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🔲 源氏は、尼と少女を垣間見た「若紫の巻」3

源氏が、若紫(後の紫の上)を初めて目にしたのは病気療養のために北山の山寺に出かけた折の事でした。その時の様子は


日も、いと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞たるに紛れて、かの小柴垣のもとにたち出で給ふ。人々は、かへし給ひて、惟光の朝臣と、のぞき給へば、たゞ、この西おもてにしも、持仏すゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。・・・・・・ 

と描かれています。西日に照らされて室内が明るくなっているという設定。尼君や女房、そして、泣きはらした美しい若紫の様子が源氏の眼前に映し出されていたのです。源氏と若紫の出会いは、源氏が、小柴垣のところから室内を覗くという「垣間見」からはじまったのです。

現代人にとっては、のぞき見にあたるような行為ですから、ちょっと待って、という事になるかもしれませんよね。犯罪行為といわれても仕方がないです。でも、平安時代の人々にとってはのぞき見する方(男性)も、のぞき見される方(女性)も恥ずかしいという気持ちになるにしても、犯罪行為とまでは考えなかったようです。現代人との考え方の違いなんですね。そう言えば、源氏が、若紫を自宅(二条院)に連れてきたという事なんか誘拐事件ですよね。

「垣間見」って、平安時代の恋愛にはとても重要なものだったんです。恋愛物語として有名な「伊勢物語」も、貴公子が鷹狩りに出かけて、姉妹を「垣間見」て激しい恋をしたんです。恋愛の出発は「垣間見」なんですね。

「源氏物語」の名場面といわれるところには「垣間見」がでてきます。柏木が、女三宮を晩春の西日の中で見た場面や、薫が、秋の名月に琴や琵琶を奏でる姫君を垣間見するシーンなど忘れることができませんよね。こういう美しい場面って、必ず、男がのぞいているんです。

1200年ごろの源氏物語絵巻には、その様子が描かれています。国宝ともなっている絵巻物に垣間見している男、のぞき見している男がいるなんて不思議です。でも、平安時代の人々、特に姫君や女房にとっては、そういう場面こそが理想だったんですね。ですから、貴重な紙や絵の具を用いて最高級品として仕立てられた源氏物語絵巻に繰り返し描かれているんです。「垣間見」している男の姿が。

平安時代の姫君や女房達にとって「垣間見」が、なぜ、重要なものだったのかという疑問が湧いてきます。うれし恥ずかしの「垣間見」。「垣間見」こそ、唯一の男女の出会いの場だったんですね。深窓の姫君は、父親や兄や弟にさえ顔を見せることはしません。ましてや、他人の男に姿を見せるなんて考えられません。現在のような出会いパーティーや合コンなんてもってのほか。男と女が歌や手紙や声といった間接的な手段でなく、出会えるのが「垣間見」だったのです。垣間見する男も垣間見される女もはしたないという一種の後ろめいた気持ちは持ちながらも、出会いの場を最高に意識していたはずです。犯罪に手を染める快感ののような罪の意識の上に勝ち取ることができる恋愛へ強い思い。背徳の向こう側に広がる恋の世界の快楽こそが「垣間見」という行為を支えていたのではないでしょうか。刺激の少ない、というよりは、刺激から遠ざけられていた貴族の姫君や女房が、唯一、手にすることができた恋物語への入口。それが「垣間見」だったのです。

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