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それは傑作か駄作か。法廷に持ち込まれた対立の結末(巨匠の波乱万丈伝②)

芸術作品を眺めるとき、ついつい浮かぶのがこんな疑問

この絵、いったいなにがすごいの??🤨

もちろん周りには本や美術展のガイドなどたくさんの解説があり、ほおほおと納得しながら鑑賞を楽しんでる私。でもそれと同時に思うのです。

(最初に作品の価値を判断する人って責任重大よね…)

今回は、その役割を担ってきた批評家と画家による激しい対立のエピソードをば。

◎19C後半のアメリカ人画家、ホイッスラーというひと

米マサチューセッツ出身。20歳を過ぎた1855年にヨーロッパへ移り、ロンドンやパリで活動します。
過去の様々な様式の特徴を取り込みながらもオリジナリティを押し出し、印象派とも抽象画とも言い表せない幻想的な雰囲気の作品を描きます。

1877年、ロンドンの展示会に代表作「黒と金色のノクターン 落下する花火」を出品しました。

〈黒と金色のノクターン 落下する花火〉1875頃

◎美術評論家ラスキンによる罵倒

その展示会に訪れたのが、この時代を代表する有名評論家だったジョン・ラスキン。この絵を見るや、

「この画廊の持ち主は、まともな教育を受けていない自惚れで知能犯ともいうべき画家の、こんな絵を受け入れるべきではなかった。私はロンドンっ子の図々しさを何度も見聞きしてきたが、こんなペンキ壺を投げつけたようなばかばかしい絵に200ギニーもの値段をつける人間がいることを想像したことがなかった」

と、雑誌の批評でこれでもかと批判するのです、、🌀

◎名誉棄損で提訴。その結末は

渾身の作品をこき下ろされたホイッスラーは当然マジギレ👹名誉棄損だとして裁判所に訴えます。

芸術の価値をめぐる争い。その白黒をゆだねられた裁判所はいかに苦労したことか……👩‍🎓

結果はホイッスラーの勝訴!💰

しかし賠償金はたった1/4ペニー(1円未満)という屈辱的な金額となり、ホイッスラーは訴訟費用を払うために家まで売り払う事態に追い込まれたそうな…

一方のラスキンも名を下げさらに精神的なダメージを負い、活動が下火になっていったそうな…

プライドをかけた戦いは、どちらにとっても虚しい結末をたどったのでした。

ホイッスラーはその後、一時はイギリスの美術家協会の会長に選ばれたり、また批判されたりと、しばらく評判が安定しませんでした。

しかし今では、社会性や道徳的なメッセージを伝えるよりも美しさそのものを追い求めた「耽美主義」(19世紀後半)の代表的な画家として美術史に名を刻んでいます。

〈肌色と緑色のバリエーション バルコニー〉1864-70頃

ノクターン〈青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ〉1872頃

専門家の解説は素人にとってありがたいものですが、評判や値段ばかりを意識せず、「自分が気に入った」という感覚も大事にしながら鑑賞を楽しみたいものですな。

ありがとうございました。

(面白かった本の紹介)


https://www.amazon.co.jp/dp/434491211X/ref=cm_sw_r_other_apa_i_ICnCEbD5WB92K

銀座で画商を営んできた著者が、絵にどうやって値段がつくのか、著名作品の値段がかつてと今とでどれくらい変わったのか、といった事例を解説しています。
(例えばピカソの〈アルジェの女たち〉が制作直後に21万ドルに買い取られ、約60年後の2015年のオークションで854倍の1億8千万ドルで落札された話など)

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