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わたしが聖剣伝説レジェンドオブマナを大好きな理由。

1番思い出に残っているゲームは?と聞かれたら、
ちょっと迷って、「聖剣伝説レジェンドオブマナ」と答えます。

おとなになっていちばん印象が変わったゲームは?と聞かれたら、
即座に「聖剣伝説レジェンドオブマナ!」です。

今日はそんなわたしの大事な心の一部、がリマスターされるということで!noteを。密かなお祝いのような気持ちで書かせていただきます。

ネタバレはしないので、もし知らなかったけど興味ある、という方もぜひ読んでいってくだされば嬉しいです。

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当時中学生かな?あの頃はふらっとブックオフとかゲオとかのお店に行って、立ち読みしたり、ゲームコーナーを散歩するのが楽しみで。
偶然セールしてたそれを偶然手に取り、どんなゲームかもわからないままに偶然レジへ持っていきました。

いまじゃ考えられないですよね。
いまのルーチンだったら、おすすめ Switch とかで検索して、山のように出てくる記事や動画から気になったものがあれば、さらに検索したりして。
自分の好みに合うか、楽しめるか入念にチェックするわけです。

昔は自分の好みというのも育ってなくて、というか育てるなんて意識も全くないわけで、軽やかになんでも手にとって、自由に水をあげられていたんだなぁ・・・いまはなぁ・・・とまぁそんなことはさておき、わたしはそれを買って帰りました。

結局どハマりで、人生初の周回プレイを何度もして、ポケットステーション(たまごっちみたいな形のミニゲーム遊べるメモカ)を学校に持ち込んでピコピコやるほどの酔狂になったのです。

その時はたぶん、アートグラフィックとか、
音楽とか、
キャラのかわいさとか、
戦闘の楽しさとか、
あと、なんかセリフがいい感じだな…とかで好きだったと思うのですが。

時は流れ大人になり、、shu3さんというゲーム実況の方の動画に出会い、人生2度目、ハマったのです。
というのも、当時全く知らなかった(ゲーム中では、氷山のほんの先っちょしか描かれない)奥深い設定を目の当たりにしたからです。いやー素晴らしい動画で何度も見てます。

あの頃なぜ熱中していたのか。そして、本当はどんなゲームだったのか。
あの頃わからなかったセリフの意味。キャラの佇まいに感じる人生。自由や愛。
まぁよくある話かもしれないですが、子どもごころにまかれた伏線を、大人の器で回収するという、時を超えた心震える体験。を、したとともに、

きっといまなら言語化できる。あの頃、何が心を掴んでいたのか。と、いう想いです。


観察者としての主人公

このゲームはいわゆるアクションRPGで、いろんな街やダンジョンをひとつひとつ解放していって、好きな順番でイベントをこなしていくというものなのですが、

主人公が全然お話に介入しません。

可愛い絵柄のキャラ達が、勝手に争ったり、問題を抱えてたり、賢人にふわふわした哲学を言われたりしているのを、ただついていって見ている。

正確にはボスも倒すし受け答えも少々するのですが、物語の流れの真ん中には全くいない。むしろ端っこで流されていくように、ただついていって、敵倒す協力して、彼らの物語を見届けているんです。

壮大な物語の主役になりたい。ゲームはそんな欲求を叶えてくれます。
でもあんまりそういう感じじゃなくてもいいって人、いません?わたしがそうなんですが・・・
なぜならすでにわたしはわたしの人生の主人公だし、平穏無事な場所にいたって悩みもストレスもなくなりはしなくて、いついかなる時も、生きるのに精一杯だから。

でも、同じようにあっぷあっぷしている、全く心も境遇も違う別の主人公達を助けたり、それができなくとも少しでもわかり合ったり、せめて世の中の目が届くところを「知りたい」という欲求がある。(だからだいたいボイスや人格のある主人公に対しては、「あなた」という感じで接してます)

このゲームの主人公は人格も出さないし、それでいったらドラクエとかもそうだけど、そのうえドラクエのように物語の中心にいるわけでもない。
でも、だからこそ、一癖も二癖もあるキャラクター達の行動、ことばを、葛藤や純粋さを「なんなんだこの人達は!?」と「わたしが思う」ことができるんです。

きっと主人公がキャラ立ってるゲームなら、その「わたしの気持ち」の前に「主人公くん、君はどう思うんだね」と、プレイヤーキャラの次の言動に気をかけます。もちろん「わたし」も色々思ってますが、わたしが動かす「彼ら」に聞くのが先って感じ。

でもこのゲームは、主人公がお話の中の主人公ではなく、お話を読むわたしに近い。その距離で、多種多様に生きる彼らを、見ている。

その絶妙な距離感に、なんていうか、「そうかも、わたしのしたいことってこうかも」と感じられたのだと思います。

と、そうはいっても、選択が必要な時に選択を迫られるシナリオは存在するし、あるシナリオでは「君、ごめんそうだよね、わたしとは違う人格を、ちゃんと持っているキャラだよね!」という、このゲーム屈指の名場面がありますからねー。そこにもやられちゃいます。


やってる最中は「??」終わった後も「??」でも、ずっと持っていたい。

このゲームはなんていうか、哲学的です。
スカッとしたり感動するシナリオもあるけど、全体を通して、何が言いたいのかよくわからない。

でも、すぐには形にならないからこそ、消えない。

しっかりメッセージや感情を「触れる感じ」にできた時は、あぁそうかぁって思いを馳せて、明日からがんばろ、と思ったりするけれども、いつしか忘れていきます。作品に触れれば触れるほど、そのサイクルは早くなります。そんなにいくつものことを覚えておけません。

このゲームは「あの岩が言ってたことはなんだったんだ?」「ラスボスってなんだったんだ?」みたいなことが、終わった後も消化できない。言葉にできそうでできないもどかしさもあるけど、それが全然いやじゃない。それ以上に、もらってよかったな、暖かいな、みたいな感覚があるんです。

なんでだろうか。
いまわかるのは、このゲームが「愛」「生命」「生きること」について語っているから。そんでそれを、ふわふわ曖昧にしてくれているから。

オープニング映像から、たぶん愛について(マナの樹=愛だから)何やらよくわからんこと言っていて、ポストが風に乗って旅をしている。
いやめっちゃファンタジックで素敵な映像なんですけどね。

よくわからない。もどかしい。でも、なんか好き。

ダウンロード

「世界はイメージでできているの」と、序盤も序盤に、草人くんという謎のキャラが言います。
わかるようなわからないような。でも、子どもの頃のわたしはその言葉でもう「なんか好き」だったんだと思います。このゲームが。

このゲームのラスボスとは?
イメージ、とは?
なぜ自宅のアーティファクトはポストで、なぜそれがオープニングだったの?

愛ってなんなの?

いまなら、いまの解釈をなんとなく言語化はできるでしょう。でも言語化した瞬間、誰かのもつ「愛」と摩擦が起きるでしょう確実に。

だからいいのです。このゲームを通して、他のいろんなことを通して、ふんわりいつまでも形にならない「愛とはなにか」「生きるとはなにか」みたいなものを、形にしすぎず、消えないようにしておく。

でもね。エンディングを見ていたら、そんなふわふわが、涙になって目から出てきたりするんです。それはこのゲームが与えてくれたんじゃなくて、このゲームが誘ってくれたもの。わたしの中にあったものです。たぶん。

(エンディング、ほんとにいいんだよ。何がいいかっていうとね。わたしはなんでこのゲームをやってたんだろうってことがわかったの。)

おとなになって、わたしのふわふわも、ちょっとは厚みを増したような気がします。


いまなら言語化できる、と言ったのだけど、やっぱりダメですね。

ちなみにキャラでいうとわたしは魔法陣の先生のキャラがとってもお気にいりです。何その創造性溢るる設定は!
BGMでいうと、やっぱりドミナかなぁ。。あのなんともいえないノスタルさは。
シナリオでいうと、アナグマ語を覚えるあのシナリオが好き。最後のふたりの会話がまた。

すみません、我慢できなくて細かく推したい気持ちがはみ出ました。笑
実は語りたすぎる気持ちを我慢してるんです。

まだやったことのない方、ぜひこのリマスターを機にやってみてください!
そんで分厚い攻略本兼設定資料集を読み尽くして、しゃぶり尽くすか、shu3さんのゲーム実況をそのあとみましょう!奥深い世界に浸れるはずです。

実はこれを機にマンガと小説を買ったので、その感想も書きたいと思います!

あー長くなっちゃった。
では、したらな!

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