幼かったころの自分を抱きしめる
書くばかりで、なかなかみなさんのnoteを読む余裕がない忙しない毎日を送っているのですが、気になった記事はできるだけ目を通してみようと思っています。
そうすると、思いがけず、すっと腑に落ちる言葉や文章に出会うことがあります。
今日はそんな中から、来譜瀬感度さんの記事をご紹介させていただき、そこからの気づきをお話したいと思います。
この記事には、「義母と娘のブルース」についての感想が書かれていますが、継親子であるかどうかは、それほど重要ではありません。
「愛されなかった幼少期を送った者」
私は母を小学校6年の夏休みに亡くしました。
確かに、母は躾に厳しい人でしたが、亡き後、周りの大人たちから聞く母は、面倒見良く聡明で、今まだこの世にいたら、80歳は超えているけれど、何でも新しいものを面白がって生活に取り入れるおばあさんになっていたのではないかと思います。
母が亡くなって間もなく、当時住んでいたアパートの下階の奥さんが「おばさん、これから誰に悩み事を相談したらいいの?」と、涙を溢した姿は、小学生の私が自分の母親は立派な人だったんだと信じるには十分過ぎるほど印象的でした。
母がいないから、人と違うんだと思っていました。
周りの友達と比べて、自分だけ不幸なんだと。
これを完全に克服できたのは、元ダンナと別れた30歳をちょっと過ぎたころだったと思います。
決して、愛されていなかったとは思っていませんが、わかりやすい愛ではなかったのかもしれません。
自分から母に寄り添って写る写真が、二学年上の姉より多いのは、甘えたい気持ちの表れだったのでしょうか。
ある程度大人になって、母親と直接対話を重ねる中で、あれは愛情からだったんだよと、しっかり本人の口から聞く機会があれば、私の中の愛情のタンクはもっと満たされて大人になったのかもしれません。
或いは、もしかしたら、母は、今で言う毒親だった可能性もゼロではないと思っています。
そうではなかったと思いたい気持ちが、母との思い出を美化している可能性。
あくまでも、可能性だけの話ですけれど。
両親がいて、愛情溢れる家庭で育っていたとしても、こども側から見たときに、「愛されなかった幼少期を送った者」と自認してしまうケースはあるのではないかと思いました。
愛されていたという確固たる自信が持てなかった私は、愛着障害を抱えて生きてきてしまったのかもしれないと、最近になって思うようになりました。
かつては大勢の群れの中で暮らしていた私たちは、核家族化する中で、ごく普通の家庭に育ちながら、生きづらさを感じることが増えてしまったのではないでしょうか。
来譜瀬感度さんの考察は、驚くほど私の心のヒダを言い表していると思いました。
私がツムギに感じているモヤモヤ感は、正にこれではなかろうか?と。
私はもっともっと、母からのストレートな愛を受け取りたかった。
まだまだまだまだ、母の娘でいたかった。
母の死後、40年が経っても、未だに涙が溢れます。
嗚呼、それでも、こどものころには母の愛を奪い合ったであろう姉が、今は心底私に愛を注いでくれます。
私も、姉に対する愛が、いわゆる本物の家族愛だと思います。
よかったねって、幼かった自分をギュッと抱きしめる。
そうやって、寂しさから抜け出してきたようにも思います。
それを自覚した今、私はどちら側の人間になれるのだろうか?
与えられなかったものを、いとも簡単に手にするツムギに嫉妬する人生を送るのか。
同じように実母からの愛を受け取れなかったツムギに、手探りで愛を与えられるのか。
先日、自分には仏眼があるといってツムギが、不思議なことを言いました。
「この家にはね、コテツ(15年前に亡くなった愛犬)がまだいるよ」
コテツはこの家に住んでいましたから、私には気配を感じることはできませんけれど、もしまだ、私たちの周りを駆け回ってくれているなら嬉しいことです。
「それとね、女の人がいると思う」
聞いた瞬間はゾワッとしましたが、きっと母だと思いました。
「そうか、私がいるときには感じないから、ツムギが一人で留守番しているのを、私のお母さんとコテツで見守ってくれているのかもしれないね」
母も、悔いているのかもしれません。
もっと優しく接してあげればよかった。
もっと長生きしてあげたかった。と。
来譜瀬感度さんの記事を読んで感じたことを書いてみました。
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