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フランス産インディーゲー「Shady Part of Me」をガチで解説してみた。

「光とカゲ」と聞いて、何を思い浮かべますか?

成功者のもつ、暗い二面性?
格差社会?
もしくは主人公と悪者?

いやいやもしや、「自分」を想像したのでは?

もっと言えば「自分の心の中」のことを考えませんでした?

そんなあなたにオススメなゲームがあります。

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というわけで、今日はフランス産のインディーズゲーム『Shady Part of Me』についてガチで解説していきたいと思います。
途中からネタバレ全開にしますが、ネタバレしても一切ゲーム体験を損なわないのがこのゲームです。
むしろこのゲームはとても抽象的で、わかりやすくはないので、「自分で解釈してね系ストーリーはニガテ」って方は、読んでからプレイしたほうが面白いまであります。
プレイ済みの方にも、初めての方にも。
どうぞよろしくお願い致します。

※※
このように「ひとつのコンテンツをしっかりじっくり全力で味わい、周辺情報も調べるなどして、自分の血肉に落とし込んで」それをnoteにしてたりしますので、もし良ければフォローしてください!
※※

Shady Part of Meってこんなゲーム

Shady Part of Meは一言でいうと「光とカゲの詩」。
まず、美しいビジュアルと雰囲気だけでもお釣りがくるなと思える素晴らしさ。
美しき説明不足を自由な心で感じとる体験。
そして、大いなるミスリード
耳の聞こえない方のための字幕もついている、優しいゲームです。

PVはこちら。これみたら一発で好きか嫌いかわかります。ね、どう?

概要↓

『Shady Part of Me』は、息をのむほど芸術的な演出と、ハンナ・マリー(『ゲーム・オブ・スローンズ』、『スキンズ』)の魅惑的な声によって、心に訴えかける夢のような旅へとあなたを送り出す。
とある1人の少女と、彼女の影になって、意外性と驚きに満ちた感動的な語りを聞きながら、現実とはかけ離れた夢の情景の中で、心の葛藤を乗り越えろ。想像力の旅を先へと進むには、少女と影の両方が、学び、協力し、変わらなければならない。• 2Dと3Dのゲームプレイを自由自在に切り替えられる、光と影の遊び
• あらゆる状況を切り抜けるのに役立つ、時間を巻き戻す能力
• 独特な水彩画のスタイルで描かれた現実とはかけ離れた世界の探索
• 夢を破るための芸術的なパズルの謎解き
• 心の中に語りかけてくる、他では得られない旅の体験
プラットフォーム:PS4
発売日:2020/12/11
メーカー:FOCUS HOME INTERACTIVE
ジャンル:その他, アドベンチャー
音声:英語

モチーフからどこまでも広がる想像、最高の音楽とビジュアルとパズル

まずこのゲームはジャンルでいうとパズルアドベンチャー。そのパズルがめちゃくちゃにクオリティが高いです。光源がどこで、どれに光が当たってどこがカゲになるか。がむしゃらにやってもなんとか解けるし、あまり動かさずに目で見てじっと考えても、正解がわかるようになっています。

すごいのは難易度設定。収集要素としてマップ上にパタパタ浮いてる「鳥」を集めていくのですが、これを全部無視するとカンタンめな難易度になります。しかしトリを全部集めるとなると、急に歯ごたえ抜群のパズルに変貌します。割と容赦ないので、わたしは潔くスマホ片手にトリを集めました。。

1週目は自力でトリをがんばって集めつつも、諦めるときは諦めて進んでいました。10時間以上かかりました。
1箇所だけあまりにわからなくて攻略をググってしまい、みてみれば「ぐあー!単純だったなぜ気づけなかったんだぁぁぁ」と後悔。そんな楽しい難易度です。

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とはいえこのゲームはわかりやすく説明は一切してくれません。

ゲームは面白かったけど、ストーリーはなんとなくしかわからなかった。。プレイした方はそういう方多いんじゃないでしょうか?
私もまさにそれでした。だから3周もしてしまったのです。なんか悔しくて。
間違っててもいいから自分で腑に落とせるまでやろう!こんな美しいゲーム!と思ったのです。

ここから長ーくなりますが、これを読んだら、一度プレイ済みの方も、もう一度最初からやってみたくなることマチガイなしです!!!


(ここからの話は全て自分の解釈であって、正解ではありません。断定するような口調で書いたりもしていますが「(自分の中で)そうに違いない!繋がったぞ!」という楽しさからそういう口調になっているだけです。解釈は人それぞれ。あなたの解釈があれば、是非それを大事にしていただきたいです。むしろ聞かせてほしい)


まず基本前提、それが大いなるミスリード

まずこのゲームの主人公、少女とカゲ。
3Dで動く実体の少女と、壁面や床面に黒いカゲとしての少女がいます。

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shady part of meというタイトルからわかるように、ShadyというのはMeの一部。
つまり主人格「わたし」が実体の少女で、カゲが少女の心の一部ということでしょう。shadyはshadow=影から来ているのは明白だし。

自分の一部というより、イマジナリーフレンドって感じですね。少女が生み出した、あたまのなかの友達。性格も違うし、少女より大人っぽいし、なんだか同じ記憶を共有してないみたいだし。

とはいえ言動は全て、彼女の心のどこかから来ているはずです。

ということはこのゲームは、
少女が、自分の中の分裂した感情と向き合い、葛藤を辿る物語。
光が怖くて入れない、コミュニケーションが不得意、他人の目が怖いなどの「心の不便」を乗り越えようとする、精神の冒険––––––––

と、いうのがミスリードです。

「少女が」というのがミスリード。実際には違います。
本当に冒険しているのは、大人のshadyです。

旅のかなり後半で、彼女がふさいで閉じ込めていた記憶を辿るsessionがあります。
記憶を辿るうち、カゲがふと気づきます。
「あなたも、記憶なの?」

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さらにしばらく進むと、実体の少女がこう言います。

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実体の彼女=記憶ということが明白になります。
つまりこの年齢の頃に彼女の心は傷つき、光を恐れるようになった。
少女は「大人shadyの心のなかで、時間が止まって動かなくなってしまった幼い記憶のわたし」なのです。その時の年齢の姿のまま、心の奥底で、ずっと囚われて住みつづけているのです。

では、カゲの女の子は誰なの?

もちろんその記憶の持ち主です。

つまり、「大人になった少女自身」です。

「shady part of me」
少女がイマジナリーフレンドのカゲの女の子にshadyと名付けた、

のではなく、

shadyという一人の女性がカゲとなって、じぶんの一部=子供のころの記憶に会いにきた物語。

という主従が逆転している物語だったのです!

これに気付いた時、わたしは膝をバチコーン!!と叩きました。笑

根拠は他にもありますが、まず声が、カゲは大人で少女は子ども声ですし(声優さんほんとすごい)、セリフもカゲの方が柔軟さや思慮があります。明らかに精神年齢が上。
それ以外にも、例えばロード画面で出る絵。

もう一度この写真をよく見てください。

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白い女の子の後ろにカゲの女の子がいますが、髪の長さが違います。

ゲームプレイでは、実体の女の子が髪が長く、カゲの女の子の方が短いですが、このロード画面は逆です。カゲの子の方が長い。
これも、「本当のカゲ(実体のウラに隠れている子)は、髪の長い子のほう」というのを表している、とわたしは捉えました。

時系列的には、本当の実体は、カゲの方。なんという影の主人公!!

というよりダブルで主人公ですよね。時系列は少女側で、カゲは超現実で未来の時空と繋がってやってきたとかでも成立しますし。


ここまでが前提。
これを踏まえて、ゲームを最初からひもといていきます。ここからは
カゲの女の子を「shady」
実体の女の子を「子どもshady」
と便宜上呼ぶことにさせていただきます。


序幕

個人的には全シーンの中で、序章が1番好きです。クリアしてここに帰ってくると、たくさんの情報が詰まっていることがわかります。

はじめから
つづきから
などの画面は一切出ず、ゲームが始まるやいなやブランコで遊ぶshadyからはじまるこの削ぎ落とされっぷり。いやーセンスがいい。

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まずここでかかるメインテーマが本当に好きでずっと聞いちゃう。ずっとブランコこがせちゃう。

このゲームは、進んでいくと画面のあらゆる場所に「ことば」が浮かび上がるのですが、ここで1番最初に出ることばは

またね

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もうこれだけでキュンとしますよね。ですが文脈はよくわかりません。
これを理解するためには「ブランコ」がなんの象徴かを考える必要があります。この作品のスタート、下に落ちていくシーンで2回、そしてエンディングと計4回も登場するとてもとても重要なモチーフです。

わたしの解釈するブランコは、
shadyの原記憶。子どもの頃へ思いを飛ばした時に、はじめに浮かぶ場所。そして縛られている場所」です。

ブランコを降りて進むと次に続くことばはこうです。

私が好きだったのはね ブランコに乗ったときに
誰かが私を押してくれることなの。
私が好きだったのはね 地面にいたときに
誰も私を押さないことなの。

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ブランコに乗って誰かが背中を押してくれることを想像してみてください。楽ちんで、楽しくて、とても、肯定されている気がしませんか?

後半のことばは前半と対の表現でわかりにくいですが、たぶん、こづかれていること、つまり「ごく小さな暴力」だと思います。もしくは背中を押すという意味で「望んでいない励ましやアドバイス」かもしれません。のちにshadyがそれでかなりツラくなっていることがわかるからです。

つまりブランコはshadyにとって、光の面も影の面も、両方もった原記憶の象徴なのです。

なぜ、ブランコを離れる際に「またね」なのか。
勝手な想像ですが、むかし遊んでいた友達とバイバイする時の「またね」
そんな何気ない言葉が、色褪せずにshadyに残っているのかな、なんて。

この先もこのゲームはとにかくことばがたくさん出てきます。shadyの記憶を辿るように。

私ここに何度もきてね、たくさん試したんだ。
言われたんだ たくさんのたくさんのたくさんのたくさんのことを。
あの人たちが正しかったのかも。

shadyはどんな子だったのか、というのが重要です。
もともと他と少し違った子だったのでしょう。誰かから色々と言われたようです。「お前おかしいよ」とか?
shadyはいろいろと努力したのでしょう。でも、多分ダメだった。他人とうまく合わせられなかった。

そしてイバラのトゲに追い立てられながら、恐怖にグイグイと背中をおされながら、shadyは深い穴に落ちてしまいます。深く深く落ちていきながらタイトルコール。素敵な演出です。

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そして、荒い息でベッドから目覚める子どもshadyがそこにいたのでした。

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この演出は
「実体のshadyがカゲの夢を見ていた」
という意味に見えながらも、カゲが大人のshadyであるという前提をふまえると
「shadyがさらに深層心理に潜っていき、子どもshadyに会いにいく描写」
と見ることができます。
サイレントヒル2でもそんな演出があったな。穴に落ちる=深層心理に潜るというやつ。前提の違いで見え方がガラリと変わるシーン。いやぁそういうのいいですねぇ。。

影の中
次のsession。ここはつまり、子どもshadyの説明シーンです。

(このゲームは序幕含め全5幕、幕ごとに4つくらいのsessionという風に区切られています。舞台的な区切り方にも、意味があります)

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不思議な夢のような世界。宿舎のような場所。もしかしたら孤児院かも。
同じ年頃の子供達と寝食をともにしていたとすれば、少し風変わりな子どもはきっと偏見の目で見られたでしょう。

ここで子どもshadyが光を怖がって入れないこと、
他人の目線が自分をいつもジャッジしてくるように感じていたこと、
ひとりぼっちで孤独だったこと、
絵のある本が大好きなことなどがわかります。

ちなみにここの窓と学校の窓からブランコが見えるので、ブランコは孤児院併設の学校の庭にあったのかもしれません。

光がこわいっていう感覚、わたしもわかりますね。。

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真ん中奥に小さくブランコ。

第1幕

ふたりは出会い、友達になり、不思議な世界を出口をさがして彷徨います。

幻想的で楽しげなステージを進みながら(きっとだいすきな本の影響ですね)キラキラと声をあげたり、

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さらに落ちて独房のような場所を彷徨ったりします。

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この幕でで大事なことは3つ。

①まずshadyが「今回は出られるかも。ついていけばいいのかな?」と言うことから、実は何度もこの世界に来ていることがわかります。記憶に縛られた大人のshadyはきっと何度も何度も、この頃の記憶に迷いこんでしまったでしょうし、今の今まで、ずっと苦しんでいることがわかります。
ただ、子どもshadyと出会ったのは今回がはじめてのようです。

②ブランコでの出来事
パズルを解くのに箱が必要なのですが、それを人形(この人形はステージのいろんなとこにいる)が箱を持っていってしまいます。shadyと人形でぎゅうぎゅうと奪い合いになってしまい、shadyは半ば強引に箱を奪います。すると亀裂が走るように地面に穴があいて、shadyは落ちてしまいます。こういう、「一見些細だけどズキッとするような出来事」が、この後も何回か出てきます。

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きっと、似たようなことがshadyの苦い記憶になっているのだと思います。あのことによって何かが壊れたんだ、という罪の意識みたいなものが残ってしまっているのかも。


「アザー」とは何か

③そして何より、この物語で1番よくわからない存在「アザー」。

1番素直な解釈は、心療内科の先生です。
病院ステージであるドアのそばに行くと「コンコン、どうぞ」と男の人の声がして「アザーとの出会い」というトロフィーが手に入るので、この男の人が「アザー」であり、きっと先生だろうとわかります。

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実は、序章から鳥をゲットすると出てくることばは基本的にはアザーです。少女ふたりや地の文とは違うフォントになっています。基本shadyを励ましてきます。
序章のあたりでは「できるよ」「見違えたね」という褒めるニュアンスが多いのに、どんどん「もっと頑張らなきゃいけない」「闇の思考に飲まれるな」など、忠告のニュアンスになっていく。

カウンセラーにしてはあまりに言うことが押し付けだし急かしているし語気も強いですよね。特に後半からはすごいんです。

あなたは私を急かすけど、あなたのせいで彼女はダメになったのよ。

私に言ってるのか?それとも彼女に?

これは後半出てくる言葉ですが、shadyとアザーの会話、だと思います。
助けてくれるはずの先生が、子どもの頃の私を追い詰めてしまった。
カウンセラーとは人の話を聴くプロですが、きっと、こういう先生もいて、こういう事例もあるのでしょう。shadyはよくない先生に当たってしまったのだと思います。

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またもう一つのわたしの解釈は「心療内科の先生、そして父や母、あるいは大人になったshadyの恋人、周りの色々忠告してきたりジャッジしてくる大人たち」が混ざり合った声、というもの。(その場合は「アザーズ」になるかもしれませんが。。)
他人の目線や自分を追い立てる誰かの言葉が全てアザーの声として変換されてこの世界に現れているのだろうという解釈です。

どちらにせよこの声は、shady自身が自分を責めてしまう気持ちから来ています。shadyの耳には、子どもの頃から今までずっとこういう声が聞こえているのかもしれません。
病院に行かされた記憶が強く残っている。待合室の風景。その先に行くとベッドが並んでいたりしますから、shadyは入院もしていたのかも。


第2幕

この章で大事なことは一つ。1幕では子どもshadyの記憶にフォーカスされていましたが

2幕は、大人shadyが自分を内省し、自分の気持ちをひとつひとつ受け止めていきながら成長していくパートだ、
ということです。

弱さもいっぱいさらけ出します。
それはきっと子どもshadyと旅をしているからこそなんだと思います。

熱は気にならないわ。熱はいいのよ。内側にあって、素敵なものだから。

熱は不安定なの。火があるとわたしの存在は揺らいでしまうの。
あなたが外を怖がるようにわたしは中が怖いの。

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この辺解釈がむずかしいです。
熱が「生きるエネルギーや、むしろ感情そのもの」だとすれば、大人になったshadyはモチベーションや感情で自分が振り回されてることにも疲れたのかも。きっといまは、できるだけ内に火が灯らないように、感情が波立たないように暮らしているのかもしれません。

shadyの声は心細そうです。そこへアザーがshadyに「前に進んでいるのは彼女じゃない、君なんだよ」と言います。

shadyが感情を波立たせ、不安や怯えを感じていることは、それ自体、shadyがどんどん前進しているということなんです。

しかしアザーはただの優しい人ではない。上で書いたようにこの幕の後半からどんどんアザーの語気が荒くなってくるので、子どもshadyはかなり反発し、負けじと言い返します。とはいえ、自分のために言ってくれていることもわかっている様子。
この「アザーのことば」をどう受け止めるか、ということを、shadyはずっと葛藤しているのでしょう。

彼らを叱りつけるなんてやるわね!でも、あまりいい考えじゃなかったかも。彼らはただ助けようとしてる
私たちは迷子で、あなたは唯一の助けを追い払っちゃったかもしれないのよ。

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第3幕

アザーに対する葛藤。子どもshadyは反発、shadyはそれをなだめようとするものの、shadyは子どもshadyに向かって「あなたのせいよ。もっと頑張らなきゃ」と、アザーと同じ押し付けをしてしまいます。

言い合いになり、ケンカ状態になってしまいます。

子どもshadyは一時shadyを自分の心から締め出しますが、結局すぐまた、再会します。

わたしは一人にもなれない。わたしはこんなこともできない。わたしは

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これは子どもshadyのことば。
すごく苦しいけれども、やっぱり友達が欲しい。一人になりたいけど孤独にはなりたくない。自分ばかり責めてしまうのが共感できてツライです。
それを自覚したからでしょうか、子どもshadyはポツポツと打ち明けます。

私がしゃべったら、友達が私を置いていっちゃったの。

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普通に接したつもりなのに置いていかれる。またまた一見「そんなこと?」ということかもしれないけれど、子どもの頃のshadyはそういうモノで、無数に傷だらけだったのでしょう。

shadyが根気強くなだめていると、時計の針をまわすギミックのパズルの場面に行き着き、BGMも転換点のように意味深な感じになります。
子どもshadyが動くと時計の針が回るのですが、時計回りに進むことで解けるようになっています。

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子どもshadyが、自らの足で、止まっていた時計を動かす。パズルとストーリの一致した素晴らしい演出ですね。。


記憶
ここらへんから大事な場面。
何やら核心に近づいている実感がひしひしと湧いてきます。
遊園地かサーカス会場のようなステージです。

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まるで見世物小屋のように舞台に立たされ、慌てふためく姿を面白がられる様子を、子どもshadyが檻からじっと見ています。
shadyが大人になってもずっと蓋をしていた記憶。
実際に近い記憶なのか抽象表現なのかはわかりませんが、この辺、特につらかった出来事なのかもしれません。

そして、このセリフになります。

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前述したように、少女が記憶だったことがここでわかります。

さらに進むと、(サラーっと出てくるのですが)わたしの解釈では、ここが重要なことばです。

私はまだそこにいる
舞台の向こう側に

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と同時にBGMがもういよいよクライマックスって感じのなんていうんだろう、裸足で夜明けの道をペタペタと駆けていくような、めちゃくちゃいいBGMに変わっていきます(このひしひし感。すごく好きです。。。)

BGM演出から考えても、ここは大事だと思うのです。

「舞台」=社会。人に見られる覚悟を持ってはじめて立つ場所。輝ける場所。生きるということそのもの。
「舞台の向こう側」=舞台上でも観客席でもない場所。生きていない場所。

この「舞台」こそが、ラストにつながるモチーフ。shadyの選択につながっていきます。果たして。

そしてここもめちゃくちゃ良いシーンなんで話させて。。
shadyは、3度ドラゴンに襲われるも華麗に回避し、人形たちに拍手喝采を浴びます。ゲームも、マリオのようなアクションゲームに。
無邪気で誇らしげなshadyがすごく可愛いの!
それを檻の中で、固唾をのんでみていた子どもshadyが小さく「ありがとう」と呟くところも、すごく可愛い。声優さんの演技が最高です。

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shadyは、トラウマに華麗に立ち向かい、打ち勝ってみせたのです。
子どもshadyに向かって。
shadyは観客に向かって「ありがとう!」といい、見ていた子どもshadyがポツリと「ありがとう。」という。
そんな心象風景がひとりの人間の心の中で行われていると思うと、ゲキ・胸アツシーンです。。


…と、思いきやこんな文字が現れます。

あいつらは言った 驚いたと
あいつらは言った 離れなければと
あいつらは言った 私はあいつらを追い払うためにやり過ぎたと
これも、記憶なの?

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ここまで含めて、全部記憶の一部、でした。過去にしたことであって、それもまた、良い結果にならなかったのです。

悲しい。。。

そのあとステージはバスを通り過ぎて学校に戻ってくる感じなので、これらはきっと、遠足の記憶だったのでしょうね。

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ここを過ぎてから、shadyも「私はよくやってる」
口をつぐんでいたアザーもまた喋り出し「君はよくやってると思うよ」
と、自分を肯定することばが多くなってきます。

アザーは子どもshadyを置いていけと言います。そんな苦い記憶は捨て去れと。shadyは、「助けたいの」と反対します。捨て去るより、認めようと。

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傷でもあるけど、それ以上にきっと罪の意識。自分がよくなかった、という思い。それを認めようと。

子どもshadyは、前向きになっていくshadyとアザーをよそに「置いていかないで」と泣きそうになっています。

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第4幕

4幕のsessionはふたつ。「舞台裏」と、「終幕」。
長い長い旅も終わりが近いです。ここから抜け出すために、ふたりはどうするのでしょうか。

ふたりはシンクロしてセリフを喋るようになります。字幕も白と黒が重なります。
私を信じて。出口を見つけるのよ。私は負けないわなど、セリフがもう決意と覚悟に溢れています。


統合のときは近い。

3幕からたびたびヒントが出ているのですが、こんなことばが出てきます。

私は誰かでいることもできるの。うれしい変化ね。喋る必要がないのよ。
彼らを友達だって思うのはすごく簡単よ。
何も燃えてないわ。ここは全て舞台なの。 つまり、ただ出るだけでいいの。

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そして何か、思考が研ぎ澄まされていくようなことばたち。

今ならわかるわ。誰も私を審判してない。私は一人なんだね。良い意味で。
今は全部何がどうなってるかわかるわ。恐れるものなんて何もないんだと思う。

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終幕、ラストの意味

そしてなんと、shadyは人形に乗り移ります。その人形を操作してパズルを解くのです。ラストにして大胆なギミック!
「私なら演じられる」と言って。
そう、ラストは舞台上でのパズル。
shadyは「彼ら」の姿になり、shadyと、子どもshadyと、彼らで協力してパズルを解いていきます。

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舞台に立つ、演じる。

3幕から、shadyがそうするだろうことが示唆されていました。
この「君自身で演じる」に、すごく解釈の幅があるなぁとわたしは思います。

堂々と立つ。見られジャッジされる覚悟を持って、社会に出ていく。
とも取れるし、
彼らの皮をかぶって、自分を押し出すのはやめて、アザーの声に従って、うまく生きていく。
とも取れます。
ただただ、「能動的に生きる」とも取れます。

わたしは、きっと全部なのだと思いました。

つまり少し上で引用した「私はまだそこにいる。舞台の向こう側に」ということばは、
観客でも舞台上でもない「誰とも関わらない場所」にいる自分をしっかり見つめた瞬間。
だから舞台に出て行こう。演じようと決意した瞬間だったのです。

「あの頃、立って、ころんで、動けなくなって、見せ物みたいな気分を何度も味わった。彼らに傷つけられたし、彼らを傷つけた。光の届かない場所に逃げた。それを全部認めて、いまから、私は胸を張って舞台に立つわ。彼らを演じるの。」

わたしの解釈はこれです。つまり、ちょっとビターエンド。
前を向いて、進んでいくけど、自分をそのままさらけ出すことはしない。

パズルを全部解くと、まだ光がこわい子どもshadyは、とうとうどこのカゲにも隠れられなくなり、スポットライトの中でうずくまります。そこに、カゲのshadyが乗り移ります。

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やっと、ふたりは一つになりました。
そして気づくと、子どもshadyは外にいました。


この瞬間を「彼らを演じることを経て、さらに成長して、自分自身そのものになれた」と解釈することもできます。

でもわたしは、エンディングのブランコのシーンを見て、きっとそうじゃないな、と思いました。
誰も座っていないブランコをそっと揺らして、子どもshadyは立ち去ります。
子どもshadyは外に出れました。shadyは記憶を受け入れました。

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彼女が、わたしには寂しそうに見えるのです。

shadyが選択したのは、たぶん
「ちょっとだけ、うまく仮面をかぶること」だった。


きっと葛藤を克服したんだね!と見ていた1周目。
しかし、3周以上してこのビターな終わり方に感じ方が変わった時、わたしはリアルを感じました。

でもきっともしかしたら、もう一度やったら、ハッピーエンドに見えるのかもしれません。その時々で受け取るものは、きっと違うのでしょう。

美しく、儚く、切なく、弱く、強かな物語でした。

以上で解説を終わります。



この他、「隙間と橋」の話だったり、胸アツな船のシーンだったり、詩的で味わい深いことばたちがもっとたくさんで解説したいのですが、それらについての考察はカットしてしまいました。

是非、あなたにプレイしてもらって、あなたの心で感じていただけたら、こんなに嬉しいことはないです。


考察しはじめた時、わからなくて最初は会うのがおっくうだった。いまはふとした隙間にあの歌が聴こえてくる。
揺れるブランコと、欠けた景色を、何度でも「再訪」したくなる。

shadyに会いたい。shadyと友達になれた感覚があります。

もともとムズカシイ話は苦手なタイプなのですが、じっくり、しつこく向き合ってみることで、こんなにも世界が広がるなんて思わなかったです。

やってよかったです。shady、本当にありがとう。

ここまで読んでくださったあなたへ
本当に本当にありがとう。





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