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人生を変える小説 「タタール人の砂漠」を読み、焦燥感に駆られた話

彼女にGW中に読書でオススメの本ある?って聞いたら、

「タタール人の砂漠」をオススメされた。

若い時に読んだ方がいい本らしく、「今読むべきだと思う」って言われたので読んでみた。
人生が語られている本だった。
340ページの中に、多くの人が体験するであろう人生が詰め込まれていた。
読了後、人生に焦燥感を感じた。

あらすじ

士官学校を卒業し、中尉としてバスティアーニ砦での任務を命じられるドローゴ。最初は、「軍務」「お金」「恋」に期待を寄せているドローゴだったが、上官の話を聞く内にハズレの任地を引いたと思い始める。最初は、どうにか別の任地に異動しようと画策するが、徐々に砦の勤務にも慣れ始めてしまい……。


物語は、主人公ドローゴが軍人としてキャリアをスタートさせる場面から始まる。
ドローゴは士官学校を無事卒業し、最初の任地へ向かうシーン。

まだ暗いうちに起きると、彼は初めて中尉の軍服を身につけた。着終わると、石油ランプの明かりの下で、鏡に自分の姿を映してみたが、思っていたような悦びは湧いてはこなかった。家の中はしんと静まりかえり、隣の部屋からかすかな物音が聞こえてくるだけだった。母が別れを告げようと、起き出しているのだ。
何年来待ち焦がれた日、ほんとうの人生の始まる日だった。
〜(中略)〜
ようやく将校になったのだ。もう書物に悩まされることも、軍曹の声に縮みあがることもない。そうしたことはもうみんな過ぎ去ったことなのだった。呪わしく思えた日々は、二度と繰り返されることのない過去の歳月となって、もう永久に消え去ったのだ。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、7頁

このように期待を膨らませながら、任地へ赴くドローゴだが、途中の任地は軍事上意味をなさない砦であり、出世するために仕方なく砦に赴任するような場所であることを知る。
期待していたような場所で知ったドローゴはすぐに砦を離れようと上官に訴えるが、口車に乗せられ4ヶ月留まることになった。

その4ヶ月の勤務の中でトローゴは幾度となく、違和感を感じる場面がある。
同じ砦で働くトロンク曹長とのシーンは象徴的だ。

歩哨任務の交代は、規則に精通したトロンク曹長の監督下に、厳密、正確に行われた。トロンクは砦に二十二年勤務していて、いまでは休暇の期間さえ、砦から一歩も動こうとしなかった。彼ほど砦のすみずみまでよく知っている者はいなかった。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、58頁

このトロンク曹長が砦の規則の不満について語った場面が終わると、主人公はこのように語り出す。

曹長はようやく口を閉じた、ドローゴは驚いたように彼の顔を見つめた。二十二年間砦に勤務して、この兵士にいったいなにが残ったのだろう。トロンクは、世界のほかのところには、軍服を着ていない彼とおなじような人間が何百万人と存在していることを忘れているのだろうか? そしてその連中が町をぶらつき、好きなときにベットにもぐりこんだり、居酒屋に行ったり、芝居を見に行ったりしていることを? そう、(彼を見ればよく分かることだが)トロンクはほかの人間のことなど忘れているのだ、彼には砦とそのいまいましい規則の他には何も存在しないのだった。トロンクはもう娘たちの甘い声の響きも、公園の様子も、川の姿も、砦の周囲にまばらに生えた痩せた灌木のほかは、木々の形さえ覚えていないにちがいない。
〜(中略)〜
ドローゴはふたたびここから逃げ出したいという思いにかられたのだった。なぜすぐに立ち去らなかったのだろうか?
〜(中略)〜
彼は自分が人種の違う人間たちの間に、未知の土地に、厳しく非情な世界にいるような気がした。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、65頁

二十二年が経ち、砦の生活に馴染みすぎたトロンク曹長は、細かな規則がどうにも気になる。しかし、外からやってきたドローゴにとっては小さな差でしかなく、別段その規則を変更したからといって、何かが変わる訳ではない。その規則についてアレコレ話しているトロンクが滑稽に見えて仕方ないのだろう。
これは現代にもいえるかもしれない。
SNSで冗談のように語られる「斜めハンコ」も大企業の中では、大事な暗黙の規則かもしれない。でも、その環境に馴染んでいない新人からすると、滑稽に見えて仕方ない。
この物語は現代にも通じる比喩が数多く登場して面白い。


ある程度時間が経過すると、上記のように感じているのにも関わらず、主人公は4ヶ月後に出て行くチャンスを自ら捨て去る場面がくる。

しかし、もう彼のなかには習慣のもたらす麻痺が、軍人としての虚栄が、日々身近に存在する城壁に対する親しみが根を下ろしていたのだった。単調な軍務のリズムに染まってしまうには、四ヶ月もあれば充分だった。
最初のころは耐えがたいものに思えた警備勤務も習慣になってしまった。いろんな規則や、口の利き方や、上官たちの癖や、各堡塁の地形や、歩哨の配置や、風の当たらない場所や、らっぱの合図の意味なども次第に覚えていった。勤務に習熟するにつれて、特別な喜びも湧いてきたし、兵士や下士官たちの彼に対する敬意も増していった。トロンクさえもがドローゴのまじめさときちょうめんとを認めて、彼に好意を抱くようになった。
〜(中略)〜
今ではこうしたことにすっかりなじんでしまって、それを捨てるとなると、さぞつらい思いをすることだろう。しかし、ドローゴはそれに気づいてなかったし、砦を去るのも難儀なら、砦での暮らしも、おなじような日々を、次から次へと、めくるめくような速さで、呑み込んでいくにすぎないのだということにも思いが及ばなかった。昨日と一昨日はまったくおなじで、区別もつかず、三日前のことも二十日前のこともおなじように遠い以前のことのように思えるようになるのだ。こうして、彼の知らぬ間に、時の遁走が展開されているのだった。
〜(中略)〜
その場にひとり残ったドローゴは、ほとんど幸せな気分に浸っていた。彼は砦に残ることにした自分の決心を、さだかにならない遠い将来の至福のために小さいが確かな喜びを棄てるほろ苦さを、誇りとともに味わっていた(そしておそらくその気持ちの底には潮時が来たら砦を去るのだという心慰む思いがひそんでいたのだった)。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、107頁

また、この小説は「若さ」についての描写がこれ以上ない表現をされている。

先はまだなんと長いことか! ただの一年でさえ彼には長いものに思えるし、すばらしい年月はやっと始まったばかりなのだ。それは果てしなく続き、その行き着く先きを見きわめることはできなかった。それは飽き飽きするには大きすぎる、いまだに手付かずの宝なのだった。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、113頁

このように「若さ」を唯一の持ち物として砦勤務に励むドローゴがいくつかのイベントを経て、年老いたことに気づくシーンがある。

時の遁走が、まるで魔法が敗れたみたいに、止まったかに思えた。時の渦巻く流れが最近ではますます激しさを増していたのが、不意にぴたりと止まり、世界はすっかり力なく澱んで、時計だけがむなしく動いていた。ドローゴの道は終わり、彼は一様に灰色をした海を前にそた寂しい岸辺にたどり着いたのだった、そしてまわりには家もなければ、木も、人影もなく、すべてがはるか太古のままだった。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、334頁

詳細なストーリーと結末までは書かないが、この物語はドローゴという一人の軍人に焦点を当て、人生を描き出した小説だ。
ドローゴの人生は、軍人をモデルにしてはいるが、多くの人が「自分の人生」だと感じると思う。
特に社会人になり、ある程度社会を知った人にとっては共感する内容ばかりだと思う。

なぜならば、ドローゴの人生は大多数が経験する人生だ。
最初こそ砦の任務に明け暮れる人々を客観的に見て、おかしいと感じている。
おかしいと感じながらも、日々を過ごすうちにそのおかしさが日常になり、自分もその価値観に染まっていく。
価値観に染まりつつあることを自覚しているが、まだ若いと自分に言い聞かせる。
その間も仕事には慣れ、軽い充実感もあるだろう。
でも、どこかこのままではいけないと考えている。だが、今すぐ動きたくない。未来でナニカが起こると信じて、生活を継続していく。自分でも予想できないような出来事が起こり、劇的に未来が変わるような気がする。
どことなく受け身の姿勢で未来を待ち続けた結果、何も変わらず、そのまま人生のフィナーレを迎える人も大勢いる。
僕自身もそうだ。
今、担当している業務以外にやってみたいことがあるが、異動で担当業務が変わることを期待してみたり、転職等で担当業務が変わることを期待していた時期もあった。
でも、待っているだけでは人生は変わらない。
若いからといって、未来を待っているだけでは、代わり映えしないうちに日常に忙殺され、そのまま年老いていくだけだ。
無闇に動くことで損することもあるだろうが、それでも変わりたいのなら動くべきだ。
動かないで期待する未来よりは、期待値も高くなるだろう。
そして、何より精神が健全のまま過ごせる。
不確かな未来に期待するのはやめて、動き出そうと思った小説だった。

詳しくは、小説を読んでみてください。
物語を通してこそ感じるモノがあると思うので。

最後に、作中で文章を一つ引用して終わりにします。

さあ、走れ、若駒よ、平原の道を。遅くならないうちに走れ、たとえ疲れていようと、立ち止まらずに走るのだ、緑の牧場が、見慣れた木々が、人々の住まいが、教会や鐘楼が見えるまで。
さあ、砦よ、さらばだ、これ以上の長居は禁物だ、お前の神秘は他愛もなく地に落ちた、北の荒野は無人のまま、決して敵が姿を現すことなく、何物もお前のみすぼらしい城壁に襲いかかって来ることはないだろう。憂愁の友、オルティス少佐よ、さらばだ、あなたはもうこの砦を離れられない、あなたとおなじく、他の者たちもあまりに長く希望にこだわりすぎた、時の流れは早く、あなたたちはもうやり直しがきかないのだ。
〜(中略)〜
こうしてゆっくりとページがめくられ、もう終わってしまったほかのページの上に重ねられる、だが、今のところは読み終わったページの嵩はまだまだ薄く、それに比べてこれからも読むべきページは無限に残っている。だが、中尉よ、それでもやはりひとつのページが終わり、人生の一部が過ぎ去ったことにはちがいないのだ。
『タタール人の砂漠』(岩波書店、2013年)、217頁


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