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8月の終わり、夜とストーブ

先日引っ越しを終えた僕は先輩とラーメンを食いに行こうなんて約束をして、お店が一駅先なもんだからあるいていくかなんて気持ちでふらふらと隣駅に向かった。写真はその時の夕暮れである。


おそらく大学3年の夏だったと思う。いまはもうほとんどないが、学生時代のぼくは毎年の夏休みには実家のある青森に帰省していた。東北新幹線は少しものさびしくて、東京から青森に向かうときはどうにも陰鬱な気持ちになったのを覚えている。あんがいにぼく自身が郷愁を求めていたのに気づいてはいたけれど、青森にそれを感じたことが多くなかったのは、たぶんぼくが求めていた故郷の理想が実家になかったのだろうと感じていた。が、青森という土地の尊厳のためにこれだけは言いたい。海産物はほんとうに美味い。それだけは他県にも引けをとらない。これだけはほんとうだ。


青森の8月は意外にも暑い。一週間程度ではあるが、昼間は32度を記録することもある。もちろんコンクリートがえらく少ないので都市圏のように熱帯夜にはならないが、思っているよりもかなり暑い。とはいえ北国特有なのか9月に入ると急に冷え込みがきつくなり、9月中旬の朝方は0度だったりすることもある。霜がおりる9月の朝は冷えて澄んだ風が鼻腔に刺さり、大自然の厳しさを感じると同時に、なんともいえない静謐な空気をもっている。あれほど美しい朝はたぶん東京ではめぐりあっていない。


そう、帰省した話だった。

大学3年の8月、僕は東北新幹線に乗って青森に帰った。このころから大学の授業がとても楽しくなってきていて、新幹線の中でもずーっと本を読んでいた。幸いにも文学部だったから小説を読む習慣があったのがよい暇つぶしになってくれて、車窓から見る同じような畑の景色に飽きることはなかった。まあ、かといって特段楽しいわけではないんだけれども。


その日、実家についた僕はまずストーブが点いていることに驚いたのだが、たしかに外の気温は12度くらいだったと記憶している。寒いのである。カーディガンをTシャツのうえに羽織って帰省した自分が、思ったより自然の怖さを忘れていたことに気づいた。そして、やっぱりここはぼくが生まれ育った土地にまちがいなく、それは一生、死ぬまでは確実にぼくの中に概念として存在し続けるのだろう。なのにそれを郷愁だと気づいたのはつい最近のことである。だからといって帰りたいとは微塵も思ったことがない。ぼくの生きる場所はきっとあそこじゃない。それなのにまだぼくは生きる場所を見つけられずにいる。あの日見た漁火が網膜の裏まで焼き付いて離れない。土のにおい、雨の予感、霧のかかった帰り道。どうして憎しみに近いものを感じているのに、あの土地はあんなに美しいのだろう。


先輩から連絡がきた。一足先に着いたらしい。はやあしで駅に向かう途中、ふとそんなことを思い出した。8月が来るたびにぼくはきっとあの日のストーブとぬくもりまでを鮮明に思い出すのだろう。寒い夏があった、その事実がぼくと故郷をつなぎ、郷愁を想起させてくれる。来年の8月は土産でも持って東北新幹線に乗ろうか。そんなことを思いながら、ぼくはいまも東京を歩いている。

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