するうえで経済学、法学、政治学、社会学の知見が必要なのである。

生活社会科学講座では、コア(教養)科目の「ミクロ経済学入門」と「マクロ経済学入門」により基礎を修得し、専門科目として、ミクロ経済学の発展・応用編である「消費者経済学」、マクロ経済学の発展・応用編である「国民経済と生活」を準備している。そして、応用経済学として、財政学・公共経済学を内容とする「生活と財政」、金融論を内容とする「生活と金融」、国際経済学を内容とする「国際経済と生活」、労働経済学を内容とする「労働経済学総論」、社会保障の経済学を内容とする「社会保障論」が準備されている。また、統計学、計量的手法の習得のために「社会統計学Ⅰ」、「社会統計学Ⅱ」が準備されている(表1参照)。

表1 お茶の水女子大学における経済学教育

法学、政治学、社会学についても同様にそれぞれの学問分野について基礎的科目と応用科目が準備されている。3、4年次には法学、政治学、経済学、社会学の中から主として修得する専門分野を選択し、その学問分野を中心として、周辺の学問の修得に励むことになる。たとえば、経済学を主たる専門分野として選択した学生は、経済学を中心に学修する一方で、法学、政治学、社会学を学修し、学際的な視点を養成する。

3.1.3 教職免許の要件としての経済学
弊学では、文教育学部において、「中学校・高等学校教員(社会・地理歴史・公民)」の免許を取得できる。「中学校教諭1種免許状 免許教科 社会」の履修するべき科目区分「法律学・政治学」、「高等学校教諭1種免許状 免許教科 公民」の対象科目として、「経済学通論Ⅰ・Ⅱ」、「経済学総論Ⅰ・Ⅱ」、「経済地理学」が指定されている。

また、生活科学部において、「中学校・高等学校教諭1種免許状 免許教科 家庭」の履修するべき科目区分「家庭経営学(家族関係学および家庭経済学を含む)」の対象科目として、「消費者経済学」が指定されている。弊学は、もともと、教員養成を重要な目的として設立された経緯もあって、毎年一定数の教員志望者がおり、彼らに対する経済学教育は、未来の子どもに対する経済学教育にもつながることから軽視することはできない。

3.2 学生のバックグラウンド・経済学に対するニーズ

本学の学部学生のうち、約1300名、全学部生の約60%が、いわゆる「文系」の学生である。近年の技術革新を伴う産業構造の変化も反映して、学部学生の進路は多様化している。また、男女共同参画社会の実現の流れと連動し、学生のキャリア志向は強く、学生の進路に対する関心は高い。

行政官(公務員)を志望する学生が、毎年一定割合おり、そうした学生は、試験科目にあるミクロ経済学、マクロ経済学を学ぶことを望み、コア(教養)科目の「ミクロ経済学入門」、「マクロ経済学入門」を受講する。

教員免許取得を志す学生も、社会科の教員免許取得を考えている学生は、「経済学通論Ⅰ・Ⅱ」など該当科目を履修し、家庭科の教員免許取得を志す学生は、「消費者経済学」を履修する。

また、民間企業への就職を希望する学生も、以下に示すような理由で経済学を履修するインセンティブを持っている。第1に、社会人の一般常識としての経済的知識の必要性である。社会生活を行ううえで、情報収集は重要であるが、情報の中でも経済に関わる情報は非常に多く、かつ重要性が高い。それは、私たちの社会活動の大部分の背後に、財・サービスの移動、貨幣の取引を伴う経済的活動が存在するからであろう。就職後に、新人研修や、配属後の部署において、日本経済新聞をはじめとする新聞のスクラップをすることを聞いている学生は、経済に関する情報を解析するための経済学の重要性を認識している。第2に、進路決定、就職活動の時期における経済学、経済的知識の必要性である。直接的には、就職活動におけるウェブテスト、SPIなどで経済ないし経済学の分野の出題があり、採用面接の時にも経済学の知識まで求められなくとも、経済に関する知識を必要とすることが多い。

私の担当する「ミクロ経済学入門」、「マクロ経済学入門」も受講学生は少なくない。両科目ともに毎年、100名程度の受講生がおり、1学年当たりの全学部学生の約5分の1が受講している。これらの科目の履修者は、1学年約30名程度の生活科学部人間生活学科生活社会科学講座(志望)の学生と全学で経済学の学修の必要性を感じている学生であり、経済学に対するニーズは低くないことを示している。

3.3 考察

ここまで、お茶の水女子大学における経済学教育の現状について説明してきた。これらを踏まえて、経済学部のない大学・学部において、どのような経済学教育が望まれるかを述べて、論を閉じることにしたい。

第1に、学際的教育における経済学教育の意義である。経済学は、医療、福祉、文化、環境など、一見「経済」と関わりのない分野に学問の領域を広げてきた。医療は医学、福祉は社会福祉学、文化は民俗学、美学などの人文科学、環境は、環境科学を中心とする自然科学の主たる研究対象であった。しかし、これらのいずれもが、人間の活動であり、その活動のほとんどで、財・サービスの取引、貨幣のやりとりという経済的側面があることから、経済学によるアプローチが可能になった。経済学を用いて解明できる人間の活動の分野は果てしなく広い。逆に、経済学部で学んでいる学生にとっては、人間の活動が経済的活動に限定されていないことから考えて、経済学の周辺の学問を学ぶことの重要性が増してきているのではないだろうか。

第2に、キャリア教育における経済学の役割である。中学校・高等学校における社会科教員免許や公務員試験をはじめとする諸々の資格試験における必要性ばかりでなく、就職活動、さらに社会人として活動するために必要である情報収集・解析のためにも経済学の学修は極めて重要である。

4.津田塾大学総合政策学部における経済学教育・研究(伊藤)

4.1 カリキュラムにおける経済学の位置づけ

津田塾大学総合政策学部は、2017年4月に新設された学部で、キャンパスは渋谷区千駄ヶ谷にある。学部新設に伴い小平市の学芸学部(英語英文学科・国際関係学科・数学科・情報科学科)との2キャンパス体制となった [注3]

[注3] 2019年に、英語英文学科と国際関係学科の横断コースであった多文化・国際協力コースが、学科として独立し、学芸学部は5学科体制となった。

総合政策学部の学部としての大きな特徴は、社会科学系(法学・政治学・経済学・経営学・商学・社会学)の学際領域に加え、情報科学系(情報工学・社会情報学・経営工学)のカリキュラムの比重が高い点である。表2は、4つの課題領域のうち、経済学との関連が高い、エコノミック・ポリシーとソーシャル・アーキテクチャに属する科目群を示している。領域ごとに約20科目(約40単位)、計約40科目(約80単位)が充てられており、1学年定員110名の小規模な学部としては、多様な体系となっている。

表2 津田塾大学総合政策学部におけるカリキュラム(抜粋)
注) 他に、パブリック・ポリシー(法律学・政治学・行政学・国際政治学)およびヒューマ ン・ディベロップメント(国際社会学・福祉社会学)の課題領域を含め4た領域と英語科目(3年次まで必修)からなる。英語教育の重視は大学創設時の理念による。

また、科目名やその内容も、現代的かつ可変性が高いものが多い。時事の話題を取り上げ、発表されたばかりの政府統計から課題を出すなど、現在進行形の話題と学問が密接につながっている点や、さまざまな学問分野の切り口を紹介する授業が多い。基幹科目(一定数の単位が必修となる科目)は、学術面を重視した専門科目と、応用・実践面を重視した課題解決関連科目に分かれている。

4.2 学生のバックグラウンド・経済学に対するニーズ

経済学と情報科学の融合領域として、データの基本的な見方や、Rを用いた基本的な統計分析、データを用いてアルゴリズムを組み立てるプログラミング(Python)を1・2年生の必修としている。データ・サイエンスは習得度の個人差が激しく、特に、高校時代に早々に文系型入試に照準を合わせ、数学的な論理を用いた思考を苦手とする学生への教育は教員として頭を抱える部分である。

一方で、数学履修者でなければ難しいという予想に反して、総合型選抜や推薦入学の学生の中にも2年終了時にはプログラムを難なく作成する学生が3割ほどいる。必修であるという圧と、将来的なキャリアを考えた切迫感に加え、本人の潜在的思考力さえあれば、プログラミングの面白さに目覚めるという側面もあるようである。

筆者は学部創設(2017年)時に着任し、現在5年目であるが「入口で文系だった学生を文系のまま卒業させない」カリキュラムの重要性と大学の人材育成における発展的な可能性を痛感する。大学生の伸びしろは大きい。経済学と情報科学はそのための非常に効果的なツールだと感じている。2021年からは、企業や他大学の協賛を得て、「女子大学生ICT駆動ソーシャルイノベーションコンソーシアム(WUSIC)」を設立しており、身につけた知識を実際の社会に応用したいという進取の気性に富む学生らが運営に参画している [注4]

[注4] 女子大学生ICT駆動ソーシャルイノベーションコンソーシア(WUSIC)ホームページ(https://wusic.jp/

研究環境においても学際系学部ならではの強みがある。他の専門領域の研究者と、不要不急の話題を含め、日常的に会話する環境には発見が多い。たとえば、経済学も情報工学も、「データは大事である」と考えているが、目指すアウトカムが異なる。実証経済学の場合、ビッグデータの収集は、過去を地道に検証する目的であることが多く、将来予測などには懐疑的だ(皆が同じ予測をして行動すれば、予測はすぐ現実となる)。一方、情報工学の場合は、将来を予測し制御する目的のためにビッグデータを利用する。秒未満の単位の位置情報や各種センサーのリアルタイム情報から、運転を制御し、最適化するプログラムなどを間近に見ると、データスケールの大きさと成果物に圧倒される。社会課題の解決にスピードを求める工学的な文化も斬新である。

4.3 考察

分離融合型の教育・研究環境のもとで、筆者自身にも大きな変化があった。「教育や研究を通した間接的な社会貢献」よりも「自ら課題の現場に出向き、知識を現場で活かす直接的な社会貢献」を目指すようになった。確立された知見を広めるInnovation(発明の普及)は、参画が容易であり、現場を変えるという手ごたえがある。自治体との実証実験や企業組織との共同研究も増えた。もちろん地道な研究や教育も重要であるが、研究のための研究よりも、社会を少しでも変えるためのEarly Small Successを目指すようになった。

もっとも、このような自身および組織の取り組みが吉と出るか凶と出るかは不明だ。なぜなら、新しいプロジェクトが広がる一方で、そのための人材確保がむずかしいためだ。このような観点でも、学際的・文理融合的な学科は、実験の途上にあるように思う。

謝辞

本稿は2021年日本経済学会春季大会での企画セッション「学際的な学部における経済学教育・研究」を再構成したものである。同セッションで貴重なコメントをいただいた先生方や寄稿に際してご協力をいただいた先生方にこの場を借りて感謝したい。なお、言うまでもなく、ありうべき誤りは筆者の責に帰するものである。

参考文献


付記

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