広島焼き?いいえ、お好み焼きです

実家の広島に帰省をした。コロナウイルスの影響もあり、久しぶりの帰省であった。帰る一週間くらい前から、私はあることを楽しみにしていた。

「お好み焼きが食べたい!」

広島の名物は何かと聞かれたら、ベタではあるが私はお好み焼きを押す。広島には本当に歩けばお好み焼き屋とぶつかるほど、お好み焼き屋で溢れている。そして、広島の人は事あるごとにお好み焼きを食べに行く。(ような気がする)親戚同士が集まるとお好み焼きを食べ、友達と学校帰りにお好み焼きを食べ、時には一人で食べることもある。広島に住んでいた時には気にも留めなかったが、私の生活の一部となっていたようだ。

広島を離れて、二つのことに気がついた。一つは広島風お好み焼きを食べることのできるお店は県外には少ないということ。そしてもう一つは、県外でお好み焼きのことを「広島焼き」と呼ばれると妙にムカつくということだ。特に二つ目の事実には驚いた。広島に住んでいた時にはネタで「広島焼き」にキレていた私であるが、いつの間にか本気で少しだけムッとするようになっていた。やはり広島で生まれ育った人間としていつの間にか染み付いてしまうのだろう。気がついたらカープファンになっているのと同じように。

とにかくそんなわけで今回の帰省の一番の目的は広島風お好み焼きを食べることであった。そして本日ようやくありつくことができた。外食は怖いので、宅配で注文した。(広島には宅配ピザ屋と同じくらい宅配お好み焼き屋が存在する)トッピングは生イカとそばダブル。頭の中でお好み焼きをシュミレートすること1時間、ようやくお好み焼きが届いた。発泡スチロールでできたお好み焼き専門の器の中に、例のブツがあった。ホカホカと湯気を立てて、家中にソースの匂いが広がる。私はソースをたっぷりと、マヨネーズを少しだけかけた。ナイフで(残念ながらヘラは見つからなかった)切れ込みを入れて、その断面を眺めた。広島風お好み焼きのことを焼きそばと称する人がいるが、それは間違いだ。

みなさん、お好み焼きを食べる時にはぜひ、断面を眺めてほしい。ごちゃまぜの焼きそばとは異なり、広島風お好み焼きは約5つの層から形成されていることがわかるはずだ。生地、野菜、豚肉、焼きそば、そして卵。この層構造にはいくつか意味がある。まずは野菜にじっくりと火を通すことができる。お好み焼きは生地で守られているため、長時間加熱しても焦げることがない。半分蒸し焼きのような形で野菜に火を通すことができるため、野菜本来の甘みが出るのである。そして、層構造は口に入れて噛みしめる瞬間に最大の力を発揮する。おや、柔らかい生地を噛んだと思ったら次の瞬間にはザクザクとしたキャベツを噛んでおり、おやと思う暇もなく硬い豚肉を噛みちぎり、プチプチとした麺の層を抜けて最後にまた柔らかい卵に戻ってくる。歯が思わず小躍りしてしまうほど、一瞬で様々な情報が駆け抜ける。そして噛み進めるにつれて層は崩壊し、口の中で一体化していく。その過程もまた楽しい。

お好み焼きの魅力はソースにもある。広島県は一人当たりのソース使用量が日本一らしい。やはりポピュラーなのはおたふくソースであろうか。おたふくソースの、あの独特な味はなんと表現したら良いのだろうか。甘いと思ったら塩っぱさがきて、スパイスの風味がすると思ったら果物のような香りもする。複雑すぎるこの味は、味覚と嗅覚を翻弄する。お好み焼きの魅力の半分はこのソースの複雑さにあるのではないだろうかと勝手に思っている。(すいません、完全に私見です)

ここまで書いて思ったが、広島風お好み焼きの魅力とは味覚、嗅覚、食感全てにおいて私たちを混乱させる所にあるのではないだろうか。常に頭の中が混乱して、わけがわからなくなって、そして最終的にうまい!と言う記憶だけが残る。お好み焼きを食べている人の脳波を測ったらむちゃくちゃかもしれない。そしてその混沌はトッピングによってさらに深まる。

お好みと言う名前の通り、食べる人のお好みの感覚で楽しむことができる。それは人によって違うだろうし、その日の気分によって違うのだろう。だから私は高頻度でお好み焼きを食べていたのだろう。そして、だから私は「広島焼き」と言われると怒ってしまうのだろう。

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