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アメリカのアフガン撤退以降の世界的情勢だからこそ可能な「歴史認識問題」のあるべき解決策を考える。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

この記事は、今週末金曜日か土曜日にアップされるであろうファインダーズというウェブメディアでの記事、

(女性初)高知早苗総理誕生が十分ありえると考えられる3つの「スゴイ能力」

(諸事情でファインダーズには別の記事が載る事になったので、↑ブロゴス転載版をどうぞ↑ランキング1位になってました)

…という記事の連動企画です。

ファインダーズ編集部からは総裁選についての記事を書いてくれ…と依頼されてて、本当は岸田氏と河野氏の比較について書く予定だったんですが、昨日高市氏の出馬会見ってのを軽い気持ちで見たら超すごくって!

なんか、凄い良い意味で「びっくり」したというか、「ネット右翼さんの内輪だけのアイドル」的な印象とはぜんぜん違う、「凄い仕事できそう」みたいな感じで(笑)

「原発の処理水の問題」とか「金融所得課税」とか「弱者に厳しいことを言ってる動画が発掘された問題」とか、色々と今のところ「支持しづらい」理由がある人も多くいると思いますが、そういう「細部の問題」は指摘されたらパパッと君子豹変す的に現実的な微調整をやれそうな気配が凄いあったんで、心配はいらないと思いますよ。(詳しくはいずれアップされるファインダーズ記事をどうぞ)

とにかく全体として、

A・政策理解の解像度が非常に高く、具体的で柔軟な議論ができそう

B・国民目線の「気持ちの共有」と「ブレない統治者目線」を両立できるバランス感覚

C・揺るぎない”保守”の価値観を現代的にリベラルな文脈に読み替えて話すスキルが超凄い

あたりが凄いビックリしたんですが。

日本における「女性政治家」って、小池百合子氏とか蓮舫氏とか、「空疎なキャッチフレーズ的なもので押し切る型」の印象が強かったんですが、高市さんは凄い一個一個の政策の細部をちゃんと考えて、「どこまで変えられそうか、どこをプッシュすべきか」を大枠の議論から遊離しない形でサラサラとできる感じがビックリしたんですよね。

で、「統治者として譲れない線」をブレさせないようにしながら「気持ちの寄り添い感」を出すスキルもものすごくあって。

特にその「スキル」がすごく発揮されるのが

C・揺るぎない”保守”の価値観を現代的にリベラルな文脈に読み替えて話すスキルが超凄い

の点で、たとえば夫婦別姓論議に対してもイデオロギー対立が紛糾するような話に決してもって行かずに、

自分が総務大臣だった時に、パスポートも運転免許証もマイナンバーカードも通称併記で出せるようにした。その他にも「通称使用において問題が起きるようなケース」を総務省として解決できる範囲のすべての法律を徹底的に洗い出して、1123件もの改正を行った。総理になったらそれをもっと徹底的に国レベルでやりたい

…という話をするのは凄いことだと思いました。

最近あちこちで書いている例ですけど、僕のクライアント企業で10年間で150万円も平均給与を上げられた例があるんですが、それぐらい「ドラスティックな変革」をやろうと思ったら、「保守派」への敬意を払い続ける振る舞いってのが凄い重要なんですよね。

そこが「分断」しはじめるとそのうち身動き取れなくなって、具体的に必要な細部の変化が、ほんのちょっとしたことだけでもいちいち毎回「世界を二分するイデオロギー闘争」に巻き込まれてしまって何も動かなくなっちゃうので。

高市さんが総務大臣時代に、総務省で管轄できる範囲での通称使用上の不都合については1123件も徹底的に洗い出して改正した・・・って話は全然知らなかったんですけど、この一点だけとっても

有能すぎる…何だこの人…

っていう気がします(笑)

保守派が大事にしたい原則を決しておろそかにはしないという態度を示して信頼を得つつ、「現実的な不都合」についてはメチャクチャドラスティックに洗い出して全部一気に(紛糾しないように皆が気づかないうちにサラッと)改正するとか、凄すぎますよね。

口を開けば「日本の男どもがいかに抑圧的かトーク」で内輪でワイワイ盛り上がるグループと、「保守派を決して警戒させない態度」を示しつつあっという間に1123件もの「通称使用の不都合」について法律改正を成立させた高市氏と、「どちらが」日本における女性進出に貢献しているのか…は考えてみるべき問題だと思います。

日本における「活躍する女性のロールモデル」が、やたらキャッチフレーズ先行型で実務的素養が全然ないタイプだったり、「他責思考のモンスター」的にありとあらゆる課題が「古い日本の男社会のせいだ」と全力で吹き上がるのが仕事みたいな人だったりしたら、日本社会が『女性を活躍させる範囲』が非常に限られてしまいますよね。

そのあたりで「内閣総理大臣 高市早苗」が誕生したら凄い「変化」があるだろうなあ、って思って、昨日まで保守派の最右翼限定のアイドルみたいな人だと思っていてスイマセン・・・と思いました。

…という話を↓この記事

ではより詳細にしたので読んでほしいのですが、「歴史認識問題」の解決においても大事なのはそういうセンスなはずなんですよね。

1●「立場を超えて共有可能な豊かなストーリーテリング」が必要

以下の記事で書いたように、

台湾で同性婚が一回否決された時に、オードリータン氏周辺が「結婚不結姻」という「保守派にとって大事な象徴的な”家”システムを毀損しない魔術的な工夫」をしたことで通すことができたような、そういう「あらゆる立場の人が大事にしたいこと」を均等に大事にする態度が重要で。

色んな立場の人間がいる。色々な人にとって大事にしたい価値観がある。

日本人の保守派の立場があり、日本人の左翼の立場があり、韓国人の立場があり、中国人の立場がある。

「どれか一つ」が「その他」を徹底的に排除して跪かせるような解決策は安定的に共有できるわけがないわけです。

これは、単純な「絶対善と絶対悪」が出てくる勧善懲悪の物語が今の時代なかなか受け入れられなくなっているのと同じ現象なんですよね。

なんだかわからないけどとにかくメチャクチャ純粋に悪いだけ、みたいな存在が出てきて「どこからどう見ても善」な存在に叩き潰される・・・みたいな話は徐々に成立しなくなってきている。

「悪」には悪になった事情があり、そして善を押し出すことの現実的な「悪」的な側面だってある。それらが総体的に絡まり合って「一つの全体像」を描いていくことができてはじめて、「どのキャラクターにも感情移入できる」豊かさが生まれる。

「歴史認識問題」についても、「どれか一つの立場」が「他の立場」を絶対的に排除できるストーリーテリングをしなければ、この複雑化する国際情勢の中での安定したコンセンサスなどできるわけがないわけです。

「絶対的断罪」を許さない・・・っていうことが、今後の多極化していく世界において重要なセンスなんですよね。

2●ナチスと大日本帝国の違いをまずは明確化する

この問題についても高市早苗氏の会見での「バランス感覚」っていうのが凄いよくって。

まず「村山談話と河野談話」っていうのを踏襲するかという話については、「戦後70周年安倍談話」ですべて上書きしてそれを正式な立場にしていくんだ・・・ということにする。

この「村山談話や河野談話」と「安倍談話」が何が違うかというと、「戦前の日本」というのをナチス的な意味での「絶対悪」として描いているのではない、っていうところなんですよね。

ナチスと大日本帝国がどう違うか・・・っていうのは色々ありますけど、そもそもコンセプトレベルの話として

・ナチスはヒトラーの”我が闘争”の時点からそもそも「反ユダヤ」が存在意義のコアにあり、結果として”意図的かつ大規模に”ユダヤ人の大量虐殺をドイツ人的生真面目な行政処理として”徹底的に”行った

・大日本帝国は一次大戦後のパリ講和会議において「人種差別撤廃条約」を提案したり、傀儡国家である満州国の標語が「五族協和」であったように「コンセプト」レベルにおいては白人種以外の人間の平等な扱いを求める運動として存在していたが、結果として末期には日本社会がたまにやりがちな「大規模プロジェクトを起こした際の末端に悲劇的現象が押し付けられてしまうような不幸」を次々と起こしてしまった

っていうところがまず全然違う。

よく指摘されてるように「明確な意志を持って行政能力を総動員して行ったドイツ」と「杜撰な計画の結果末端のあちこちで悲劇が起きた大日本帝国」では「被害の”量”的側面」も相当に違うわけですが、それ以前のそもそもの「コンセプト」の時点から全然違うんですよ。

日本の日露戦争での勝利が、「白人種以外でもこういうことができるのだ」という例として、アジア・アフリカ諸国の独立運動家や米国内の黒人運動家に影響を与えた例はいくつも指摘されているわけです。

もちろん!実体において色々な差別があったし、現実の戦争局面において色々な現地における悲劇を引き起こしもしたでしょう。それを否定したいわけじゃないんですよ。

でもそういう事を言うなら、アメリカだって「理想」と裏腹に黒人差別が厳然としてあったし、そもそも第二次世界大戦が終わっても世界中に欧米の植民地が残ったままであったのに、それが日本統治下の韓国における韓国人差別と比べてどうだったのか?考えてみるべき論点ではありますよね。

要は、日本人の保守派側の「否定されたくない意地」の一番コアな部分にあるのは、

白人世界による冷酷無情な帝国主義世界においてなんとか「有色人種側が一矢報いる」という「特大ホームラン」を、当時の日本人の総力を絞り出すような努力で打っておきながら、同時に「打った瞬間ピタッとバットを止めてください」みたいなことを言われてもちょっと無理がありすぎる

ってことなんですよね。

「そこ」を何の配慮もなく否定して土下座しろみたいな論調はアンフェアすぎて国民的に共有する事ができるわけがないわけです。そこはドイツの場合と根底的に違う。

ここに日本の保守派にとって決して譲れない「絶対防衛ライン」があるんですね。

で、こういうのは「非欧米」の国なら何らかの形でどこも持っているはずの問題なんですよ。それを「欧米的理想」だけで完全に絶対悪vs絶対善で断罪するからおかしくなる。

例えばたぶん、日本人が大日本帝国について持っているアンビバレントな思いは、韓国人は北朝鮮について持ってると思うんですよ。

韓国人だって、日本人から「あんな悪の枢軸国家の核テロリストと仲良くするなんてお前らも国際社会の大問題児じゃねえか」とか言われたら多分理屈抜きにカチンと来ると思うんですよね。

それは「アジアの現実」を「欧米の絶対善vs絶対悪」のものさしで無理やり斬るからそうなっているわけで、そこにある「アジア的リアリティ」をそのまま対象化して、それと欧米的理屈をいかに両立させるかを、単純な断罪に持っていかずにそれ自体真剣に考えなくちゃいけない時代なんだってことなんですよね。

そういう「齟齬」は世界中の「非欧米」の国なら何らかの形で持っている感情としてある。

つまり20世紀型リベラルの空理空論では「絶対悪」とされていたような日本の保守派が捨てきれない思いの中には、アフガン米軍撤退以降、米中冷戦時代の「世界の本当の調和へのヒント」が隠されてるってことなんですよ!

3●韓国側と日本側が手打ちできる共有できるラインはどこにあるのか

しかし、だからといって「戦前の日本は何も悪いことをしていない」と言いたいわけじゃないんですよね。

今「歴史修正主義」が流行るのは、「そうでもしないとこの上記の↑保守派にとっての最終防衛ラインとして重要な意地↑」すら踏み越えて無条件に謝罪しろっていう一方的な運動が激しすぎるから不可避的に起きていることなんですよ。

そのあたり高市氏が会見で言っていたのは、以下ちゃんと動画から抜書きしますけど「そうそう!その路線なんだって!」と膝を打つ気持ちになりました。

河野談話や村山談話は「安倍談話」で上書きする・・・という日本側の立場をしっかり述べつつも、その後に以下のように言うんですよね。

私達が心しないといけないのは、例えば日韓併合条約という、条約によって併合されたものであっても、やはり併合されてしまった側にとっては民族の誇りを傷つけられる、そして辛い思いをされた方もいらっしゃったでしょう。そして、またいわゆる「慰安婦」と言われた方々につきましても、それは女性としてとても辛い思いをされたと思います。

そういったお一人お一人の思いや民族の誇りが傷ついたことに対しては、ここはやはりみんな謙虚であらねばならない。それは世界中の国がそうあるべきだと思います。そして繰り返さないようにしなくてはならない大切な事柄だと思います。

まさにこの「描き方」が超超超超重要で、この「ドンピシャの配慮」ができるところが高市氏の超凄いところだと思いました。

要するに、戦前の日本を攻撃する言論が、

「新しい普遍性として万国共通に描かれる理想」

であればいいんだけど、それに

被害側国家(例えば韓国)の無条件的なナショナリズムの要求

が混ぜ込まれるんで、アンタらのナショナリズムにまで付き合う義理はねーわい、ってところで紛糾するわけですよね。

で、具体的な「共有できるビジョン」の可能性はどういうところにあるかというと、

・日本人にとって「戦前の日本」は、尊敬していた清王朝の中国が欧米に良いように侵略されているのに危機感を感じて、幕末の志士たちが必死に立ち上がって「欧米による侵略」へ対抗しようと必死に近代化を目指した時代

でもあるので、

それを「一緒くた」にナチスみたいな扱いをされるのは「国民的合意」になりえないってこと

なんですよ。

これは、例えば欧米的議論で言う「ポストコロニアリズム」っていう思潮がありますけど、つまりそれは欧米諸国による帝国主義植民地支配を批判的に見る風潮としてあるわけですよね。

しかしね、有色人種代表としてそれになんとか対抗してきた「大日本帝国」っていうのは、この「ポストコロニアリズム」を欧米諸国が単純に採用するのとは違って「半分しか当てはまっていない」齟齬がありますよね。

「欧米植民地主義を批判」するなら、日本というプレイヤーが存在していなかったらその「白人種による支配」が相対化される事だってかなり遅れたに違いないわけです。

だから「ポストコロニアリズム」的に言っても大日本帝国は「完全に否定」されるべき存在じゃない。「欧米帝国の支配」に必死に抵抗した有色人種側の代表でもあるわけなんで。

僕は昔旧ユーゴのNATOが爆撃した直後のセルビアに旅行した事ありますけど、普通の靴屋のおばちゃんが「何、あんた日本人?日本人はロシアやアメリカと戦った戦友だから仲間だ!安くしたげる!」って言ってメチャクチャ安くしてもらった体験あるんですよね。

経済危機で大変だし、貨幣価値がどんどん落ちてるから日本人からしたら凄い安い物価になってたのに、「わざわざ」そんなことをしてくれる普通の靴屋のおばちゃんが2000年前後になってもいたぐらい、それぐらい「欧米型支配」に”反発を覚える側”の存在にとって当時の日本の奮闘が与えた意味は大きいわけですよ。

だからこのへんを、「ナチスと同じ扱い」にするんじゃなくて、スターウォーズの「シス」とか、日本のコンテンツでよくある「理想を目指して身につけた強大なパワーによって悪落ちする”ルシファー的”存在」として描く必要があるというか、

「大義を信じて欧米側の理論を必死に習得し、それに対抗できる力を得たはいいが、その強すぎるパワーによって身を持ち崩して悲劇的な加害もしてしまった存在

という「多面的な理解」をする必要があるんですよね。

日本の保守派の人たちだって

「我々は立ち上がった勇気を誇るべきだが、その力をコントロールしきれずに悲劇を生んだことは反省しなくてはならない」

というストーリーなら受け入れ可能なわけですよ。

この「日本の保守派の最終防衛ライン」を踏み越えようとするから永久に紛糾するわけで、韓国人との対話においても、「このラインは決して踏み越えないでくれ」という対話の仕方が必要なんですよね。

単純に、韓国を支配したこと自体や、慰安婦の人たちが受けた苦しみとかについては、90年代ぐらいまでの日本では結構普通の人でも「悪いことしたねえ」っていう気持ちは共有されていたわけですよ。

だから過剰に「悪いように」ショーアップされている内容でなければ、起きた事実に正確に基づいて主張される課題については謝罪と補償みたいな話は今までだって何度も日本側としてやってきたわけですよね。(韓国人はそういう一個一個の謝罪や補償を知らなすぎるという問題もあるみたいですけど)

しかし、上記の「日本の最終防衛ライン」まで踏み越えて韓国が「普遍性の影に隠れた韓国側のナショナリズム」をねじ込んでくる情勢に日本の左翼さんが全力で肩入れするんで、日本側としても特に保守派ではない層の嫌韓気分も高まってしまうし、それを受けて保守系議員とかが暴発的な発言をしてお互いの不信感が高まってしまう結果になる。

4●韓国側が受け入れられないラインを探る

さっきの高市氏の会見の発言はそのあたりをすごく適切に扱っていて、

私達が心しないといけないのは、例えば日韓併合条約という、条約によって併合されたものであっても、やはり併合されてしまった側にとっては民族の誇りを傷つけられる、そして辛い思いをされた方もいらっしゃったでしょう。そして、またいわゆる「慰安婦」と言われた方々につきましても、それは女性としてとても辛い思いをされたと思います。

そういったお一人お一人の思いや民族の誇りが傷ついたことに対しては、ここはやはりみんな謙虚であらねばならない。それは世界中の国がそうあるべきだと思います。そして繰り返さないようにしなくてはならない大切な事柄だと思います。

ここから、「日本側が韓国に示すべき配慮」も見えてくるんですよね。

なんかもう売り言葉に買い言葉的な感じで、慰安婦の人を個人攻撃するような言葉や、当時の日本は良心的な支配をして韓国の近代化に役立ってやったんだ・・・みたいな事を言う日本の保守派がいますけど、そういうのはほんと良くないわけですよ。

基本的に、当時の流れでしょうがなかったにしろ支配する事になった事は悪かったという態度が大事だし、当時の韓国における「独立運動の英雄」が日本にとってはテロリストだとしても、「それを英雄だと思う気持ち」は尊重しなくちゃいけない。

しかし、さっきの「日本の保守派の最終ライン」を踏み越えて、「ナチスと同類扱い」をしてくることに関しては徹底的に反対すべきだし、そこまで韓国側のナショナリズムに付き合う義理もない。

日本の保守派の中でも、高市氏なら「大事なところを譲らないだろう」という信頼感がある上で、「日韓が共有可能なライン」について上記のような「刺し違え」状態で安定させることができれば、日韓関係に新しい路線が見えてくると思います。

韓国側としても、「戦前の日本は何も悪いことしてないぞ!」という路線でこられるとそれはそれで「日本の保守派の立場が絶対化」されて押し込まれることになるんで、あの手この手で「いかに戦前の日本が悪い存在だったか」を全力で主張して必死に押し返してくるようになりますよね。

そこで、「韓国側の絶対的防衛ライン」はこちらも踏み越えませんよ・・・というメッセージを日本側が発していくことで、欧米的に「絶対善vs絶対悪」的に断罪するのではなく、。

「メンツがお互いに立つ手打ち」をするというアジア文化に立脚した着地点

が見えてくる。

5●「お互いの最終防衛ライン」を理解して踏み越えないようにする

日本の保守派にとっては「戦前の日本は何も悪くないぞ!」って盛り上がってた方が楽だし、韓国人も「戦前の日本が絶対悪」って盛り上がってた方が楽なんで、これは「国際情勢的に仲良くする必要性」が高まってこないと成立しない手打ちなんですよね。

でも、米中冷戦時代に「中国の覇権的野心」に抵抗していくという意味では、今の日韓には「仲良くするべき」という情勢は徐々に高まってくるんで。

同時に、韓国人も最近は十分に先進国レベルの発展もしたし韓流も世界的人気だしで自信をつけていて、例の「安倍首相が土下座してる像」みたいなのをわざわざ作るカルチャーについて自国民的にビミョーな気持ちを持ってる層も増えていると思います。

ただ「日本の言い分」を認めると今度は韓国側の「絶対防衛ライン」も踏み越えてきそうな不信感があるから、全力で「いかに戦前の日本が絶対悪か」を主張し続けなくちゃいけなくなっているだけで。

「日本の絶対防衛ラインはここです。韓国側の絶対防衛ラインはココです」という相互了解をすれば、

日本側としても「何も悪いことはしてないぞ!」とは言わないし、支配していた時期があることに対しても、慰安婦などの立場に置かれた人に対しても謝罪する気持ちは持つし、そういう配慮はする。

一方で、韓国側としても「大日本帝国」全体をナチスと同列に扱うような領域には踏み込まないようにしてもらう。

で、大事なことなんですが、「その一線」を韓国側が踏み越えてきたら日本側は豹変して怒りまくって態度で示していくことが相互理解のためには超大事なんですね。

そうやって「豹変して怒りまくる」ことで、韓国側から見ても「あ、ここを踏み越えると豹変するんだな」というラインが理解できるようになるからです。

それで多少日本の国際的評判が落ちようと構わないというか、そこでちゃんと「NO」と言うようにしていかないと、永遠にこの問題は紛糾し続けるわけです。人間には時に怒ってみせないといけないラインがある。

むしろ、普段は国際秩序の優等生的存在である日本が「そこ」に踏み込むと豹変してブチ切れる・・・という態度を見せることによってのみ、「欧米社会にのしかかられる側の非欧米の本当の気持ち」を理解可能な形に転化し、米中冷戦時代の「新しい調和の糸口」を作り出すことが可能になる。

今の時代「欧米的秩序」からはみ出す存在に対して抗弁の機会が全然与えられないことが「欧米社会と非欧米社会の双方向的対話」を破壊していて、中国の強権性やタリバンの暴走に繋がっていることを考えると、いわゆるポリコレ用語で言うところの「権力勾配がある時にトーンポリシングしてはいけない」的な議論の延長で日本の保守派は↓こんな感じになるべき「決して人として譲ってはいけない状況」もある↓はずです。

怒ったことで少々やばくなったようだぜ・・・

しかしな・・・

こんなことを見せられて頭に来ねえ奴はいねえ!

こんなもんじゃあねえ、まだ怒りたりねえぜ!

6●靖国神社はどうあるべきか

靖国神社、特に付属博物館の遊就館はちょっと今のままだと「内輪向け」すぎると思うというか、結構保守寄りの感性を持っている日本人が見てもちょっとシンドい展示が多いように思うんですよね。

本来あるべき展示は、

・当時の白人諸国の容赦ない帝国主義的勢力とそれに対抗する必死の活動としての大日本帝国(つまり”ポストコロニアリズム的思潮から見てもポジティブな面”としての日本の役割)

的な部分をまずちゃんと堂々と描くって事が必要で。

今はこの「自分たちの大義」の部分が全然描かれていないので、全体として物凄い卑屈な展示になってるんですよ。それは英霊にとっても良いことではない。

で、その「大義」が描けない鬱屈ゆえに、「いかに戦争中の日本が悲惨な目にあったか」みたいな話が延々と続くんで、それ自体日本人が見ても陰鬱な展示になってるし、ましてやもし韓国人や中国人とかが見たら、「単なる被害者みたいなフリしやがって」的なことを思うのは無理ないという感じがする。

だから靖国神社の展示は、

A・ポストコロニアリズムから見てもポジティブな要素としての戦前日本の大義の部分(と、その理想と裏腹に変わっていってしまった部分もあった的な”ルシファー型”の全体のストーリー)

B・いわゆる英霊たちの活躍と苦難についての展示(普通の戦争博物館としての部分)

C・その戦争が巻き起こした副次的な被害について、国内・国外ともに共通してフェアに描く(原爆被害も空襲被害も描くし、大陸戦線等における日本軍の悪行についてもフェアに描く)

これらをちゃんと”3分の1ずつ”描くことが大事だと私は考えています。

これね、Aをキチンと描けば描くほど、Cはもっと安定的に扱えるようになるんですよ。Aをなんとしてでも否定して「絶対悪」にしようとしたら、歴史修正とかしてでも「C」の部分を拒否するムーブメントが巻きおこって「国民レベル」では共有できなくなってくるんですよ。

その「歴史修正主義」は、人間社会に本来存在し得ない「絶対悪」というフィクションを無理やり作り出そうとする歪んだエネルギーが不可避的な「作用・反作用」的に生み出すメカニズムとして生まれて来ているわけです。

逆にAの部分をちゃんと「ルシファー型のストーリー」として安定して描けるようになれば、日本の保守派としても「戦前の日本無誤謬説」みたいなのを死守しないと自分たちのコアが守れないみたいな事にはならないほうが良いに決まってるので、徐々に「日本の保守側」としても結集して「C」の部分を冷静に扱える情勢になってくる。

そうすれば最終的には、日本の首相が安重根(日本から見ればテロリスト)に敬意を示す訪問をするかわりに、韓国の大統領が日本の首相と一緒に靖国神社に参拝する、みたいなところまで行ければ理想ですね。

というか「そういう形が自然だね」となるぐらいでないと日韓関係を本当に安定させることはできないし、そうすることによってしか、「欧米」の人類社会におけるシェアが下がり続ける現代において「欧米的理想」が吹き飛んでしまわないように調和させる事はできないのだと言えます。

7●欧米と非欧米の力関係の変化がこれから起こす現象

こないだバイデン米大統領の「アフガン撤退に関する演説」を関西弁に訳す・・・っていう企画をやって結構好評だったんでぜひ読んでみてほしいんですが。

小半時間の演説を訳してみて思ったんですが、バイデンの言ってることって対外政策的にはトランプとかなり近いんですね。

対中国政策は、「自分たちの覇権を守る」という「純粋に国内的理由から関わる対外的課題」だから今後も徹底的にやれるでしょうけど、一方で中東のような国に関しては…

バイデンが「アフガンの女性の人権のために米軍の兵士の命を危険にさらしたりはしない」みたいな事言ってて凄い話題でしたけど、もうそういう「孤立主義」ムードはトランプ派もバイデン派も同じ感じだと思います。

今回の決定を欧州の政治家は怒ってる例が多いみたいなんですが、それは欧州人は「欧州の価値観という唯一無二のものが世界中に共有されている」世界をまだ夢見ているけど、アメリカ人はバイデン派だろうとトランプ派だろうと既にかなり価値多元的になっていて、欧米的理想とソレ以外のローカル的価値観の併存共栄を目指す気分に舵を切っている事がわかる。

最近の記事で私が何度も言っているように、「米中冷戦」の時代に日本は「不良の気持ちがわかる優等生」として振る舞うべきで、旗幟鮮明に自由主義陣営を擁護して「火を吹く戦争が起きる可能性」を潰すことをまずちゃんとやった上で、「気持ちはわかるでぇ」というレベルでは「欧米文明にのしかかられている側の気持ち」をしっかり理解して代弁していくことが重要なんですね。

で、「戦前の日本の歴史的に考える」時も、単に「軍部とかいうわけわからんモンスターが出てきてそれが全部悪かったんだ」的に「ケガレ」をそいつにおっかぶせて「ああ!なんてボクはケガレのない善人なんだ!」的なナルシシズムに浸ってみせて終わる・・・みたいな無意味な紋切り型を続けるんじゃなくて。

欧米文明が非欧米文明(あるいは欧米の当時の辺境としての当時のナチス・ドイツ含む)を圧迫し続ける時に、その辺境で強権的暴走が起きないようにするにはどうしたらいいか?

…という視点から考えないと意味ないわけですよ。

交通事故が起きたらこの赤信号がここの位置からは見えないようになってたから起きた事故でしたね!と分析して改善する

…的な課題と全く同じような視点で対策されるように、

「欧米諸国の大上段の理想から周縁化された存在」が社会の安定性を掘り崩されてしまう危機反応として強権化してしまう現象を避けつつ、欧米的理想は崩壊しないように共有するにはどういう配慮が必要なのか?

その時、「暴走せざるを得なかった当時の日本の状況」を「断罪しない姿勢」で「気持ちはわかるでぇ」的に見ることによってはじめて、

中国やタリバンが強権化して内部の締め付けをしたりせずに、欧米的理想を緩やかに共有できるようにするにはどうしたらいいか?

という「今の時代の喫緊の課題」への答えが見つかる。

実際、アメリカが「非欧米」の国で占領統治してちゃんと民主主義を根付かせられたのは日本ぐらいだとかよく言われますけど、それはやはり「天皇制」という「欧米の価値観からすると異物」なものを「現地社会の安定性」のために温存するという非常に高度な政治的判断があった事は大きいでしょう。

タリバンや中国社会といった「非欧米社会」に、その「欧米文明にのしかかられている側の気持ち」も吸い上げた上で、反発を起こさせずに欧米文明的理想を共有するにはどうしたらいいのか?

それは、「戦前の日本」を「断罪」するのでなく「気持ちはわかる」という感覚を維持したまま深く理解していくことによって生まれてくるはずで。

そういう意味で、「戦後の日本のリベラル」がやってきたのは単に「自分たちは完全に無罪の被害者だがあの軍部とか言うケガレの塊が全部悪かったんだ」的に尻尾を切り落としてるだけの、単なる「欧米文明中心主義的なレイシズムの結晶体」みたいなものにしかなってなかったと言えます。

そんな「情緒的な断罪ごっこ」は学問でないはずだ!そうでしょう?

欧米的理想も、欧米文明にのしかかられている側の現地社会側の「反発心」も両方「ちゃんとフェアに完全に対等に」扱った上で、いかに「両者がぶつかり合って悲劇的な状況が起きないようにするか」という「平和への本当の責任」のある議論ができるかどうか。

そういう視点で深堀りできるのはまさに日本であり、そして韓国だってそういう視点が持てるはずの国の一つですよね。

それは「単純な善悪二元論になりがちなポストコロニアリズム」さえ超える「新しい調和の源泉」になりえるし、欧米社会内で「絶対善vs絶対悪」の糾弾合戦が果てしなくヒートアップすることを苦々しく思っている良識派の欧米知識人もいっぱいいるので、彼らとも共鳴しながら共有していくべき「多極化時代の人類社会における本当の平和への責任感ある行動」となるわけです。

8●最新型の「ストップアジア差別!」運動はアメリカ黒人の受け売りでなくアジアの文化に立脚して行われるべき

世界的にある「アジア系ヘイト」は、単に黒人がやってるのと同じ態度で「Stop Asian Hate!」って言ってっても多分解決できないんですよ。なんでかというと、アジア人はアメリカ黒人ほど「純粋にこっちが絶対善」って押し切るパワーが弱いからで(笑)

これはアジア系アメリカ人とかを見てても凄い思うんですよね。アメリカ人として育ってるからそりゃスピークアウトする能力はあるけど、アメリカの黒人問題についてアメリカ黒人が主張してるレベルまで「一方的に強く」主張できるとはとても思えないキャラの人が多い。

結構前に、在米日本人で黒人と結婚して黒人のお子さんがいるお母さんが、もちろんこの人は普段「日本は遅れてる!」的なスタイルの「いわゆる出羽守」だし、BLM運動については100%賛成!って感じの人ですけど、それでも自分の黒人の子供を時々警察に連れて行って警察官を触れ合わせて、先入観的に警官は敵だと思わせないようにしている・・・・みたいなことを言ってて、「そういう態度」って凄い大事だな!って思ったんですよね。

アメリカの警察を変えるって言った時に、警官全体を「悪魔化」して「警察予算を削減しろ!」って吹き上がったら余計に「分断」されていくじゃないですか。

その「黒人の子を持つ在米日本人のお母さん」の態度は凄く「これからの時代の希望」だと思ったし、「アジア系」の運動が全米的にちゃんと価値を持ち始めるのは「そういうアジア的価値観」をアメリカ的普遍性の文脈に展開できた時だと思うんですね。

単なる「アメリカ黒人のやり方の受け売り」じゃなくてね。

今後、日韓関係の間で上記のような「お互いのメンツ」を立てる関係が見えてくれば、それをたぶん日系より数が多い(しこういうアピールが得意そうな)韓国系アメリカ人さんたちが、「ストップアジア差別」の形に応用していって、果てしなく「絶対善vs絶対悪」がヒートアップする世界に調和をもたらしてくれたらいいなと思っています。

新しい対話の可能性を、アジア発で形にしていきましょう!

今回記事の無料部分はここまでです。

ここからは、アジア系アメリカ人ユーチューバーの話をします。

何度か書いてるんですけど、僕と奥さんはアジア系アメリカ人のユーチューバーのvlog(日常紹介動画)を見るのが結構趣味で。

日系より韓国系・中国系の方が圧倒的に数が多いので、中韓系の色んな若いアジア系アメリカ人の動画をよく見るんですよね。(日系人は日本語でやってる配信者も多くてそっちを見ることが多いです)

中国・韓国系だけど、ちらほら「日本」も溶け込んでいるところが面白いというか、

「あ、今エスビー食品のゴールデンカレールウ使ってた(笑)」

とか、

「なんか今突然ちびまる子ちゃんの話してたよね」

とか、「アジア系コミュニティ」内で自然とお互いのカルチャーが溶け合ってる様子を見るのが面白いというか。

で、さっきも書いたように、みんな「アメリカ人としてのフツーな自己主張」はできるタイプに育ってるけど、「アメリカ黒人がやってるのと同じ主張」は多分できないだろうな、優しすぎて・・・みたいな人ばっかりなんですよね。

だからこそ、上記のような「アジア型のお互いのメンツを立てる調和の作り方」みたいなのを新しい「米中冷戦時代の新思潮」として提示していく事が、彼らの本国文化とアジア系アメリカ人との共鳴関係の中でこれからの時代を作っていくべきなのだと思っているわけですが。

それはそうとして以下の部分では、まずはなんかちょっと軽い話として、韓国系・中国系・日系アメリカ人は、なんか結構「共通点もあるけどキャラが違う」とこあって面白いよね、という小ネタ話をします。

なんか、みんな「アジア系アメリカ人」として共通するものがありつつ、結構「キャラ」がそれぞれ違うというか、「やっぱ中国系って感じだなあ」「いかにも韓国系って感じだなあ」「めっちゃ日系やなw」みたいなのがあるんですよ(笑)

その「違い」はどういうところから生まれているのか、世代的な変化はあるのか・・・みたいな話に続いてちゃんと考えてみたいことは…

今後、日系なら漫画やアニメ、韓国系なら韓流、中国系なら華流コンテンツなど、「アメリカ外の母国の文化を母国語で接種しつつアメリカ人として育つ世代」が増えていくことで、アメリカ文化の中にアジア系の文化が不可避的に溶け込んでいくようになり、結果として

「アメリカ黒人のやり方」ではない調和的な異議申し立てのカルチャー

に繋がっていくはずで、その流れの中で私達日本に住む日本人が果たすべき役割は何なのか・・・という話をします。

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普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

また、倉本圭造の最新刊「日本人のための議論と対話の教科書」もよろしくお願いします。以下のページで試し読みできます。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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