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四半世紀経過した長銀破綻から考える銀行の使命

本日の日経新聞一面は「SBI「新生銀」を非上場化 公的資金返済へ奇策」でした。この記事をみて、既に四半世紀経過しましたが、1998年の日本長期信用銀行が破綻した時からのことが思い起こされました。
 
日本長期信用銀行(長銀)は、かつて日本に三行あった長期信用銀行(長信銀)の一つでした。長信銀は、預金ではなく金融債という長期安定した方法で資金調達することにより、多くの企業に長期資金の供給をしていました。特に長期資金を必要とした重工業への貢献は大きかったと思います。
 
しかし、大企業の資金調達手法が多様化する中で、長信銀は長期資金の供給を行う役割が低下しました。そうした中で、1980年後半に不動産バブルが発生し、不動産投資に注力します。これがバブル崩壊時に長銀が破綻する要因となりました。
 
余談ですが、銀行ビジネスは明治の始めに渋沢栄一によって日本に導入されました。渋沢は幕末にフランスに派遣されますが、その途上でスエズ運河をみて、ヨーロッパの開発能力の高さに驚きます。そして、その開発能力が銀行からの資金に支えられていること、また銀行は預金を集めて資金を供給していることを知ります。
 
日本に戻った渋沢栄一は、日本にも銀行が必要と考え、一時の役所勤めを挟みますが、日本初の銀行(第一銀行、現在のみずほ銀行)を設立します。この後、日本各地に銀行が設立されていきます。1945年の敗戦を挟みながらも、銀行は発展する日本産業への資金供給源であり続けました。
 
しかし、バブル景気は、この渋沢栄一から積み上げてきた銀行の役割をおかしくしました。銀行は不動産の値上がりを見越し、担保不動産の価値以上の資金を企業に貸付けます。企業は借りた資金を元に不動産を買い、そして銀行はその不動産を担保として企業に資金を貸し付ける。こうして雪だるま式に膨らんだ銀行から企業への貸付金は、バブル崩壊により不動産価値が急減した為、回収できない不良債権となったのです。
 
そして、1997年の北海道拓殖銀行の破綻、98年に長信銀であった日債銀、そして長銀の破綻に繋がります。
 
破綻した長銀は国有化の後、ファンドであるリップルウッドに譲渡され、新生銀行となります。この際、新生銀行は不良化している企業向け債権を国に押し付けことにより、その顧客基盤が壊れます。実際、その後も業績は大きく回復できず、公的資金が返済できていない唯一の銀行となっています。
 
恐らく長信銀こそ、長期資金を供給する点で渋沢栄一の理想の銀行に近かったはずです。しかし、バブルに踊り、破綻後も企業支援の理念に反する経営を行った結果、四半世紀も苦しみ続けることとなっています。
 
SBIは地銀を巻き込んだ金融再編の核として新生銀行を位置付けています。資金を調達した上で、産業発展の為に資金供給を行う。今度こそは本来の銀行の使命に立ち戻り、復活することを願ってやみません。

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