「将来が見えない」はネガティブか?

僕は大学入学当初は教員になることを考えていたので

教育学部で教職課程を履修して卒業して

新卒で教員として働くというルートを描いていました。


このルートに疑いはありませんでしたし

多くの教職課程履修学生は

このルートを目指しているでしょう。


僕は大学2年まで

教員になるためだけに行動してきました。


週2回以上学童の補助員アルバイト

毎週2回小学校でのインターンシップ

月に1回小学生向けのキャンプ運営など

長期休暇などを利用して修学旅行や校外学習の引率


これらの生活を大学3年まで続けていました。


同じ大学の学生の中では間違いなく誰よりも

子どもに接する時間は長かったという

自信が持てるくらいに打ち込んでいました。


模擬授業という実際の児童生徒を想定して

授業を行うというものがありますが

それでも基本的に優秀な成果を残しています。


「先生っぽい」「先生が似合う」という言葉は

学生からも、現場の先生からも多くもらいました。


そう言われて嬉しかったですし

自分でも先生としてやっていけると思っていました。


ですが僕はその進路を選びませんでした。


僕がなぜ教員という道を選ばなかったのか。


それは

「将来が見えてしまう」

という不安があったから


よく多くの人は

「将来が見えないから不安だ」

ということを口にしていますが

僕は正反対でした。


将来が見えてしまうのは不安だ

将来が見えてしまうのはつまらない

そう思ったんです。


大学を卒業してからの人生を想像した時に

何歳頃に何をしていて、どんなことをしていて…

なんとなく見えてしまったんです。


その時に教員という人生は

「悪くはないな」と思ったんです。


分かりますか。「悪くはないな」です。


「これができるなら最高だ!」

「これができたら幸せだ!」


そういうものではなく

「悪くはないな」です。


自分の人生の大部分を捧げる

仕事に対しての評価が「悪くはないな」

という人生は幸せでしょうか。


僕は少なくとも「悪くはないな」と

思いながら働いた先に幸せは無いと思いました。


だから僕は今までの自分では

絶対にやらなかったであろうことに手を出してみたり、

想像つかない方向へ流されるようにしてみました。


そしたら自分が知っていた世界が

どれだけ小さかったのかに気づけました。


未来は全く見えないけれど

これをやった先にどうなっているかを

「確かめたい」とそう思ってしまったんです。


そうなってからは

大学での専門とか就活がどうとか

そんなことに縛られずに


「将来が見えないワクワク」がたくさんある

選択をしていこう


と行動がガラリと変わりました。


行動がガラリと変わったので

当然、進路や結果も変わりました。


おかげで大学では変人扱い。


何を考えているかが分からない。

はらけーだから上手くいくんでしょ。


なんかそんな言葉を色々言われましたが


上手くいきそうだから選んだとか

打算的な何かがあったかというと

そんなことはなくて


「これをやった先にどうなっているんだろう?」

「もしかしたらこうなるんじゃないかな?」


ということを自分という人間を使って

実験しているような


「確かめたい」という想いで

飛び込んだだけだったんです。



不安は無かったんですか?

よく聞かれます。


僕にとっての不安は将来が見えてしまうこと。


箱の中身は何だろうなゲームで

中身が分かった状態で触るのって楽しいですか?


お化け屋敷でどこからおばけが出てくるか

分かっていて面白いですか?


やる前から勝敗が分かっていたら

スポーツに熱中できますか?


僕は将来が見えない方が

ドキドキできるし楽しいんです。

もちろん痛い目見ることもあります。


でもそれでも

「こうやると痛い目見るんだな」ということを

確かめられることの方が僕にとっては価値が高いんです。



就活に不安になっている学生がいるとは思います。

全員が全員僕のように先が見えないことに

ワクワクできないことは知っています。


だからこそ、自分が一体何を不安に思っているのか?

どうなったら最悪なのか?を考えてみることはしてみてください。


そうしてみると案外、

悩みの解決策って見つかったりしますよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?