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映画『そして、バトンは渡された』を観た話

金曜日、その日のロードショーで放映されると聞いたので、家にいる夫に録画をお願いしました。

ステップファザーさんが嗚咽を漏らしたと薦めていらしたので、私も観てみようと思ったのです。

血の繋がらない継父と暮らす女子高生?
強引な設定だなぁと思いながらも、そのふたりの関係性はとてもライトにいい距離感で描かれていたので、嫌味なく観ることができました。

観終わった後にレビューを幾つか読みましたが、ファンタジー過ぎる設定が、賛否分かれるストーリーだったようです。

私は、賛でも否でもないかな。
ただ、私にない目線が、新たな気づきを与えてくれる作品だったと思います。

こどもが独立するまで、こどもを独りぼっちさせてはいけない。

これが、親であることの、一番の強い願いなのだろうと思いました。

私は、私の方が歳上だし、夫は実の親だし、私は元々いない人だったんだし、自然の摂理で私が一番に死んだとしても、ツムギは独りぼっちになりっこない。

ツムギと私が残される。そんなことさえ考えたこともなかったと思います。

『母親』と言うことに拘らなくてもいいじゃないか。

散々夫に言い続けて来たけれど、夫の拘りはここにあったのかも知れないと思いました。

ひとりっ子の自分にひとりっ子の娘。

もしも自分に何かあったとしたら。
ツムギに『親』がいなくなる。と。

そんな万が一の時に、『一緒に暮らしていた大人』と『母親』では、意味が大きく違うのだ。と。

その親心を、私は自分の価値観で、傷つけてきてしまったのではないかと思いました。


愛されて育つ。

主人公の優子ちゃんを見ていると、いかにそれが大切かを教えられます。


梨花さんのエゴと同じようなエゴを持って私はツムギと出会いました。
でも、ツムギに依存はしなかった。
私はもう、ひとりでも充分に自分の人生を歩んでいける強い大人になっていたのです。

それでも梨花さんと同じように、ツムギに生きていく力を身につけさせてあげることはできると思います。

もうすでに、私はツムギの未来の一部なんだ。

遅過ぎると思っていたけれど、まだまだ私にできることは山のように残っているのです。


大好きで三回観た宮沢りえさん主演の『湯を沸かすほどの熱い愛』と言う映画がありますが、通ずるものがある作品だと思いました。


ちょうどエンディングロールの、私がまだ涙を流しているタイミングで、寝室で横になっていた夫が現れました。

どんな映画を観て泣いてたの?と聞かれたので、娘が嫁に行く話よ。と答えました。

そりゃあ観られないなぁ。と夫。

次は夫と観てみたいと思いました。

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