(改訂版)【認知的不協和理論】「ネトウヨ」と「リベラル」を分けるもの【脳の構造】/「歴史否認」「陰謀論」はどこから生まれるのか?ーー①『認知的不協和理論』とは何か?ー「人は自分の行動を正当化するために認知を変更する」
はじめに
最近「朝鮮人虐殺はなかった」「南京虐殺はなかった」「731部隊の人体実験はなかった」「大東亜戦争は侵略ではなかった。植民地ではなかった」「強制連行、強制労働はなかった」「従軍慰安婦はなかった。ただの売春婦だった」などの『歴史否認』や、「政権を批判する者は在日」「犯罪者は外国人」「批判者は中国に操られている」などの『陰謀論』が幅を利かせてきている。
それはどうして生まれてくるのか、心理的に考察する。
【認知的不協和理論】とは?
【認知的不協和】とは、人が自身の認知(理解・知識・信念・価値観・行動など)とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感やストレスを表す“社会心理学用語”。
アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。
それによると、人はその不快感やストレスが高まると、それを解消しようとする心理的圧力がかかり、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の考えや態度や行動を変更しようとする。
その考え方を【認知的不協和理論】という。
【認知的不協和】を解消しようとするする行動
1;人は不協和があるとき、その不協和を低減・解消させるために何らかの圧力(行動)を起こす。
具体的には“古い認知”か“新しい認知”のいずれかを否定する傾向にあり、
そのどちらかのことが多い。その場合、比較的「変えやすい」方の認知を変えることで、「絶対に変えられない」認知を正当化しようとする。
そして、自分のその行動(選択)を正当化するために
2;不協和を低減させる圧力の強弱は不協和の大きさの関数である
不協和の度合いが大きいほど、それに比例して低減させようとする圧力は大きくなる。
●『自分の価値観(行動)』と『周りの価値観(行動)』との不協和が大きいほど⋯
●『理想の自分』と『現実の自分』との不協和が大きいほど⋯
心の中の『不安・恐怖・不全感・劣等感・不快感・ストレス・怒り』が大きくなり、それを解消しようとする圧力が高まり、冷静になって客観的・論理的・合理的・体系的な思考ができなくなり、短絡的・衝動的・攻撃的・破壊的・暴力的行動をとりやすくなる。
【認知的不協和】の例
ⅰ.タバコの例
認知的不協和の例として、よく知られるのがタバコ。
このとき“認知的不協和”が生じる。そこで認知的不協和を解消するためには行動(認知1)を変更して、
これで不協和が解消できる。
しかし、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、禁煙行為は苦痛を伴い、結局は「禁煙」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。そこで⋯
「タバコを吸い続ける」という行動(認知1)を正当化するために、認知4・認知5を付け加えることで、認知2を否認したり、矮小化しようとする。そうすることで、自分にとって都合の悪いことを見えなくする。
ⅱ.「酸っぱい葡萄」の例
また同じように、イソップ童話の中に『酸っぱい葡萄』という話がある。お腹を空かせた狐が、葡萄を食べたいのに、高い所にあるために取ることができず、諦める話で⋯
この不協和を解消するために、狐は『新しい認知』を追加する。
そう考え、決め付ける(認知を変更する)ことで、認知2の葡萄を取れなかったという“動かすことが出来ない事実(失敗)”を正当化し、不協和を解消しようとする。
ⅲ.「甘いレモン」の例
「酸っぱいブドウ」の対として挙げられるのが「甘いレモン」で、甘い果物が食べたいのに、やっと手に入れたのはレモンだった⋯
このとき認知的不協和が生じる。そこで
「このレモンは甘い」と思い込む(認知を変更する)ことで、認知的不協和を解消しようとする。そうして、自分の行動を正当化しようとする。
ⅳ.地震の後に『デマ、噂、流言』が拡散する原因
人は自分の中の不協和が大きいほど、不協和を解消しようとする心理的圧力が強まり、冷静になって客観的・論理的・合理的な思考することができなくなり、感情的・短絡的・衝動的になる。そうすると⋯
●『デマ・噂・流言』を信じ込みやすくなる。
●『詐欺・マルチ商法・占い・カルト宗教など』に嵌まりやすくなる。
そうすることによって、自分の中にある認知的不協和を解消しようとする。
それが地震の後の『デマ・噂・流言』が広まる原因となる。自分の中の“不安・恐怖”を正当化するために“デマ・噂・流言”を信じ、それを吹聴・拡散することで、『自分』と『周り』の不協和を解消しようとする。
地震の後の混乱の中で、
「自分の感情(不安・恐怖・ストレス)」と「周りの雰囲気(平穏・平和・日常生活)」の間の不協和が拡大するうちに、自分を正当化したいという防衛本能が働き、『デマ・噂・流言』を信じ、拡散し、周囲の不安・恐怖を煽ることで不協和を解消しようとする。
つまり、自分の心の中の「不安・恐怖・ストレス」が大きいほど『デマ・噂・流言』を信じ込み、それを拡散し、周囲の不安を煽ることで『自分の感情』を正当化しようとする。
ⅴ.洗脳
①カルト宗教
このとき認知的不協和が生じる。
このとき、もし認知2が少額であれば、「騙された」と信者を辞めれば良い。⋯しかし、全財産を処分し行く所がない場合、不協和を解消する手段として、“新しい認知4”を追加する。
つまり、行く所がなく、教団に残るという行動を正当化するために新しい認知を追加する。
②ブラック企業
このとき認知的不協和が生じる。
このとき、例えば、賃金が高ければ、不協和は低く我慢ができるのだが、それは到底無理そう⋯。そうすると不協和を解消するために新しい認知を追加する。
そうして自分の「仕事を続ける」という行動を正当化する。
つまり共通して、「カルト宗教」も「ブラック企業」も、物理的にも精神的にも逃げられない状態の中で、教祖・経営者に《服従する》ことを選択するようにコントロールされている。
③体罰・虐待・DV
それは『体罰・虐待・DV』でも同じように、親・配偶者や教師・指導者に『逃げられない状態』の中で、殴られていることを正当化するようになる。
このとき認知的不協和が生じる。そこで、この不協和を解消するために、新しい認知を追加する。
そうして、いつの間にか体罰を正当化するように認知を変更する。
そうして『認知の歪み』が生じる。
【認知的不協和理論】と脳の活動
『保守』と『リベラル』
人は、自分の行動の正当性するために、認知を変更する。そして、「自分の行動は正しい」と主張するために、他者の行動を批判する。
人は、自分が育った環境を正当化するために「昔は良かった。今の若者は⋯⋯」と言いたがる。そして、他者に対して声高に「あいつは我儘だ。自分勝手だ。甘えている。考えが足りない」と批判することは、暗に「自分はそうではない。自分は正しい」ということを周りに主張しているのである。
それはつまり、「自分という存在を正当化したい。認められたい。否定されたくない」という心理的メカニズムが働いている。
例えば、日常的に体罰を受けて育ってきた人間は、いつの間にか体罰を正当化するようになる。そして、体罰を正当化するために認知を変更し、都合の悪い認知は無視する。
『奴隷社会』の中で育った奴隷は、『奴隷制度』を支持し、自分が『奴隷』であることを正当化する。『差別、学歴社会、受験競争、男尊女卑、慣習、宗教⋯』の中で育ってきた人は、それを肯定し、その制度を守ろうとする。
しかし、その硬直した社会体制の中で徐々に歪み・矛盾が拡大していくと、いずれその制度に反発する者が出てくる。例えば、スポーツで体罰を受けてやって来た人でも、徐々に歪みが拡大していくとともに、体罰に賛成な人と、反対の人に分かれる。その体制を守ろうとする者と、反抗し、改革していこうとする者が出てくる。
その『個人差』はどこから生まれてくるのか?
『個人差』は、どこから生まれるのか?
例えば、『国旗国歌』や『靖国神社』や『特攻』に対してどう感じるか?
その違いはどこから生まれてくるのか?
それは“自分の行動を正当化するために認知(感情・好み・価値観)を書き換えている”のである。そしてまた、それは自分かどう生きてきたか?また、どう生きたいかを反映している。
●『国家権力』に対して、「同一化(依存・服従)」している人は『国旗国歌』や『靖国神社』や『特攻』に対して感動し、敬意を示す。【権力志向】
●『国家権力』に対して、「独立(自立・反抗)」している人は、『国旗国歌』や『靖国神社』や『特攻』に対して嫌悪し、敵意を示す。【反権力志向】
そして、自分の「国家に服従する」という“動かし難い行動”を正当化するために認知を変更していく。
例えば、⋯
●「国家に服従する」という行動と、「国は悪いことをする。侵略・虐殺を行った」という事実は不協和(矛盾)が生じる。そこで、「日本は悪いことはしていない。それは外国の捏造だ」と歴史修正主義を信じることで、不協和を解消する。
●「国家に服従する」という行動と、「特攻は犬死だった。意味がなかった」では不協和(矛盾)が生じる。たから「特攻は敵に重大な損害を与えた。特攻のおかげで今の日本の平和・繁栄がある」と認知を書き換える。
●「国家に服従する」という行動と、「国旗国歌の強制は良くない。自由で良い」というのは不協和(矛盾)が生じる。だから、国旗国歌を強制するために認知を書き換える。
●「国家に服従する」という行動と、「体罰・管理・競争は体や脳に良くない。これが非行や自殺の温床になっている」という事実は不協和(矛盾)が生じる。だから体罰・管理・競争を否定する『ゆとり教育』や『個性・自主性の尊重』や「1番でなくてもいい」という主張に対して嫌悪し、批判・攻撃する。
●⋯⋯⋯(以下略)
そうして『認知的不協和状態』を解消し、「国家に服従する」という自分の行動を正当化しようとする。
それは「教祖に服従する(カルト宗教)」「親分に服従する(ヤクザ)」「経営者に服従する(ブラック企業)」も同じ。そこでは「教祖は正しい。自分は正しい」と思い込んでいる。
『個人差』が生まれる仕組み【脳の構造】
認知的不協和が拡大したとき、それを解消するためにどう行動するか?どういう選択をするのか?そこで、人それぞれに『個人差』が出てくる。
そして、その分かれる原因として、【脳の構造】が大いに関係している。
【認知的不協和】が拡大し、それを解消しようとするとき、その人の脳内では、行動(欲望・意欲)を司る本能=『線条体』と、思考(葛藤・選択・判断)を司る理性=『帯状回前部・前頭前野外背側部』が活発に働いていている。
そしてその〘本能=線条体(報酬系)〙と〘理性=帯状回前部・前頭前野外背側部(前頭葉)〙の力関係が個性として表れてくる。
例えば、まだ脳(前頭葉・理性)が十分に発達していない子供は、「親に甘えたい。構ってもらいたい。認められたい」という本能・欲望に対して、親の虐待・ネグレクトや過干渉によって、【認知的不協和】を引き起こし、それを解消するために様々な問題行動(非行・いじめ・反抗・癖・病気)となって表れる。
そして、それは大人でも同じようなことが起きている。
例えば、物事を進める上で、
・問題が起きたとき、
・自分の思い通りに行かないとき、
・他者と意見が衝突したとき、
・失敗してしまったとき、
など、【認知的不協和】が拡大したとき、どう行動するのか?
そのことが、『政治的スタンス』の違いとなって表れてくる。
それらの違いはどうして生まれるのだろうか?
注:これは前回の旧①を改訂したものです。(2024/02/06)
改①< 改②
以下、改訂前のもの(旧)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?