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🔲 弟源氏への劣等感 兄朱雀帝「澪標の巻」


明石から帰京した源氏は、内裏に参上し兄朱雀帝と心置きなく語り合い、喜びを伝えます。話を聞いている朱雀帝の胸中には、様々な思いが去来するのでした。

源氏を須磨・明石へ流す原因を作ったのは、母弘徽殿大后一族です。常に源氏の敵役として存在していたのです。優しく美しい源氏は、かけがえのない弟なのですが、源氏が人々に称賛されればされるほど、我が身のコンプレックスは大きくなってしまうのです。

心穏やかな朱雀帝ですから、母のように事を荒立てることは好みません。しかし、最愛の朧月夜と関係を結んでしまった源氏には当惑していたのです。源氏との関係が露見したため、朧月夜を女御とすることができないのです。内侍として女官の一人として愛するほかはありません。朧月夜に申し訳なく思いながら次のように語ります。


「おとゞ(朧月夜の父右大臣)うせ給ひ、大宮(弘徽殿)も、たのもしげなくのみ、あつい給へるに、わが世、残り少なき心地するになん。いと、いとほしう、名残なきさまにて、とまり給はむとすらん。昔より、人には、思ひおとし給へれど、みづからの心ざしの、又なきくらひに、ただ、御事のみなん、あはれにおぼへける。たちまさる人、又、御本意ありて見給ふとも、「おろかならぬ心ざしは、えしもなずらはざらん」と思ふさへこそ、心苦しけれ」とて、うち泣き給ふ。女君、顔は、いと赤くにほひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪わすれて、「あはれに、らうたし」と御覧ぜらる。
「などか、御子をだに、持給へるまじき。口惜しうもあるかな。「契り深き人のためには、今見出で給ひてむ」と思ふも、くちをしや。かぎりあれば、たゞ人にてぞ、見給はんかし」など、行く末の事をさへ、のたまはするに、いと、恥づかしうも、悲しうも、おぼへ給ふ。

(古典文学大系一 102頁)

               

その美しさは光君と褒め称えられ、学問・芸術をはじめすべての点で優れていた源氏。兄朱雀帝は、そのコンプレックスを戦うこともできないのです。源氏を受け入れて穏便に帝として暮らしていたのです。

しかし、源氏が帰郷して、自分の将来が見えてきたとき、朱雀帝は、源氏へのコンプレックスを晴らすかのように、2つの点を最愛の朧月夜に語るのです。

1 朧月夜を本当に愛する気持ちは、源氏よりもずっと深い。

2 子供はできなかったが源氏との間に子供ができても臣下として生きるしかない。


自分が源氏よりも優れている点を切々と語る朱雀帝の真剣な姿が伝わってきます。血筋と愛情に朱雀帝のプライドがあるのです。

朱雀帝の真剣な気持ちを朧月夜も受け止めます。源氏は確かに素敵な人。自分を愛してくれるが、どうしても納得できないところもあったわ。若さに任せて、見境もなく源氏を愛してしまったわ。それでみんなに迷惑をかけたわ。朱雀帝に申し訳ない気持ち。

でも、源氏を忘れることができない朧月夜であったのです。つらい我が身を、朧月夜は、思い知らされるのでした。


できすぎる弟へのコンプレックスに苦しむ兄朱雀帝を丁寧に描いているのです。こんな現代的なテーマをも作者は見つめているようです。紫式部の構想力・人間力・優しさに改めて共感します。脇役の人間をも見つめているんですね。



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