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南よりのテーブル

 彼女は、予定通りにそのカフェテリアの南よりのテーブルの席に座っていた。彼女がお好みの場所だ。真夏日の太陽の光が燦々と、テーブルの上のパラソルに降り注いでいた。
 全ては私の計画通りに進んでいた。
 私の計画----それは、善行だった。少なくとも、私の世界観の中では善行だった。そして、私は精神異常者でもなく、また歪んだ性格の持ち主でもなかった。
 私は、そのカフェテリアからおよそ二五〇メートル離れている岬の上にある小屋の中から、サイレンサー付きの特殊銃の照準を彼女の眉間の中心に合わせた。その下の両側には、かくも美しい瞳があった。
 私は、引き金を引いた。
 彼女は即死した。
 全ては全うされた。

  一週間が過ぎても、捜査当局は私のもとへ来なかった。
 そして、私は、これほどまでない充足感に浸っていた。
 彼女は、死ななければならない存在だったのだ。
 その理由は、今から四年前のある出来事に由来する。

 それから十数年の歳月が過ぎたある日のこと、私は、私が善行だと信じていたことが、罪であったことを悟った。だが、時すでに遅し。彼女は即死だったし、時効もとっくに過ぎている。
 私は、私自身に罰を課す決心をした。

 涙が、ひたひたと私の頬をつたって流れ落ちていった。

 私は、何をすべきだろうか?
 私は今、五六歳である。妻子はいない。仕事は、とある企業の単なる会計士である。だから、例えば、慈善事業団体に寄付するほどの資産があるわけでもない。
 自殺をするべきだろうか?
 それは単純すぎる。ただ死ぬだけなら、何も苦痛はない。それでは、私が犯した罪の償いにはなり得ない。
 メイン新聞社へ訪れて、事の次第を全て赤裸々に話すのはどうだろうか? しかし、新聞社の者が、はたして私の話を信じるか、という問題がある。ただ名を馳せて世の注目を浴びたいという単なる変わり者だと思われない保証はどこにもない。実際、私があの年のあの日に彼女を射殺したことを示す物的証拠は既に全て処分済みだ。だから、警察へ行っても話は同じことになるだろう。
 確かに、私は罪の意識にさいなまれてはいる。時々発狂しそうにもなる。そして、毎夜のように悪夢にも苦しむ。しかし、それらはあまりにも軽い十字架だ。その十字架を一生背負いつづけることなど、何でもないことだ。
 私がすべきことは何か?

 今から一四年前の八月二日に銃の引き金を引いた岬の上に、私は立っていた。当時あった小屋もそこから見渡せたカフェテリアも今はなくなっていた。
 様々な思いが私の心の中を錯綜していた。
 やはり、私はここの地元警察へ赴き、ことの次第を全て話すつもりでここへやって来た。私には、その方法しか思いつくことができなかった。
 その前に、この岬へ一度来ておきたかったのである。
 さあ、もう時間だ。私は思った。

 その五〇代後半くらいかと思われる警察本部長は、私の話を最後まで聞き終えた。時折質問を挟みながら。
「お話を大変興味深くお聴きしました」本部長は言った。そして、次のようにつづけた。
「でも、私たちは、あなたを逮捕することはできません。あなたご自身がお気づきであるように、時効が過ぎています。そして、あなたがあの殺人事件の犯人であることを実証する証拠が何もありません」本部長は、一息つくように口をつぐんだ。しばらくの沈黙の後、再び口を開いた。
「そのことも、あなたご自身が自覚されています」

 翌日の地元新聞の一面、そして主要新聞の片隅に、私が自首したいきさつのことが記事として掲載された。テレビのニュース、報道番組でも扱われた。私は、ちょっとした有名人になった。
 だが、私の罪が、それで浄化されるわけではなかった。
 私はどうすればいい?

 一八年前、私は、一〇歳年下の女性とつきあっていた。
 ある日、自宅のマンションに帰ると、差出人不明の封筒が届いていた。開封すると、ビデオディスクが入っていた。私はビデオを再生してみた。
 それはポルノビデオで、そして、出演しているのは彼女だった。当時よりもずっと若い容貌だった。
 その時、リビングルームのドアが突然開いた。私が振り返ると、そこに立っているのは彼女だった。
 しばらくの間、お互い、何も口をきかなかった。彼女が口火をきった。
「学費をまかなうためだったのよ。信じてもらえないかもしれないでしょうけれど」
 私は彼女を抱き寄せて言った。
「僕は君のことを愛している」
 二日後、彼女が自宅マンションで自殺しているところが発見された。練炭による一酸化炭素中毒死だった。

 警察へ出頭した五日後の深夜、私は自宅マンションの駐車場に車を止め、エンジンを切った。しばらくの間、もの思いに耽っていた。そして、ドアを開けて外へ出て、キーをかけようとした瞬間、背後に人の気配を感じた。次の瞬間には、私は後頭部を打たれた。私は意識を失った。
 気がつくと、私はどこかの屋内にいた。薄暗く、そして私は椅子に座っていた。右手を上げようとして、私はあることに気づいた。私は椅子に縛り付けられていた。
「気がついたかい、このヘド野郎?」やや低い男の声がした。私は声の主を確認しようとした。目の右斜め前五メートルほどのところに、黒いグラスをかけた男がいた。
「時効が切れてから出頭するとは、この偽善者野郎め!」男は怒り心頭といった感じの声で怒鳴った。そして、椅子に座っている私の腹に蹴りを入れた。苦痛に私は喘いだ。
「ここは俺の自宅の地下室で防音も整っている。そして、俺は銃を持っている。このことが何を意味するかくらいは、うすのろの貴様にもわかるだろう?」男はさっきよりは少し落ち着いた声で言った。
「ああ、わかるよ」私は言った。自分でも意外なほどに落ち着いた声だった。
 今度は、私の左足のアキレス腱に激痛がはしった。私は思わずうめき声をあげた。血が流れ出るのが感じられた。
「貴様の、その落ち着き払った態度が気に入らねえんだよ!」
 男は銃口を私の額に向けた。
「最後の言葉は?」
「アッハッハハ! アーハッハッハ!」私の口から奇声のように笑い声がでてきた。その声の不気味さに自分でもゾッとした。
「貴様、気が狂いやがったか?」
「そうだね、狂っているよ! いやあ、実際我々人間は皆、気違いだよ、全く!」
 銃声が鳴った。
 最後の瞬間に私の脳裏に映ったのは、パラソルの上に燦々と降り注ぐ真夏日の太陽の光の光景だった。


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